外宮のお参りが終わると、風宮、土宮、多賀宮の参拝に向かう。
歩を進め、橋に向かう途中に、四方1メートルのしめ繩に囲まれた小さな一画がある。
そこには幅30㎝ほどの石が三つ、重なるように鎮座している。
しめ繩がなければ見過ごしてしまいそうなその石は、ここ10数年で有名になった。
近年のスピリチュアルな流行から、そこはパワースポットという代名詞で括(くく)られるようになった。
そのパワースポットという言葉の力も手伝って、参拝する人たちは、その石に手を翳(かざ)したり、手を合わせたり、おさい銭を置いたりする。
私たち二人も例に漏れずその石を見に行く。
「ここが、パワースポットって言われてるところだよね。このしめ繩、3年前あったっけ…」
と言っていると、
「ここはパワースポットではない。」
隣に並んだ、品のあるお爺さんが話を始めた。その声は静かだったが、語気は強かった。
「この石のある場所は、遷宮の式の時、ここから遷ずる品々を並べて、この場所でお祓いをして、浄めるところなんや。」
「数年前、時の総理大臣だった麻生さんがここに手を翳し、この場所の重要さに触れたのが大きく広まったきっかけ。それからパワースポットっという言葉が一人歩きして、こう言う風に賽銭を置いたり、変に弄(いじ)ったりする人たちが増えたんよ。」
「ここは確かに神聖な場所で、これは意味のある石。だからと言ってパワースポットでもないし、言われのない不敬なことをされる由(よし)はない。」
ボランティアでずっとガイドをしていると言われた、そのおじ様は、そうお話された。そしてつづく。
「初めて私がこの遷宮に参加できたのは、昭和28年、15歳の時だった。」
「戦後すぐですね」
「そうやな。学校で級長していた私が代表で校長先生と参加した。」
ここで聞き役を彼女にバトンタッチする。
こう言う時は若い女性が聞くこと、相槌をうつこと、笑うことで、話は泉のように湧いて来るもの。
託した。
「遷御の儀のとき、鶏を連れていく。鶏の鳴き声で、式が始まるならわしになっているからだ。でも時間が時間だから鶏は鳴かない。だから神官が鶏の変わりに鳴きまねをする。カケコー、カケコー、カケコーと三回。」
そして遷御の話をしばしして下さった。
地元の生き字引のようなその方に、戦後最初の遷宮の話を思いがけず聞くことができた。
そう伝統は継承され、かつても確かにここで行われていた。
そのことを口伝(こうでん)で伝え聞くことで、時の流れや質感を感じることができた。
TV、ネット、本、媒体は進化し、情報はリアルタイムで共有されるようになった。
ただ、ヴァーチャルな間接的な情報の域であることに変わりはない。
一方でLive(ライブ)は、その文字どおり生き、活きている。
人の五感も脳も魂も、想像以上に感じ、理解し、響いている。
こうやって体験はDNAに記憶されていく。
命の連鎖がつづく中で、守られるべき物語は、無形、曖昧にもかかわらず、漠然としていながらも確かに存在している。しかもそのイメージは大きく。
物語の舞台、物語を語る人、物語を紡(つむ)ぐものたちが、ここ伊勢にはある。
そのおじ様に、「記念に一緒に写真を撮らせてくれませんか?」というと、
「わしは、いい、そんなもんじゃない」と言って、そそくさと私たちから離れていった。
せめて名前だけでも聞けばよかったね。と話ながら、私たち二人は亀石橋を渡った。
歩を進め、橋に向かう途中に、四方1メートルのしめ繩に囲まれた小さな一画がある。
そこには幅30㎝ほどの石が三つ、重なるように鎮座している。
しめ繩がなければ見過ごしてしまいそうなその石は、ここ10数年で有名になった。
近年のスピリチュアルな流行から、そこはパワースポットという代名詞で括(くく)られるようになった。
そのパワースポットという言葉の力も手伝って、参拝する人たちは、その石に手を翳(かざ)したり、手を合わせたり、おさい銭を置いたりする。
私たち二人も例に漏れずその石を見に行く。
「ここが、パワースポットって言われてるところだよね。このしめ繩、3年前あったっけ…」
と言っていると、
「ここはパワースポットではない。」
隣に並んだ、品のあるお爺さんが話を始めた。その声は静かだったが、語気は強かった。
「この石のある場所は、遷宮の式の時、ここから遷ずる品々を並べて、この場所でお祓いをして、浄めるところなんや。」
「数年前、時の総理大臣だった麻生さんがここに手を翳し、この場所の重要さに触れたのが大きく広まったきっかけ。それからパワースポットっという言葉が一人歩きして、こう言う風に賽銭を置いたり、変に弄(いじ)ったりする人たちが増えたんよ。」
「ここは確かに神聖な場所で、これは意味のある石。だからと言ってパワースポットでもないし、言われのない不敬なことをされる由(よし)はない。」
ボランティアでずっとガイドをしていると言われた、そのおじ様は、そうお話された。そしてつづく。
「初めて私がこの遷宮に参加できたのは、昭和28年、15歳の時だった。」
「戦後すぐですね」
「そうやな。学校で級長していた私が代表で校長先生と参加した。」
ここで聞き役を彼女にバトンタッチする。
こう言う時は若い女性が聞くこと、相槌をうつこと、笑うことで、話は泉のように湧いて来るもの。
託した。
「遷御の儀のとき、鶏を連れていく。鶏の鳴き声で、式が始まるならわしになっているからだ。でも時間が時間だから鶏は鳴かない。だから神官が鶏の変わりに鳴きまねをする。カケコー、カケコー、カケコーと三回。」
そして遷御の話をしばしして下さった。
地元の生き字引のようなその方に、戦後最初の遷宮の話を思いがけず聞くことができた。
そう伝統は継承され、かつても確かにここで行われていた。
そのことを口伝(こうでん)で伝え聞くことで、時の流れや質感を感じることができた。
TV、ネット、本、媒体は進化し、情報はリアルタイムで共有されるようになった。
ただ、ヴァーチャルな間接的な情報の域であることに変わりはない。
一方でLive(ライブ)は、その文字どおり生き、活きている。
人の五感も脳も魂も、想像以上に感じ、理解し、響いている。
こうやって体験はDNAに記憶されていく。
命の連鎖がつづく中で、守られるべき物語は、無形、曖昧にもかかわらず、漠然としていながらも確かに存在している。しかもそのイメージは大きく。
物語の舞台、物語を語る人、物語を紡(つむ)ぐものたちが、ここ伊勢にはある。
そのおじ様に、「記念に一緒に写真を撮らせてくれませんか?」というと、
「わしは、いい、そんなもんじゃない」と言って、そそくさと私たちから離れていった。
せめて名前だけでも聞けばよかったね。と話ながら、私たち二人は亀石橋を渡った。