スメラ~想いをカタチに~

スメラは想いをカタチにするコミュニティーです みんなの想いをつなげて大きな輪にしてゆきましょう

【笑顔(2)】

2010-06-09 10:30:22 | 【チベット・満州・中国の旅】
偽満洲故宮博物館。

そもそも偽って何よ?って感じです。

日本語の解説文もあり、ワイヤレスの説明スピーカーがあったので、言葉にはまったく苦労することはありません。

でもなんていうのかな、何だったのかな、満洲国って。

傀儡、傀儡と言ってるけど、確かにそういう側面もあったかもしれないけど、そんなにひどかったのかな?
騙していた、欺いていた、言いなりになっていた・・・そんな言葉ばっかりです。

寂しくなりました。

そもそも中国という名前もまだここ最近なんですよね。70年ぐらいかな?中華民国時代も入れて。
満洲というのは満洲民族が建てた征服王朝。1612年の後金の時代からです。明の次の時代ですね。中国って今回動いてわかったんですけど、とんでもなくでっかいのです。55の民族がいる多民族国家なのです。4000年の歴史の中で、様々な民族が入れ替わりで王朝を築いてきました。覇権社会なので、強いものが残って来たのです。
もちろん漢民族が人口多くて、歴史も長いのだけど。
そもそも多民族で共存共栄していくことという思想はあったかなかったかはわかりません。でも自分が思うに、思想ではなく生活はあったと思います。多民族多様な文化をどこかで受け入れ合っていたところはあると思うのです。根拠はありませんが、でなきゃこの国で生きていけないと思ったからなんですけどね。少なくとも、食文化と経済、お金の流れみたいなものは、ある程度のバランスや協調、調和がないと定着しないのです。

列強の帝国主義(植民地拡大)の流れの中で、清という大国がターゲットになり、脆くも崩れてしまった。中国が分割されていく。その一端をもちろん日本も担ってます。そんな中で、国民が黙ってるはずはありません。愛国心が生まれて来る。国民党と共産党の国共合作で、敵国日本をつぶそうとなるのはわかります。

でもその後どうなるかといえば、共産化が加速していきます。文革の時には宗教は毒になり、民族は一様に国家への忠誠を誓う人民になります。
別に悪くはない。でもその影で、民族は縮小され、宗教も制限されていきます。それは国が選んだことなので、しょうがないといえばしょうがない。

ちなみに満洲国なんてせずに、日本の満洲県にしたほうがわかりやすかったのかもしれません。日本が突っ走って、そうすれば。←ひどい発想です・・

でもそんなことは出来ないに決まってる。
思うに、満州民族の今までの中国の歴史を踏まえた正統の皇帝を建て、新しい国家を作ることは、当時の状況を考えると画期的なことだったと思うのです。
ともあれ、皇帝の血は途絶えました。もちろん満洲民族は残ってますから、系統としては残っているわけだけども。単純に血が途絶える。それも国の成り立ちを作っていた血族の。
これは覇権社会のなごりではないかと、子供を残さず、末代までの怨恨をここで根絶やしにするということ。ではないかと思うのです。

ことの真偽はよくわかりません。

でも日本でいうアイデンティティと中国のアイデンティティって違うような気はします。
偽者、傀儡・・・中国の方たちの歴史の反省なのでしょうか。こうならないようにしましょうということなのでしょうか。征服される、征服する歴史を常として繰り返してきた国としては、なんだか1面的な捉え方のような気がします。
とにかく敵を作るという。そんな感じがしました。
もっとグローバルにみれば新しい歴史観できると思うんですよね。人類史みたいな。
そこから見れば、少なくともそういう言葉たちは出てこないと思うんですよね。

確かに自分たちの先輩たちがしてきたこと、反省します。ってのもわかるんですけど、何かもっと別の言葉や違う表現方法ってあると思います。
俯瞰した歴史認識。別にやったことが全て正しいなんて思ってません。悪かったことを謝りませんと言ってるわけでもない。でも何が間違っていたのか、何が問題だったのかは、今一度、今一度検証されるべきではないかと思いました。

この偽満洲故宮の歴史観で、未来は拓けない。そう思いました。主観です。
気を悪くされた方がいましたら、そこは謝ります。ごめんなさい。

つまりは傷ついたってことなんですよ。すごく。すごく。
でも戦争って言うのはそういうことだったんでしょうね。手段を選ばず、人をあやめる。
今ね、すごく悲しいんですよ。

どこでこれを書いてるかといえば大連行きの電車の中なんです。
PCで書いてるんですけど。5人がけ向かい合わせの硬座でみんな中国の方なんです。
そしたらこの5時間ずっと話なんかできなかったんですけど、机なくて窮屈そうだからって、小さい机のあるスペースを譲ってくれたんですよね。

こういうことが、大事なんだと思うんです。前提に愛ありきの歴史観。自分たちは、ある方向に向かっています。

これが、この数日の中で笑顔ができた瞬間でした。
そう寄席にいったときも楽しくはあったけど。
湧いてくる笑顔ではありませんでした。

今少し笑顔ができた。
もう忘れてしまったかのような人間性。
笑いは人間性の中でも、本当に素晴らしいものだと思うのです。

離れていた自分が、少し戻ってきました。
笑顔が出来る。

こういう方たちもたくさんいるのです。
人間の欲求には愛されたい欲求と同時に愛したいという欲求もあります。
自分なりであるけれど、この国に敬意を表わしたいし、仲良くしたいと思っています。桜のことだってここにつながっています。

自分たちにできることってなんだろう。
昨日は天安門事件から11年の日でした。

今日は祖母が若い時代を生きた大連に行きます。

もう少しで旅は終わります。

最後まで、自分らしく、自分のままで。

【笑顔(1)】

2010-06-09 10:15:11 | 【チベット・満州・中国の旅】
長春二日目の夜、寄席に行きました。
当然中国語。意味はまったくわかりません。
笑いたかったというのもそうですが、笑いの中に身を置きたかったのです。

長春に着いたのが6/3の21:30過ぎ。夜です。
日はとっくに暮れている。
電車の中で前に座っていた男性が少し英語が話せて、駅に降りるまで一緒にいてくれました。でもずっと一緒という訳にも行かないのでほどなくお別れし、一人で宿探しです。

宛てはありません。

たくさん客引きが来る、道はよくわからない、暗い。自然と眉間にしわが寄る。全身から警戒心のオーラを出す。自己防衛の本能が疼く。
もう頼るべきは旅の嗅覚のみ、多少お金はかかってもできるだけ安全な場所を確保したい欲求に駆られます。
そして見つけました。1泊138元。
ネットも使えるという事で、もう決めちゃいました。デポジットで300元の前払いです。その説明も丁寧ではあるんだけど、最初は意味がわからなくて困りました。

言葉の壁を楽しむ余裕はすっかりなくなっています。いらいらしてきます。

なんとかチェックインして、部屋に戻りシャワーを浴びます。近所の夜店で、ビールとさきいか、ポテトチップスを買って、部屋で一人飲み。ふて寝。

荒んだ感じです。
疲れが出てるなというのがわかります。それは肉体というよりメンタル。

翌朝、次の行程を考えます。出来れば、長春を夜出て、翌朝大連に着けば宿代も浮くのでそのコースを考えていました。
なので切符を買いに駅まで繰り出します。
すると今までほっておいたいろんな我慢が噴出してきました。
もはやそれを、文化の違いだと受け入れる器はなく、直接自分の神経にまとわりつくようにはりついてきます。

いらいらしてるのです。
そして暑い。気温が31℃。真夏日です。

切符は土日の切符ということで、夜行はあいていません。時刻表を見ては並び直すのです。翌日というか土曜日中につけばいいだけなのに何十分もかかります。
あるとき、察してくれた方が、英語を話せる担当の方を案内してくれました。担当の方が変わると・・ものの3分です。本当に感謝と同時に、第二言語が母語のように思えてくるのです。そんなに話せる訳でもないのに・・

駅のファーストフードのお店でまた横はいりと、店員の接客に腹をたて、店をでます。

もう完全に自分が自分から離れています。

ホテルに戻ってから翌日が朝便になったので、延泊の話をしますが、なかなかスムーズにいかない。なんとか話をまとめて、部屋を移動して、もう出かける気が失せた自分は、またふて寝。起きては、NETサーフィン。グダグダです。

長春はぜひ来たかったところの一つでした。旧満州の首都新京です。この1日しかない。なのにもう時間を無為に過ごすばかりです
ブログの更新もしたくない。メールチェックもしたくない。
自分には、こういうテンションの日があるのです。
目も当てられない自分。

このままでは、長春が台無しになるということで、動き始めたのが14:00過ぎ。
偽満洲故宮に向かいます。今日はもうここ1ヵ所だけだ。
17:20には閉館するので急ぎました。

ところがこういうときには、なぜか迷子に。道を聞いても教えてくれない。
完全にネガティブのデフレスパイラル。もう39年近く生きてるので、こういうテンションがあるのはわかっているけれど、わかっているからといって、ここをどう乗り越えるかは、1回1回違うのです。
とにかく時間がないので、地図と人を頼みとするしかありません。
右といってるのか、左といってるのかわからない。右は右でも、右に曲がるのか、右側にあるのかで全然違ってくる。なので、地図に照らし合わせて想像しながら聞くのです。
歩いていける距離にある故宮なのですが1時間ちょっとかかりました。疲れた。

やっと故宮です。

そしてこの低いダメダメな自分に、ハンマーで頭をぶん殴られるようなとどめを、ここ故宮でさされるのです。

【美しき街ハルビン】

2010-06-09 02:55:10 | 【チベット・満州・中国の旅】
ハルビンに着いたのが11:00を回っていました。

実はもう残りの日程がカウントダウンに入っていて、旅程を変更することにしました。
訪問予定地の瀋陽を外し、移動も早めに動いて、7日には北京に入り、確実に帰国を視野に入れたスケジュールを組み直しました。

かなり忙しくなります。

今日まさにハルビンに着き、夜にはここを出て長春に着き、1日滞在してすぐ大連に向かいます。大連からは船で天津に向かう予定なので、各地ゆっくりしてる時間があまりありません。
ほとんど移動ばかりですね。でもしょうがない。

ってことで、ハルビンに着いて最初にしたことは長春までの切符を買うことです。幸いすんなり買えました。そして両替です。偽札の件もあるので、確実てっぱんの中国銀行へ。これまた本当にめずらしくすんなり。おかげで予定していた時間よりゆとりができました。

今回の旅は、戦時中の日本人の足跡を辿るというのが目的です。
そこで地球の歩き方にある、日本人が昔住んでいたところ、建てた建物を中心に散策します。
基本は歩き。てくてく、てくてく歩きます。

すると、あります。1900年代前半の建築物。イメージとしては、日本の国会議事堂、日本銀行とか、ピンポイントですが、名古屋にある愛知県庁、名古屋市役所の旧庁舎、旧裁判所でしょうか(すみませんローカルな話で)。
古いんですが、今でもしっかりとしてて、100年近くたった今もその佇まいが残っている。しっかりと。どっしりと。

そして旧日本邸宅地域も歩きます。すると感じる。
かすかにですが、日本を。わずかに、そこはかとなくですが、そこに「いた」感じがするのです。それはこちらに来てからはじめて感じる感覚でした。
満洲里ではない。日本の香。もちろんそこには中国の方が住んでる訳で、戦後66年経ってる訳で。感覚に過ぎないものなのですが、残るんですね。残像、残照、名残り。そこで生活してる人がいました。
歴史の中では決してよくは捉えられていない満洲国ですが、大陸に日本人は生活してました。

それは歴史を学ぶということではなく、歴史を感じる作業。自国の歴史と自分をシンクロさせる瞬間。
なぜにこんなにも今旧満洲なのかはわかりませんが、想いにそっていったら、ここに来ました。その答えはこれから出てくるのだと思います。

順調に進んで、時間ができたので、中央大街に足を伸ばしました。ここはもうガイドブックにも書かれているハルビンのメインストリート。
1900年初頭に、鉄道敷設に伴い。街づくりを当時の帝政ロシアが設計しています。先ほどの日本を喚起する建物もそうですが、インフラというか、街のつくりだとか、建築物というものは歴史と名が付くくらい根付くのです。

そして美しかった。

今の都市開発と融合して、伝統、歴史と新しさ、美しさ、便利さが調和しているのです。通りは石畳の歩行者天国。車の危険もなく、安心して気持ちよく街を楽しめるのです。
ロシア調の建物のなかZARAがあったり、NIKEがあったり、買い物が楽しくなりそうです。ハルビンビールのイベントがやってたり、ワールドカップのイベントがあったり。ものもしっかりしてて、バランスと美しさの観点で言えば、ハルビンの中央大街は町並みで言うと、今までの中国の中で一番といえます。
滞在時間が短かった割には心地のよい時間が過ごせました。

去るのを惜しみつつも、駅に向かいます。

そう長春に向かうのです。
慌しくも旅を進めなくてはいけません。

Go forward!

2時間ちょっとの電車の旅です。

【何はなくとも満洲里(2)】

2010-06-03 17:05:17 | 【チベット・満州・中国の旅】
resine,ってどういう意味?
日本の総理大臣がresineって、どういうこと?

中国のニュースの1番TOPで、鳩山総理大臣が出ています。

やめるのか・・・
またか。

そのニュースでもキャスターの人が言っていました。

日本の総理大臣がこうも早く変わっていくのは、何かしらの利益があることなのでしょうか?

そしたら解説の方がこう言うのです。
それは習慣なのです。と。

英語なのでよく聞き取れませんでしたが、習慣はないでしょう。
でもそう写っても無理はない。

鳩山さん→麻生さん→福田さん→安部さん→小泉さん→
この数年でころころ変わる。

国際政治から見れば、信用はなくなります。それは当然です。
外交は時間がかかるもの。なので属人的な、この人ではだめだという仕事ではよくないかもしれませんが、宰相としての人の器、外交力・交渉力というのは、やはり人の力によるところが大きいと思います。
この国だからと、この人がだからと、そういうこと。
その辺を自覚してる政治家っているのか疑問です。

小泉さんのしたことを私は評価してませんが、それでも外交上は非常に安定していた政権でした。サミットでもしっかりポジションをキープしていました。
今回は政党も変わり、諸外国が、今後日本と交渉する時に、人、政党、どこに向けて真摯な話をすればよいのでしょうか?

営業の仕事と比べてしまうと至極恐縮なのですが、担当者が変わるというのは、双方にとって、すごくストレスになる。関係性をイチからつくる。大変なんですよ。

引継ぎができてるのか。引継ぎするときに上のものがでてきてしっかりできればいいのですが、得てして、なし崩しです。つまりは勢い、後任同士であとはよろしくです。お見合いじゃないんだから・・・なんて思います。

外交です。国という単位の。

なんとかなんないのかな。

朝、あの宿のおばさんが言うのです。「日本大変ね。」それくらいは言葉がわかんなくてもわかるんです。

恥ずかしいんですよ。ある意味自分ごとですから。

そんな中で、満洲里。
以前の日記で中国東北部への意気込み書きましたが、そんなテンションではありません。だってロシアの雰囲気が異国情緒で観光モードなのです。

夜の20:12発の電車までは時間があります。

ただ地図がない。地球の歩き方「中国」には、満洲里はないのです。
目的がないのは、行く場所がないのは結構、手持ち無沙汰です。
あんまり遠くにも行けないので、1箇所だけということで、満洲里博物館に行きました。しかもタクシーに乗って。
やっぱり歩きは無理な距離でした。タクシーで正解。外か見ていると、ロシア調のモニュメントやら銅像やら建物やらマトリョーシカやらが見えてきます。


わくわくしていくと、お休みでした。

というか、普段やってんのかな~。
国家特級施設AAAAとなってるんですけどね。おとなりの体育館も完成イメージの絵はかっこいいけど、建設途中で止まってる。大丈夫なのかな・・・

というかどしようかな俺・・・

ともあれ、街に向かってしばらく歩きました。何度もタクシーのお兄さんに声掛けられて、まあまあの人の時にタクシーに乗りました。
テンションやや下がり気味です。
しばらく歩くと、わかってきます。建物はロシア風でも、やはり経営は中国側。
国境の経済特区なので、国際都市の赴きもありますが、一部なんですよね。自分が地図もなく、限られた範囲しか見れてないというのが大きいとも思いますが、印象はそんな感じでした。
買い物や服、雑貨のバイヤーさんが来るなら、間違いなく面白いと思います。豊富で多様でおそらく安い!
でも買い物の用がない自分は時間をもてあますのです。

ここに来た意味はなんなのか・・・

その時、一つあることを閃きました。
そして人生で大事なことを一つ決めました。
それはおいおいご報告ということで、でもその準備が満洲里で出来ました。

満洲里はもう忘れられない土地になりました。
個人とその土地の関係性は、その個人の歴史にどうその土地が関わったかにあると思います。
満洲里は私の歴史と関わりました。

そこにかつての国の歴史を超えて、この土地に対する私の新しい想いです。

こうやって様々な想いの積み重ねが、負の歴史を超えていくステップになっていくのでしょう。
ともあれ、気持ちとして、かなり前向きになれた私はまたまた浴場へいきました。ホントに欲情すんですよ。なんででしょうかね?
広いお風呂、サウナは毒を芯から搾り出します。
これで身も心もスッキリです。

あとは電車の時間まで、お茶してます。
3杯もお代わりしました。うたた寝もして、気持ちよかった。

そして時間も来たので駅へ。
電車に乗るの慣れてきました。満洲里の駅は始発なんですが、北京や成都と比べると、人が少ないのです。だから周りを見るゆとりもこころのゆとりもあります。

今から16時間の電車の旅です。
何はなくとも・・・ときましたが、自分に残したものは大きい。
自分史が進んで何十年後かに、この地を思うとき、とても懐かしく、大切な土地として思い出せると思います。

次はハルビン。忙しくなりそうだから、今夜はゆっくり休もう。

おやすみなさい。
帰国まで後7日です。

【何はなくとも満洲里(1)】

2010-06-03 16:59:20 | 【チベット・満州・中国の旅】

ハイラル(ホロンバイル)を抜けると、時折、見慣れないカタチの建物がちらほら。
ロシア様式です。

同じコンパートメントのおばさまたちもハイラルで降り、一人で満洲里まで行きます。
ほんの2時間ですけどね。

満洲里に着くと迎えてくれたのが、日差しと暑さです。緯度としては秋田ぐらいだったと思います。車窓の風景も北海道の草原っぽかったので、長袖着て、気合入れてたんだけど、的外れでした。

暑い。すごく。

着いて最初のチャレンジが、切符を買うこと。
次の目的地と、時間さえ明確であれば、紙に書いて説明できるはず。
よし!と、切符売り場に向かいますが、その途中。
おば様に声をかけられます。宿の客引きですね。

切符、切符、集中、集中。

おばさま、切符売り場まで着いてきます。売り場に行く前に、慣れたように、時刻表のところにこっちこっちとナビゲート。ん・・・的確だ。
翌日の夜行便の2本にターゲット絞り、並びます。おばさま、微妙な距離で見守ります。宿の話はもうしません。
そして自分の番が来ました。想定どうり、英語は無理。紙で説明します。
絞り込んだ2本の内、第1希望が消えました。
そこで、絶妙のタイミングでおばさまが助け舟。ハルビン、夜に出て昼に着けば問題ないと、言いたいことを伝えてくれる。ただそれだけなんだけど、それが言えないのです。

うまく切符買えました☆

満洲里-ハルビン 145元(2175円/ハードスリーパー)
20:12発-12:10着

でも、借りができた手前、おばさまの宿の話を聞くことにしました。
基本ライン、100元以内で、ネットができる。
すると、40元。ネット入れると50元。
わるくない。決めました。

こんなもんです。宿決め。いい加減なんです。

駅に近いアパートみたいなところに、いくつか宿借りしてるところがあってその一つでした。
トイレ共同、お風呂は銭湯。で、銭湯って何さ?
おばさま、ご丁寧にナビゲートしてくれました。宿から500m先にありました。そこは浴場でした。フフホトにあったやつです。まぁ、嫌いじゃないので、OKです。
汗を流して、洗濯して、ようやく街の散策です。

時計はもう18:00。
でも幸いまだ明るい。

満洲里は不思議なことに駅裏がでっかい☆
駅前はほとんど中国の方のエリア。これも産業を地元に栄えさせる一つの配慮なのかもしれません。

そしてメインの駅裏!わっ、外国!ロシアの街です。


建物も看板も人もロシア人が多い。

面白い。

売ってるものも違う。服、電化製品、みやげものなど。
もうこうなったら、ロシアに酔うしかない。
ってことで、晩御飯はロシアの看板のある店に。

食べたのは内モンゴル風の串焼きとご飯、それと中国のビールだったですけどね。

お客様はさすがにロシア人・白人の方ばかり。聞こえてくるのはロシア語です。お金もロシアの通貨が使える感じでした。

英語は使えません。

慣れない街の夜の外出は時折危険が伴うので、部屋へ戻ります。ビールが効いたのか、とにかく眠くなりました。
ブログチェックして、メールチェックしたら、電気つけたまま眠っちゃいました。

そして目が覚めたらまたびっくりです。

ここは満洲里なのに。。。

【タイムマシン】

2010-06-02 09:52:11 | 【チベット・満州・中国の旅】
フフホトを出て3日目の朝です。
今日の14:30には満洲里に着きます。

ずっと日本語話していません。
ショートメール送る時と、夢の中、そしてこの日記の中ですかね。
というか、言葉を話していません。言葉は知らないということは、ある意味言語障害に近い状態なのです。黙して語らず。

最初のころの新鮮な気持ちはどこへやら、だんまりです。
やることは日記と、本、車窓を眺めるそして食べるです。
いい瞑想でしょ?

晩御飯(カップラーメンとゆで卵)を食べてから、翌朝の6:00までずっと寝てました。10時間。よく眠れるんだ、これが!三段ベッドの一番上。ライトは煌々、なぜか館内放送のスピーカーが間近でうるさい、空調近くで寒い、にもかかわらず爆睡ですね。はい。
多分、日記と読書で疲れたんだと思うんです。結構気力を使うので。

読書、「ダライ・ラマはなぜ重要なのか?」(ロバート・サーマン著/講談社)を読んでます。

中国の電車の中で。少し危険なんですけどね。表紙カバーを裏返しにして、白い表紙で読んでます。小さい配慮ですね。

こういう本を読むときは潜るんですよね。海の中を潜る感じです。はい。
空気があるかないかわからないところを、素潜りしながら、足にフィンつけて泳ぎます。という感じで読むのです。なので疲れるんでしょうね。

そして、爆睡です。
夢をたくさん見ました。中学生のころの部活の夢、なぜか卓球や格闘技をしてる(本当は剣道部でした)。そして教員時代のつらい記憶、苦しい記憶。目覚めたら電車の中で、夢と現実が混在して、困惑しました。なんていったって、先生時代の悩みをかかえた状態で、どこかへ行ってしまいたい思いながら目を覚ましたので、まさにどこかへ来ちゃってるじゃんという感じでした。
過去を振り返ってもしょうがないんですけど、でもこうやって夢にまで出るのって、やっぱり想いを残してるからなんでしょうね。悔いです。悔い。
もう、全然大丈夫だと思ってたはずなのに。

・・・。

多分そういうことなんでしょうね。
消化できぬ思いはどこかで噴き出す。
そこは向き合うしかないんですよね。

今中国東北部、満洲里へ向かってます。
向き合ってきますね。歴史と。
何はなくとも。
その中で、また自分と向き合っていきたいと思います。

お天気は上々です♪
東京はどうですか?

タイムマシンは着実に満洲里へ、と。

【事件です】

2010-06-02 09:45:41 | 【チベット・満州・中国の旅】
満足で、店を出ようとキャッシャーへ行きます。
そして100元札を出しました。
1回、2回、チェック。すると・・・
別の100元を貸して下さい。
そして別の100元を同じく2度チェックしました。
今度は大丈夫とのこと。

最初に出したのは偽札だというのです。

難しくしないほうがいいと思い、とにかく払うべき金額を払い出ました。

心当たりは・・・
実はありました。このお金はラサのホテルで勧められた両替商の方にお願いにしたのでした。
念を入れて、中国銀行に行って両替したかったのだけど、桜を手伝ってくれているから、お勧めであるならば、関係性が密になるのであればということで、お勧めの両替商にお願いしました。

その時のお金だ。

よく触ってみるとわかるのだけど、やたらと新しい新札が1枚あって、つるつるしてるのです。その1枚だけなんだけど、確かに違う。素人の自分にわかるんだから、日々お金を触ってる方ならその感触でなんとなく、さらに機械では明確にわかる訳です。
ぞっとしました。

他のお金はどうなのか?
触ってみると、新しいのはその1枚だけであとは大丈夫そうでした。

来年のこともあるので、犯罪者にはなりたくない。
さてどうしたものかと考えました。
警察に届けるか、はたまたホテルにどうクレームを立てるか?
ただ、ややこしくしたくはない。自分は、満洲里に行く。

なのでこうすることにしました。
残りの1000元は満洲里で本物かどうかの確認をします。
例のお金は送り返すことにします。ちょうどホテルのカードキー持ってきていたので(こりゃまたこれで私の過失!)。一緒に。

それと学びとしては、きちんとした手続きを踏むこと、まっとうにいくことが、自分だけでなく、大切な人たちを守るということにつながるのだと思いました。
100元は授業料です。安いものです。

そして改めて思ったのは、想いをカタチにしていくには、強い想いが必要といううこと。意志と決意。
その過程の中で、自分の器をでっかくしなくてはと思いました。
日常の中で、旅の中で、揺さぶりはある。
その揺さぶりを許容する器を、この旅で作っていっているのだと思います。

そしてそれは帰ってからもつづきます。

この日記はフフホトから満洲里に向かう電車に乗って書いてるのだけど、少し北京や日本の田舎の風景に似てきました。今までと違って、山に緑が見えるのです。時に田園風景もあります。
どうやらこの電車に外国人は自分ひとり。
異邦人。
English man in N.Y ならぬ、Japanese man in China です。

電車のトイレ、ちゃんと水流れてくれないかな~。。。
(無理な願いなんだけど・・・)

【乗り継ぎ-フフホトにて-】

2010-06-02 09:38:51 | 【チベット・満州・中国の旅】
電車はAM08:40、フフホトに着きました。
内蒙古自治区の省都になります。

さて夜の20:43まで何するかな・・・荷物を預けて(7元/105円)、街を散策します。博物館、お寺などあるようですが、あんまりそそられない。
本当はここでしか、今しか見れないものなんでしょうけどね、そうしょっちゅう来る訳ではないのだから。

とりあえずのんびりしたかったので公園へ行きます。
かなり大き目の公園で中には遊園地がありました。
中央には民族解放の碑(毛沢東:筆)と書いた、高さが10メートル位あるモニュメントがありました。
いつ建ったのかはわかりませんが、そうすることが必要だったのでしょうね。

そして発見としてはその回りを、老若男女がローラーブレードしてるのです。フフホトでは大大ブレイクのようでした。ローラーブレード教室もやっていたし、。お爺ちゃんも気持ちよさそうにスイスイ滑ってる。ちょっとかっこよかったですね。
それと昔の歌声喫茶ではないけど、歌を歌っているグループが2,3組みありました。伴奏は胡弓とアコーディオンですね。これはおばさまたち中心で。
ちょうど日曜日といううことで、家族連れ、カップルがたくさん、フフホトの平和な休日です。

何もしないのもなんなんで、乗り物に乗りましたよ。わかるかな~バイキングみたいなのでぐるぐる回るやつ。前に後ろに揺れては、360度回る。特別価格10元(150円)。8人ぐらいで乗るやつなんだけど、一人でした。みんなに見られてこっぱずかしかったけど、結構楽しめました。それとポニーにも乗っちゃいました。馬が好きなんですよね、自分。ぽっくり、ぽっくり場内を回りました。
でもやっぱり一人ってものはさびしいものです。コントラストがはっきり出ますからね。

それでまた街をぶらりとすると、見つけました、中国に入って初のカフェ発見!
こちらの地区、内蒙古ということで、モンゴルのことばに引っ張られますが、実は回族(イスラム教徒)が多い地区でもあります。のせいか、なんかコーヒーがあるんですよね。時々。
カフェモカ頼んだらウインナーコーヒーが出てきました。25元(375円)こちらでは高いんですけど嬉しくて贅沢します☆
そこで日記をパチパチと打ちます。のっては来たけど・・バッテリーがなくなってきます・・
しょうがない、出るか。

といって出て、ご飯食べても14:30。いいかげん見るものもなくなってきます。
もう、足の赴くまま、気の赴くまま、歩きます。

すると、あっ!あれは!

「浴場」という文字発見☆欲情にまかせて吸い込まれるように行きます。

そこはサウナでした。そうおじさんたちがよく行くあれです。
アカスリと按摩つきのやつです。
昨日電車でシャワー入れなくて、今夜と明日の夜も当然シャワーなしなので、これは願ったりです!
入るのに少々手間取りましたが、入れましたよ、モンゴルのサウナ。
タオル、シャンプー石鹸つきで19元(285円)。
身体洗ってから、大きなお風呂にザブンですよ。気持ちいいーーー♪
ちょっと熱過ぎでしたが・・・(43℃)・・・
足伸ばしてお風呂入るのっていいですよねー。
サウナの入って、まさに絶好の時間潰しならぬ、時間活かし。っていうか、命の洗濯です。すっかりご機嫌になりました。

いいことはつづくもので、またカフェを発見!
しかも上島珈琲とある!王昭君ホテルの中に入っているだけあって、サービスもしっかりしてます。多分お願いしたからだと思うんですが、LANケーブルと電源借りれました。ありがたかった。乗り継ぎ先で、ネットができるのは本当に嬉しいのです。
今列車の中ですが、今までになくずっと圏外ですわ。チベットにいたときよりもひどいですね。
お茶でも食事でも何でもします。ということで、お茶と早メシで2時間いました。トイレも様式で、きちんと流れて、トイレットペーパーあって、本当に至れり尽くせりでした。快適な時間を過ごせました。
かなり満足で店にお金を払いに。

すると事件です。
そう簡単には問屋は卸してくれない。

(見出し写真はフフホトで発見吉野家さん。モンゴル語も書いてます。真ん中の写真はお昼食べたところ。うまかった。)

事件です。

【どうして満洲理へ?】

2010-06-02 09:28:20 | 【チベット・満州・中国の旅】
5/30(日)AM6:20、晴れ
昨日の昼過ぎに蘭州を出ました。
内蒙古自治区の省都、フフホトを目指しています。

北京から成都まで「春は夜汽車の窓から」のタイトルで日記綴りましたが、この列車、間違いなく、そのタイトルにふさわしい。

まず、空調がない。→もれなく扇風機が付いてました。
汽笛が鳴る。→999な感じ。
車内でタバコが吸える。→shige!すわない。
窓が開く。→寝台車・快速なのに鈍行の香り・・
足くさい。→かおる、におう!

今回のメンバーは自分を含め4人。自分以外はみーんな中国人。おじさま一人とおばさま2人でございます。でも一人は四角い白い帽子かぶってるので、回族、もしくはイスラム教徒の方でしょうね。何にも話してません☆
ファッションもローカルで、リアルでレトロ、ライブで懐かしい感じなのです。
これはすごく旅を作ってくれます。

内蒙古を経由して、満洲里へ。

なぜ満洲里へ、なぜ中国東北部へ?

それは、自分のおばあちゃん、祖母が、大連で十代を過ごしたからというのがあります。曾おじいちゃん、満州鉄道に勤めていました。そのルーツをみたいと思ったこと。

そして漫画ですね。村上もとか先生の「龍ーRONー」。

舞台が満州だったところが面白かった。
関連するのですが、その当時何が起こったのか、日本が何をしたのか、今どうなっているのか、それを感じたいと思ったからでした。

昨日の中国のニュースで、上海EXPOにパンチェン・ラマ氏が来場されたという報道がありました。パンチェン・ラマ氏は中国側が新たにチベット族の精神的支柱にしていきたいと目されている方で、今後のチベットを語る上では、見逃せない重要人物です。氏の認定には思惑も問題もあります。が、ともかく、2000歩譲って。ダライ・ラマ14世も会談を持っています。

そこにはなんとかしたいという中国側の想いがあります。

ただ関連して思い出してしまうのが宣統帝溥儀のことです。清朝最後の皇帝で、満州国の皇帝とされ、後にロシアに拘束、中国に戻ってからは、中国人民として生きた、ラストエンペラーです。

そこにも、なんとかしたいという日本側の想いがありました。

ポタラ宮に行った時に感じた、一抹の寂しさ。法王がいない。戻ってこれない。
あっているかはどううかはわからないのだけど、かつての日本が溥儀を皇帝にして、満州国を作った時の中国人たちの違和感とパンチェン・ラマ氏が代表としてある今のチベットの違和感とは同じうしなくても、相通ずところはあるのではないかと思うのです。

あっ、スイッチ入ったわ・・・

満州国は、五族協和(漢、満、蒙、朝鮮、日)、国家繁栄を謳っていました。民族差別のない、1900年代前半にしては、画期的で、20世紀ではスタンダードな考え方が盛り込まれていました。ところが実態は違ったし、中国の方の国民感情を見れば、そのやり方に問題があっことは歴史が語るところです。
ただ、方向性は間違っていなかったと思っているのです。アジアという単位、世界という単位で見れば、米ソを中心とした欧米列強に完全に飲み込まれる前に、日本ができる精いっぱいの予防線をはっていたと思うのです。
戦争がいいなんてまったく思いませんが、でも時代がそうさせていく中で、私たちの先輩たちは戦わざるを得ないなかで、戦ってきた。その上に私たちの命があることを忘れてはいけないと思っています。

賛否色々あるとは思いますが、大事なのはこれがどうしたいか?どうあるべきか?だと思います。

今回の桜は、自分なりのやり方。
そして、今一度歴史を振り返る中で、影の中にある、闇の中にある光を掬い取りたいと思っているのです。
何がいけなかったかを知る上で学ぶことがあるはず、何が足りなかったのかを知る上で得られる知恵があるはず、何が早すぎたのかを知る上で、必要な情報がわかるはず。

ちっぽけな自分ができることなんてタカが知れてますが、とにかく感じてきたいと思っています。
そしてこの電車。時間を巻き戻しさせるには最も適した演出です。

列車はもうすぐ、フフホトに着きます。

季節はなぜか春に向かっています。
少し肌寒くなってきました。

旅はつづいています。