スメラ~想いをカタチに~

スメラは想いをカタチにするコミュニティーです みんなの想いをつなげて大きな輪にしてゆきましょう

【今と60年前、橋わたる】

2013-10-23 12:59:06 | 【ごあいさつ】
外宮のお参りが終わると、風宮、土宮、多賀宮の参拝に向かう。

歩を進め、橋に向かう途中に、四方1メートルのしめ繩に囲まれた小さな一画がある。

そこには幅30㎝ほどの石が三つ、重なるように鎮座している。

しめ繩がなければ見過ごしてしまいそうなその石は、ここ10数年で有名になった。

近年のスピリチュアルな流行から、そこはパワースポットという代名詞で括(くく)られるようになった。

そのパワースポットという言葉の力も手伝って、参拝する人たちは、その石に手を翳(かざ)したり、手を合わせたり、おさい銭を置いたりする。

私たち二人も例に漏れずその石を見に行く。

「ここが、パワースポットって言われてるところだよね。このしめ繩、3年前あったっけ…」

と言っていると、

「ここはパワースポットではない。」

隣に並んだ、品のあるお爺さんが話を始めた。その声は静かだったが、語気は強かった。

「この石のある場所は、遷宮の式の時、ここから遷ずる品々を並べて、この場所でお祓いをして、浄めるところなんや。」

「数年前、時の総理大臣だった麻生さんがここに手を翳し、この場所の重要さに触れたのが大きく広まったきっかけ。それからパワースポットっという言葉が一人歩きして、こう言う風に賽銭を置いたり、変に弄(いじ)ったりする人たちが増えたんよ。」

「ここは確かに神聖な場所で、これは意味のある石。だからと言ってパワースポットでもないし、言われのない不敬なことをされる由(よし)はない。」

ボランティアでずっとガイドをしていると言われた、そのおじ様は、そうお話された。そしてつづく。

「初めて私がこの遷宮に参加できたのは、昭和28年、15歳の時だった。」

「戦後すぐですね」

「そうやな。学校で級長していた私が代表で校長先生と参加した。」

ここで聞き役を彼女にバトンタッチする。

こう言う時は若い女性が聞くこと、相槌をうつこと、笑うことで、話は泉のように湧いて来るもの。

託した。

「遷御の儀のとき、鶏を連れていく。鶏の鳴き声で、式が始まるならわしになっているからだ。でも時間が時間だから鶏は鳴かない。だから神官が鶏の変わりに鳴きまねをする。カケコー、カケコー、カケコーと三回。」

そして遷御の話をしばしして下さった。

地元の生き字引のようなその方に、戦後最初の遷宮の話を思いがけず聞くことができた。

そう伝統は継承され、かつても確かにここで行われていた。

そのことを口伝(こうでん)で伝え聞くことで、時の流れや質感を感じることができた。

TV、ネット、本、媒体は進化し、情報はリアルタイムで共有されるようになった。

ただ、ヴァーチャルな間接的な情報の域であることに変わりはない。

一方でLive(ライブ)は、その文字どおり生き、活きている。
人の五感も脳も魂も、想像以上に感じ、理解し、響いている。

こうやって体験はDNAに記憶されていく。

命の連鎖がつづく中で、守られるべき物語は、無形、曖昧にもかかわらず、漠然としていながらも確かに存在している。しかもそのイメージは大きく。

物語の舞台、物語を語る人、物語を紡(つむ)ぐものたちが、ここ伊勢にはある。
そのおじ様に、「記念に一緒に写真を撮らせてくれませんか?」というと、

「わしは、いい、そんなもんじゃない」と言って、そそくさと私たちから離れていった。

せめて名前だけでも聞けばよかったね。と話ながら、私たち二人は亀石橋を渡った。

【幸先(さいさき)】

2013-10-08 09:37:04 | 【ごあいさつ】
9:00過ぎの伊勢は、もうすっかり暑かった。

駅に到着すると、礼服を着ている人がちらほら目立つ。

今回の遷宮に当たってはジャケットにネクタイ、革靴で準備していた。

ワイシャツは卸したてのシャツに袖を通した。

前日の夜、遅番で22:30に家に帰り、慌ただしくスーツを脱ぎ、さささーっとシャワーを浴び、またスーツを着た。

「それで行くの?わたしは普通でいいのかな?」

彼女は少し不思議そうだった。

自分もまた、なんでここまでするんだろうと内心不思議だった。

外宮にはバスで移動するが、バスを待つ列には正装の方たちが少しいた。

これでよかったんだと、心で頷いた。

外宮のバス停を降り、信号を渡り、その境界に入る。

ジャリッ。

という玉砂利を踏みしめる音を合図に、神域に入っていく。

空は高く、陽射しは強い。

そんな中、最初の鳥居をくぐる前に、写真を携帯で撮ろうとする。

すると、綺麗なOLさん風の女性が「写真撮りましょうか?」と声をかけてくれた。

到着してすぐの優しさに、心が解きほぐれ、それだけで来てよかったと思えた。

お互いに写真を撮り合い、お伊勢参りは美しく始まった。

一礼をして鳥居をくぐると緑の木々に包まれる。陽射しは、木漏れ日となって、優しく、木陰は上がりゆく気温を下げ、風は心地好く気を浄化していた。

木々の匂いが、より身体と気持ちを軽くした。

外宮の遷宮は10/5の土曜日。

ただ準備はもうすっかり整っており、新しいひの木の香りがしていた。

新旧のお宮が並んでいる。

新宮は囲われており、中は屋根しか見えないが、かわぶきの甍も、梁や柱の檜木も新しい息吹を放ち、然としてご神体を待っているようだった。

その新しい息吹は、その新しさが故、いまだそこには深みがなかった。

その隣には20年の祈りと自然の寵愛に育まれた、馴染みある外宮があった。

豊受大神、天照大御神をはじめ、伊勢に集まった神神達の食を司るところ。

神の存在を奉る内宮。

その存在のエネルギーを奉る外宮。

その関係性は相身互い、わかつことができないもの。

外宮には農、漁業に携わる方たち、商、ビジネスに関わる方たちが豊作、商売繁盛を祈願してお参りに来られる。

それは、この大きなエネルギーや、その内外宮の循環の良順な流れを享受するため。

そしてお伊勢参りの順番も外宮を参拝してから内宮へお参りする。

外から内へと。

その順に倣って、手を合わせる。

この20年で通算6回、3年半ぶりの参拝になる。

そしてこのお宮とは今日でお別れ。

前回のチベット、中国の旅の御礼とこれまでの感謝をお伝えする。

少し離れたところで写真を撮る。

伊勢神宮には125のお宮がある。もちろん全部を回るわけではないが、次に向かう。

小さな川の支流から、大きな河川の本流に入った気がした。

「よし、一つ。」

先に歩を進める。

ジャリッ、ジャリッ、ジャリッ、と。

【行きつ戻りつ】

2013-10-03 18:08:16 | 【ごあいさつ】
AM6:30、定刻通り到着。


名古屋、東海地方は快晴だった。空はかーんと澄み、青は冴えざえと映え、絶好の遷宮日和となった。

20年前は雨から始まったから、今回はスタートから幸先がよい。

バスから近鉄に乗り換える。

特急で宇治山田までの切符を買い、朝食に天むすを買った。

7:14発。約2時間の列車の旅。

桑名、四日市、津と懐かしい駅がつづく。途中左手に長良川河口堰が見えた。

20年前は、夜間部の大学生、昼間はある放送局の報道に属し、カメラマンアシスタントの仕事をしていた。

東海地区では愛知、岐阜、三重をカバーしていたので、取材で三重は時折行っていた。

止まる駅での取材が思い出された。

伊勢に向かいながら、記憶は20年前に戻っていく。

今と過去が行きつ戻りつし、これからの起こることの受け入れるキャパシティを、少し大きくして行った。

式年遷宮も取材で行ったことで初めて知った。

久々の天むすを食べ、エネルギーをチャージする。

宇治山田はもう少し。

彼女がうとうとし、気持ちよさそうに寝息を立てている。

昨日眠らなかった分、眠くなる。

いつもならとっくの昔に落ち、まどろみ、鼾(いびき)の2つ、3つはかいていただろう。

ただ日常とは違う非日常が、眠らせなかった。

今日という日が特別であることを身体も自覚していた。

まもなく宇治山田に着く。

13:00には一般の参拝は終わる。

時間はまだある。

まずは外宮へ行こう。

列車のアナウンスがなる。

「まもなく宇治山田、宇治山田、お降りの方は忘れ物のないようにお気をつけ下さい」

彼女が目を覚ます。

忘れ物のないように降りる準備をした。

記憶も含めて、忘れ物はない。

流れに乗ろう。

【あれから、それから】

2013-10-02 08:17:59 | 【ごあいさつ】
今、夜行バスに揺られている。

台風22号の影響か、外は雨。

これから首都高を経由して東名高速から名古屋に向かう。

あれから3年半ぶりに、伊勢に向かう。

あの時はチベットへ行く前の祈願を込めて正式参拝をした。

そしてまだ出会ったばかりの彼女をつれての初めての遠出でもあった。

満州理でプロポーズを決め、成田のバスでYesを貰い、今。

籍を入れたかといえば入れていない。

式をあげたかといえばあげてない。

形式上は3年半前と変わりない。

進んでいない。

その彼女とまた伊勢に行く。

行く3日前に些細なことで喧嘩した。

不穏なムードが支配し、一人で行く気配が何度となく漂った。

今度ばかりは久々の独り旅かと。

でもそれは自分らしいと言えば自分らしかった。

一人でも行くことは決めていた。

「独り」という言葉に時計の針がぐんと巻き戻った。

なぜこのタイミングで伊勢神宮なのか?

と言えば、20年に一度の「式年遷宮」があるからに他ならない。

10/2が内宮、10/5が外宮で式典が執り行われる。

ほぼ毎日に近い数の祭司を行っている伊勢神宮だが、今年はまた特別な年に当たる。

式年遷宮は持統天皇の代から1300数十年に渡って続いてる伝統行事。

戦国時代や先の大戦下を除いては、20年に一度、欠かすことなく継続されている。

数百億円の寄付金を募り、20年という時間をかけて準備され、1300年という歴史の中で、熟成されていく。
そこには習慣の力があり、継続の力が働き、文化という根を深く張り巡らす。

神様と自然と人が調和を織り成す。

伊勢神宮のありようは、

大和の国、日出ずる国、神話の国のシンボルであり本質。

日本のアーキタイプ、原型。

なぜ伊勢に行くのか?

それはこれからの自分、そしてこれからの二人が、この遷宮のように、永久に護られ、次世代にしっかりと受け継がれていくようにという想いがあったから。

一個人がこの伝統ある遷宮を、傍から眺めるだけのことだが、それでもその日、その場所に身を置きたかった。

できれば二人で。

たとえ一人であったとしても、伊勢の遷宮の力を自分の中に取り込みたかった。

彼女の弟の結婚が決まった。

それは突然のようにも見えたが、二人の間では自然の成り行きとタイミング。

今までも周りの友人知人同僚が、結婚したり、出産したりがつづく。

結婚すると言って一年目、みんなも、いつなのどうなのと声をかけていたが、いつしかその声はなくなってきた。

そして、弟結婚の報は、決定的だった。

焦っていた。

二人とも。

だから伊勢の遷宮だった。

狭いシートの夜行バスは、浜松、豊橋を過ぎ、もうすぐ名古屋に着く。

少し背中が痛い。

前の席の彼女が、静かに寝息をたて丸まっている。

東京は雨だったが、名古屋は朝日が昇っていた。

もうすぐ、名古屋だ。