goo blog サービス終了のお知らせ 

スメラ~想いをカタチに~

スメラは想いをカタチにするコミュニティーです みんなの想いをつなげて大きな輪にしてゆきましょう

【想いをカタチに】

2010-11-19 20:10:01 | 【チベット・満州・中国の旅】
飛行機は定刻どおり成田に着いた。
鼓動が激しいのがわかる。
ここでもなんども深呼吸という名を偽ったため息をうつ。

荷物を取って、ゲートを出たら彼女がいるはず。そしたら駆け寄ってすぐ抱きしめよう。それから、袖の中にある指輪を渡そう。
成田の検疫、入管までの距離はとてつもなく長いはず、なんだけど、なぜかあっという間についてしまう。
出国のスタンプが押され、いつもはなかなか出てこない荷物をなぜかすんなりと受け取り、自動ドアが開く。

するとそこには彼女がいた。
駆け寄り、周囲の目が気になりながらも、ぎゅっと彼女を抱きしめた。

さぞかし彼女はびっくりしたはず。なぜならずっと自分が離さなかったのだから。
理由は、抱きしめながら「どうしよー!」って思ってたから。
あまりにも長くなっちゃったので、離れて、ため息。

彼女、「おかえりなさい」
実はその言葉すら受け止められないくらい、どうしようと思っている自分がいた。そして「ただいま」とはいったもいののだんまりの自分。どうやら顔色が悪かったらしく、彼女はそれを疲れてるんだろうと思い、リムジンバスで帰ろうよと提案してくれる。

1度タイミングを失ったら次の作戦を考えるわけで、バス停でも気のない会話に上の空状態。久しぶりのご対面、それに付き合っても間もないわけだから、二人のペースは成熟していない。
ただ幸いなことに、リムジンバスに乗っていたの5人ぐらい。ガラガラだった。

そして意を決して切り出す。

「あのさ」
(沈黙)
「これからの生涯を二人で生きて行こう。結婚して下さい。」
そして彼女・・・

「よろしくお願いします。」

ちょっとフォーマルな返事に、誠実さと覚悟を感じた。
「ほんとにあたしでいいの?」
そういう彼女の奥ゆかさこそが一生をともにしたいと思わせる由縁。

彼女の手をとり、長袖に隠していた指輪をマジシャンのように取り出す。
左の薬指に指輪をはめる。すると・・

全然ぶかぶかじゃんんん!!!!

あれっ、あれっ、あれっ、と全部の指にはめてみる彼女。
まともに入ったのは親指だけ。
ははは・・・親指も悪くないんじゃない、なんてかなりきつめの思いやりあるフォロー。

二人にふっと笑いが生まれる。
一月ぶりに、唇が触れ合う。
緊張から解き放たれる。あとはもう、つもるみやげ話をざっくばらんに。
ぶかぶかの指輪のオチはまったくもって自分らしい。
つめが全然なってない。

想いをカタチに、そう思ってスメラをやってきた。

桜の植樹はできず、旅の目的は2転3転して、チベットで友だちを作るとなった。そして植える場所の選定までもいたらずでこれが旅の結果といえば結果。
それでもこの旅を総括するならば、more than perfect,パーフェクト以上の旅だった。

自分の想いに添って生きていくことが幸せの最短距離。

15年前の少し残念だった桜の旅は、15年後、かけがいのない出逢いをもたらし、引き付け、違う花を咲かせてくれた。
大切なのは結果ではなく、想いに添って生きていくことそれ自体。

魂はわかっている。どこに行けばよいのかを。
だからこそ、自分に素直に。心の声に耳を傾け、そして心の声と対話する。
ただそれだけでいい。

美和Fは言う。人は幸せになるために生まれてきた。と。
今も言ってる。

魂はわかっている。だから不幸にはなりえない。すべては自分の選択で自分が求めているもの。一見不幸に見えたとしても、それを通して、自分が成長を望んでいる。

想いは裏切らない。

想いをカタチに。それは果てしなくつづく。πのように。∞のように。

僕たちは想いを生きる。

これからもずっと。
これからもずっと。

【機上にて-成田-】

2010-11-19 19:44:11 | 【チベット・満州・中国の旅】
荷物をまとめ、LEOを出ます。

そこにはCHRISがいて、MARIがいて。見送ってくれました。
来た時は、空港までバスで市内まで来たけど、帰りはモノレールに乗ります。モノレールがあるとは全く知りまあせんでした。バスよりちょっと高めだったけど、快適・便利。最終日も全てが新しい体験です。

すると駅のホームで日本から電話が。
お客様からでした。帰ってすぐの土曜日に工事が決まっていた案件でした。

日本に帰る。その気持ちが高まります。

そして、その高ぶりは人生でもっとも最高潮になります。
それは満洲里まで遡ります。そうあのロシアの国境の街。

あの街で、決めたことがありました。

「指輪を買おう。」

満洲里のそこぬけの青空、もてあます時間、国境の街というシチュエーションが気持ちを駆り立てました。

プロポーズをする。

出逢ってから3ヶ月、付き合い始めて2ヶ月ちょっと。彼女のことよく知らない。彼女もまた、自分のことをよくわかってない。

それでもなお、この人と人生をともに歩みたいという気持ちは、光のボールとなって現れました。最初はテニスボールぐらいだったのが、バレーボールくらいになり、最後はボールの中に自分がいるぐらいになりました。

どうやって渡すかはずっと考えていたけれど、まだ考えている。なんて言おう、どういう演出で、どういう風に・・・・
緊張でため息を何百回となくつきました。

飛行機の中で緊張していたのは、どうやら、というかどう考えても自分だけでした。
刻一刻と時は過ぎる。
中国の旅は終わる。でも、一大イベントはこれから。

彼女は成田に迎えに来ている。
飛行機は順調に成田に向かっている。

光のボールは、自分を超えて、飛行機全体を包みこみ始めていました。

指輪をカバンから出して、袖の中に隠しました。

窓の外はスカイブルーの空と眼下には白い雲。
青い空、雲海の上を、光のボールは飛んでいました。
その光は、月からでも見えるように光っています。

アナウンスが聞こえてきました。
当機はまもなく着陸態勢に入ります。

シートベルトをお締め下さい。


【旅が終わらないー北京ー(4)】

2010-11-19 00:48:48 | 【チベット・満州・中国の旅】
天安門前のストリートはまさに中華帝国を思わせます。路面電車が行きかう石畳のあるストリート。2008年のオリンピック時にかなり整備が進んだようでした。通りの左右には、外資系ブランドのショップが左右に軒を連ねています。つくりは、トラディショナルなチャイニーズスタイル。

天安門はとてつもなくとてつもなく広く、そのスケールの大きさに幾度もため息が出ました。

紫禁城は故宮博物館として一般公開されています。

門一つとっても、とんでもなく大きい。時が時ならば、ここは皇帝の邸宅であり、執政が執り行われていた場所。
複雑な思いに駆られました。

かつての中華帝国の中心がこんなにも開かれている。

天安門事件やダライ・ラマ、今ではノーベル賞受賞者ですら、情報が閉ざされているこの国で、完全に手中にあるものに関しては、権威のコントロールが感じられました。手の内、手の平の上ならば、自由にしてもよい、むしろこれが私たちの器であり、大きさだ。寛容だと、物語っているようでした。

そう思いつつも、中に足を入れる。何万人という観光客の中の一人として。

天安門の前に大きな毛沢東の写真が飾られています。CHRISは毛沢東について、中国建国の本当に偉大な人だったと言っていました。ただ彼も間違ったしたことがある。それは・・・

といった後、自分が続けて「文化大革命」と言うと。彼女は、That's right!間髪入れずのレスポンスでした。

前日に見た京劇は、「さらばわが愛-覇王別姫-」の映画の中にある覇王別姫という演目でした。この映画の中でも文化大革命時の中国も描かれています。同性愛は当然のこと、京劇も虐げられていました。当時は「総括」せよ「自己批判」せよとの詰問に、毛沢東の正義の名の下に数々の逮捕と粛清が行われていました。疑わしきもの罰せられていました。山崎豊子の「大地の子」でもその当時が描かれています。

この時代のことを、中国人の彼女が間違っていたと表現したことに、希望を感じました。

なぜならそこに自由意志を感じたから。チベットのでガイドのTENZINは、ダライ・ラマのことを"political isuee(政治的案件)"といい、自分なりの見解を伝えることはしませんでした。それは、確かに観光客には話すべきことではなく、職を守るためにも、民族の本音を守るためにも、中国と折り合いをつけつづけるためにも、必要な回答でした。

文化大革命の是非というのをここで語りたい訳ではありません。ガイドのCHRISが、自分の見解を伝えてくれたこと、そして、中国共産党の全てを丸吞みに支持しているのではなく、自分の意思を持って、この国で生きているということ。そのことに希望を感じたのでした。

きちんと自国の批判をできることは、すごく大事なことだし、健全です。是か否かという次元ではなく。是か否かを話し合える自由がそこにあり、是という意思、否という意思を持てることに成長できる兆しや光を感じます。

紫禁城の入口に当たる、正陽門に上りました。ここは60年間開放されていなかった門で上海万博を記念して公開に踏み切りました。

門を上ると、CHRISは紫禁城のつくりと成り立ちをを話してくれました。その中で気になったのが方位のこと。

ここでは十二子、干支が方位になります。禰丑寅兎辰巳・・・。そして太陽の方位、星の位置に合わせて建築されています。魔の入る隙間はなく、天の気が流れやすくなるようになっています。自然や宇宙の力、天の力というものを理解して作られている。あらゆる寸法も、向きも、造り方に至るまで、理に適い、天に適っているのです。

背景に宇宙がある、底知れぬ大きな力を感じました。中華帝国というか、世界の中心として設計し、建築されています。そのヴィジョンの大きさには感嘆させられました。とてつもなく大きい領土、星の数ほどの人民、多様な民族を司る意思と責任を感じさせました。

門を出て、中をみてもそう。皇帝が歩く道、女官が住む場所、仕来り、礼儀があります。皇帝の座る玉座、これも壮麗でした。康煕、雍成、乾隆の時代、隆盛、栄華を誇り故宮、紫禁城は、世界の中心でした。

それは欧米、アフリカ、南米、オセアニア、中東は入ってないにしても、当時の版図からすれば、そう言っても過言ではありません。勘違いも、時代の様相で、常識になりえる。その時代の言語で語らねば、その気持ちも理解できません。

不思議なことに入口のセキュリティでは水、飲料水の持込は禁止されていたけれど、城内で高い値段で売られていました。熱いは、広いはで、午後を過ぎるとじわりと疲れてきました。

CHRISの解説は当然英語な訳で、全てわかるわけではありません。でもほんとに一生懸命やってくれました。短期の滞在でその土地の人と仲良くできることはそうありません。とてもありがたかった。

紫禁城の外に出ると、観光客向けの、皇帝のコスプレ写真を撮ってくれる写真館がありました。CHRISはしきりに、あれやろうとすすめ、年甲斐もなく着てみました。着てみると、これがなかなかでその気になります。

黄色い皇帝の正装をして、気恥ずかしさと同時に、かつての皇帝のことを思いました。

CHRISとはお昼を一緒に食べて、すぐお別れしました。

彼女にもボーイフレンドがいて、彼の話をし、こちらは彼女の話をし、互いの恋花で盛り上がり、ノーサイドで再来。

衝動は静まりました。

気持ちの揺さぶりがある中で、紫禁城。心の振り子の行き来が歴史に連動して心身ともにどっぷり浸かれました。

そして、楽しかった。

LEOに戻って、洗濯物をもらい、BARでメールをうちます。彼女に。

明日帰る。と。


【旅が終わらないー北京ー(3)】

2010-11-19 00:39:57 | 【チベット・満州・中国の旅】
また試されました。

So what's ?(だから何よ!)

旅は終盤の終盤。北京の物語はボーナストラック、だから別にただ楽しめばいい。ガイドさんが美しければ、流れに任せて食事したり、酒飲んだりがあってもいい。

本来なら。

でも気持ちの揺さぶりは極と極を振り子で動きます。気持ちがざわめいている。その事実が重要なのです。

実はここまで嘘をついいてきました。そこに悪意もよこしまな気持ちも何一つありません。
この期に及んで告白すると。

実はこの旅はずっと二人旅でした。

極があるからこそ、揺れる事実に意味があり、揺れの振幅に戸惑いとときめきが左右します。

旅に出るひと月前、全身を竜巻に抉(えぐ)られる経験をしました。身体の中を隙間なく、渦のうねりがグルグルと回り続けました。そこに極はありませんでした。その発振がどこかはわからりません。地殻のマグマから湧き出でる熱い溶岩が、その竜巻に間断なく飲み込まれていってました。

衝動。

いかんともしがたい。

「彼女」と出逢ったのです。

そこには予感も、運命も、ドラマも、演出もなく。

ただ出遭う。

そして、出遭って3回目の食事の後、三軒茶屋のJAZZ BARで、想いを伝えました。付き合う前から、中国・チベットの旅に行くことが決まっていました。いきなり二人は離れ離れになるのは承知のうえ。 

ところが、旅の祈念に伊勢のお参り行く時も、彼女は一緒に来てくれました。空港にも見送りに来てくれた。旅に行く前の二人は、互いを知るための初心者マークをつけた、カップルでした。一緒にいる時間の一瞬一瞬が、互いを知るための過程でした。

旅に出る時、連絡を取るのは、1週間に1、2回程度のものだと思っていました。ところが、この旅で、連絡を欠かしたことは1日たりともありませんでした。hotmail、ショートメール、電話そしてこのブログ。心を通わせました。旅のさなか、特にラサでは、桜の植える場所の行方に一喜一憂していました。そのときの気持ちのUP&DOWNを知っているのは彼女ぐらいのものです。時に、励まし、勇気付けてくれました。彼女なくして、この旅はなかったと言っても過言ではありません。

一緒にいた訳ではないけれど、まさに同行二人だったのです。

旅のもうひとつのテーマは、なぜよくも知らないこの人を、深く愛してしまうのかということでした。理由を知りたかった。

それくらいの存在がありながら、揺れた事実。

そこに動揺を憶えた訳なのです。

そして紫禁城に行きました。その人と2人で。

【旅が終わらないー北京ー(2)】

2010-11-19 00:30:17 | 【チベット・満州・中国の旅】
「これ、私にもある!」

話は迷子になって、LEOに電話したところまで戻ります。

迎えに来てくれたのは、CHRISでした。

彼女はLEOに向かう間に、地図が間違っていること、日本人もよく来ること、金額も値上がりしてること、部屋は3タイプあること、系列のホステルがこの辺にあることなど、流暢な英語で話しかけてくれます。

中国人でありながらも、英語をしっかり使いこなしている。卓球のラリーのような、会話が雑踏の中、心地よく繰り広げられる。

そして、部屋を見て、レセプションを見て、LEOに滞在するのを決めたとき、CHRISは冒頭の言葉を言ったのでした。

「これ」とは、イボのことです。

右手の中指の甲の方に、魚の目がありました。

「これ、薬つけても絆創膏つけても治らないよね。」

CHRISはとんでもなく美しく、可愛かった。その外面は完璧でした。ただその手のイボだけが、完璧さを失わせていました。それは、完璧をきらう、神様のジェラシーのようにも感じられました。

ただその1点の小さな曇りが、自分との接点となり、CHRISと自分をつなげました。彼女はLEOに勤めながら、将来はツアーガイドを目指していていて、仕事の合間に資格取得のための勉強をしていました。

レセプションで、京劇のツアーとともに、紫禁城のツアーはないか聞いてみました。残念ながらないよ。と受付のMARI。でもそのあとこうつづけました。

「CHRISならガイドできるよ。」

まだ資格はないけど、案内はできるということでした。ただ自分の母親をガイドした以外は一度もガイドしたことがない彼女。自信はなさそうでしたが、MARIの提案に彼女も乗り気になりました。

自分は彼女の可愛さ、フレンドリーさにもうすでに射抜かれていました。

ガイドの上手い下手ではなく、彼女に紫禁城を案内してもらえること、そのことが価値だったのです。

紫禁城、そこは明代から皇帝が城としてきたところ。あのラストエンペラー溥儀もそこに座っていた。そして生きていた。
中国史の中心を、巡る。そこを共に歩むパートナーがいる。中国人の方に案内してもらえる、そしてそこには何かしら含みも感じました。

CHRISは5年前勤めていた派遣先の同期と似ていました。背格好、髪型、惹きつける眼差し、出過ぎないが、秘める野心になぜか清潔さと透明感を感じました。

その同期の彼女には、契約満了の最終日、当時お互い彼、彼女がいたにもかかわらず、池袋の駅のホームで告白しました。それがルール違反とわかっていても、どうにもならないこととわかっていても、打ち明けなくてはならない衝動が湧いたのです。ただその衝動に従いました。彼女は自分のことはなんとも思っていませんでした。何にもなりませんでした。ただそれだけでした。

それからその彼女とは、約束もしていないのに、2度も渋谷で会いました。1度は地下鉄で、もう1度は、スクランブル交差点を渡っている時に。

出会いは必然。でもそこに意味をつけるか、つけないかは、当人次第なのです。
偶然は、ドラマチックで、ロマンチックな演出を施します。

でも、そこに意味はありませんでした。

CHRISはその彼女と瓜二つ。また試されました。

そこに意味をつけるか、つけないかを。

【旅が終わらないー北京ー(1)】

2010-11-19 00:20:18 | 【チベット・満州・中国の旅】
北京に着いたのがAM06:00。

考えてみればまる2日間時間がある。さてどうしよう?

考えながら宿探しです。でも今回はどこに泊まるかは決めていました。
天安門近くにあるLEO HOSTEL。地球の歩き方には地図上にポツンと点が打ってあるぐらいで詳しい説明はなし。成都のSIMS COZY’S GARDEN HOSTELでフライヤーを見つけてからずっと気になってたところでした。チラシでは200元とありましたが、多少高くてもいいやと思ってました。

もう最後ですからね。SIMSが好きだったので、あの雰囲気が欲しかったのです。バックパッカーが集まって、サロンみたいなBARがあって、リラックスしてる感じ。英語が使えて、スタッフもフレッシュな人が多い。なんかエネルギーを感じるのです。

ということで、北京駅から天安門周辺まで歩きます。でも!重たい荷物を引っ張ってなので、疲れちゃうんですよね。交通事情もなれないし。

そして困ったことに、地球の歩き方の地図もチラシの地図も間違っていました。正確でない地図ほど厄介なものはありません。

100%信じて、裏切られるわけですから。
40分ぐらい歩いて、ギブアップです。とうとう携帯で電話しました。確かに英語で大丈夫でした。でも電話での英語や自分の説明下手、語学力のなさがたたってよくわかりません。
しびれをきらして、スタッフの方が迎えに来てくれる事になりました。いい人たちなんですよ。しばらくすると歩道橋の向こうから、2人の若者スタッフが手を振っています。20代前半の男性と女性。そしてホテルへ向かいます。7,8分歩きました。結構離れていたのです。

部屋代が240元といってました。200元じゃないのと聞くと、それは2007年のチラシなのよとのこと。でもここまで迎えに来てくれるんだから、まぁいいかという感じで決めました。たまってた洗濯物もここのランドリーサービスでお願いしちゃいました。

このホテルではいろいろツアーの企画があり、この2日間は旅のまとめ、というか、好きなことしようと思ってたので、2つのツアーに参加しました。

一つはチャイニーズ・オペラ。京劇ですね。

それともう一つは紫禁城ツアー。実はこのツアーはホントはないんだけど、ツアーガイドの勉強中の、あの迎えに来てくれた彼女が案内してくれるということでお願いしました。話し相手と少しでも詳しい人、中国語も英語もわかる人がいると本当に助かるのです。それはラサで学んだことでもありました。

スケジュールが決まれば後はマイペースができます。それと紫禁城については少し予習をしました。英語でのガイドなので、理解するにも限界があると思ったからです。お金を払う訳ですし、めったに見れないわけだから。

できるだけ吸収したいですからね。


【旅が終わるー大連ー(2)】

2010-11-17 20:52:47 | 【チベット・満州・中国の旅】
大連の街を歩きます。

ここでもタクシーもバスも使わず。今日もまた地図と標識と勘を頼りにして。
日本人の足跡を辿ります。

行きたいと思っていたところは大きく二つ。旧満鉄本社があったエリアと、日本人住宅があるというエリアです。

駅から30分ぐらい歩くと、人民広場に着きます。ここは旧満鉄を含め、官公庁などがあったエリアです。今はもう中国政府の機関なので中には入れません。ただ、外観はハルビンで観たものと一緒で作りはしっかりしていて、今でも建物としての機能を十分に果たしています。そしてどこか日本を感じさせる何かがあります。

「日本」と言っていますが、当時建築物の時代のトレンドだとは思います。日本風というのではなく、アールヌーボーやアールデコ調のテイストの建築物ということなんですけどね。でもやっぱり先入観で日本のものだったという記憶が、日本を想起させてしまうのかもしれません。思い込みかな・・・

ともあれ、そのエリア日本人が住んでいた家屋もいくつかありました。木造ではなく、レンガ造りになってます。
もうボロボロなんですが、当時を偲ばせる雰囲気は漂ってきます。もう自己満足なんですけどね。そこで感じるものを、受け取るのみです。

そしてもう一つのエリアへ向かいます。こちらは海の近く。
地球の歩き方によると、以前は高級住宅地だったとあります。当時も入植者と資産家の方たちと格差があったようです。1時間ばかり歩いて、そのエリアに到着しました。

観ればわかる。ここだと。

新しく工事しているところもあれば、昔のまま住んでる方もいます。歴史を目の前にして、そこに「質」クオリアを感じます。平面でも2次元でもなく、歴然と存在している感じです。
別に観光スポットでもないので外国人は当然一人。でもすっかり日焼けして中国人風の自分はその風景にすんなりと馴染み、溶け込みます。

こんな風に当時の日本の方たちもいたんだ。この大連に。
そのなかに、おばあちゃんもいた。確かに。

時間にゆとりができたので海まで足を運びました。現在の大連はリゾート地になっていて、国内はもとより海外からも観光客が集まってきます。海のほうはロシアのテイストが前面に出ていますね。

海が見たかったんです。中国は大陸で、陸路が多く海がなかった。海の向こうには日本があります。大連の海。祖母が遠泳をした海です。

気持ちよかった。天気は素晴らしく。暑い。

そして思いました。

終わったな・・・と。

日本海につづくその海をみながら、来たからどうってことはなかったけど。とりあえずここまできた。はるばる。
もう十分だなって思いました。あとは無事に日本へ帰って、新しい現実をしっかり生きる。

そして今回の旅を踏まえて、さくらをどうにかする。

旅、終わります。今夜北京への列車に乗って、帰国の準備です。

たんたんと。
たんたんと。

【旅が終わる-大連ー(1)】

2010-11-17 20:32:15 | 【チベット・満州・中国の旅】
大連に着く。旅の最後の目的地。

おばあちゃんが若かりし時過ごした場所。もう亡くなって10数年になります。
曾おじいちゃんが満鉄に勤めており、大連に住んでいました。

どこにいたとか、そんな話はまったく聞いていないのですが、おばあちゃんからの話で覚えているのが、遠泳のこと。学校で島から島まで泳がせる授業があったということでした。祖母は水泳が上手く、スケートもできたと言っていました。

そういえば、おばあちゃんと宮崎市内にあった宮交シティにスケートに行ったことがあります。中学の時だったかな。電車で行ったような記憶が。
それが二人で外出した最後の思い出のような気がします。

今更ながら、色んな話したかったなぁ~。
おばあちゃん、大連に行ってきたよ。

着いてすぐ、宿の客引きのおばさまたちを振り払って港に行きます。
大連から天津までフェリーが出てるはずなので、チケットを買いに行きます。
船旅も行程の中に入れたかったのです。
ところが残念なことに、今は動いていないと事実が!
6/15からまた就航するとのことでした。

がっくし・・・

そういう時は気持ちの切り替えが大事で、後は電車かバス。まず電車から調べます。宿探しは毎度のことながら苦労しますが、NETできて100元のラインで。
やはり中国の方が泊まる招待所に決めました。部屋に入ってすぐ検索です。
長春で、チケットがない状況を思い知ったので早めに動きました。大連-北京は3本あって、全て夜行。2本は早朝に着きます。もう1本は9:00過ぎ着。最終発の電車に絞って、大連駅に向かいます。
すると、3本とも硬臥はありませんと来ました。6日に出る便であれば、軟臥ならありますとのこと。A寝台、グリーン席みたいなイメージですかね。

すると横から、バス会社に雇われているおじさんの横槍が入ります。しかも電車の切符売り場で対応中に!バスなら250元で行けるとか何とか言ってます。でもここは、高いお金払ってでも、電車にすることにしました。横入り嫌いというのもありますが、自分の意志を尊重しました。ぶれたくなかったのです。

大連-北京 19:26発 06:01着 370元(5,550円) 軟臥(ソフトスリーパー)

切符を買ったら、ほっとします。
時間を見ると19:00過ぎ、まだ明るいので、駅周りを散策しました。駅前が広場になってるのですが、そこでも夕暮れ時の楽しいひとときを見ました。家族連れ、恋人同士、友だち同士、旅人たち、楽しそうな顔して、バドミントンしたり、蹴羽根やったり、ローラーブレードやったり、おしゃべりしてたり、みんな幸せそうでした。中国では広場や公園でよくそんな光景を見ました。そして自分も嬉しくなるのです。細かいことはどうでもいいから、この幸せの光景や、幸せな感じを守っていければ、PEACEは実現できると思いました。

その後屋台で串焼き食べました。ビール飲みながら、焼き牡蠣、焼きウニ、焼きイカ、焼き鳥、チョリソー結構食べました。うまいんですよ!それとその屋台、若いご夫婦でやってるんですが、すごくいきいきしていて気持ちいい!そして回り全体が雰囲気がよく、活気があって元気があるんです。こちらも疲れていましたが少し元気が出てきました。

そうこうしてると、日本人の方がいらして同席になりました。明日旅順の二百三高地に行くとのことでした。60歳とおっしゃってましたが、そうとは見えません。若い時にソ連時代のロシアにシベリア鉄道で行った話しをして下さいました。
大連は大都市で活気あるということで意見は一致しました。大学時代のお話も参考になりました。学生運動の真っ只中とのことでしたが、勉強が好きで、図書館によく通っていたという話をされていました。

興味深かかったのは、世界は融合に向かっているという話をされていたことです。それは同感でした。特に中国はあと5年もすれば日本に追いつくと思います。前回やなところを列記しましたが、携帯の普及であったり、街を掃除する人を見たり、改善の勢いの兆しが見えるのです。より発展する意志が感じられるのです。音楽、スポーツ、食文化に関してはボーダレスです。貧富の差は間違いなくありますが、15年前の印象とはまったく違います。中流、ミドルクラスが増えていることは間違いないです。

その融合のポイントは、ビジネスでみると、消費者が目指す嗜好がグローバルに近づいているということ。つまりは、車であれば、BMW、ベンツ、トヨタ、日産、VWが出てくるし、スポーツのメーカーであればADIDAS、NIKE,PUMA、電化製品ならSONY、PANASONIC、SAMSUNG、NOKIA、国内メーカーも大健闘しています。ライフスタイルも標準化、スタンダード化されている流れを強く感じました。普遍性と大衆性はイコールではないにしても、消費者のニーズの最大公約数は各企業がそのターゲットに合わせて充たしています。

多元化、多様化が進む中で、ライフスタイルは標準化されていく。一見矛盾した流れに見えますが、欲求を充たす高いモジュールができれば、あとはそのモジュールに付加価値をのせていくところに初めて個性が出てきます。ライフスタイルのインフラが標準化されてきたということですね。

そうなってくると、質が問われてきます。そこでどんなライフが生きているのかが大事になってくるわけです。

話が脱線しましたが、融合に向かってます。飛躍しますが間違いなく自分の人生を生きることができる環境インフラが世界中で整うということです。
みんなが自分は何のために生まれてきたのかを考える時代が普通に来ると思います。これはもう魂のお話になっちゃいますね。

大連の夜の屋台で、見ず知らずの日本人二人がこんな話をしていました。
おじさまと名前も聞かず、固い握手をして別れて、部屋に戻ります。近くにクラブがあって踊れそう

【笑顔(2)】

2010-06-09 10:30:22 | 【チベット・満州・中国の旅】
偽満洲故宮博物館。

そもそも偽って何よ?って感じです。

日本語の解説文もあり、ワイヤレスの説明スピーカーがあったので、言葉にはまったく苦労することはありません。

でもなんていうのかな、何だったのかな、満洲国って。

傀儡、傀儡と言ってるけど、確かにそういう側面もあったかもしれないけど、そんなにひどかったのかな?
騙していた、欺いていた、言いなりになっていた・・・そんな言葉ばっかりです。

寂しくなりました。

そもそも中国という名前もまだここ最近なんですよね。70年ぐらいかな?中華民国時代も入れて。
満洲というのは満洲民族が建てた征服王朝。1612年の後金の時代からです。明の次の時代ですね。中国って今回動いてわかったんですけど、とんでもなくでっかいのです。55の民族がいる多民族国家なのです。4000年の歴史の中で、様々な民族が入れ替わりで王朝を築いてきました。覇権社会なので、強いものが残って来たのです。
もちろん漢民族が人口多くて、歴史も長いのだけど。
そもそも多民族で共存共栄していくことという思想はあったかなかったかはわかりません。でも自分が思うに、思想ではなく生活はあったと思います。多民族多様な文化をどこかで受け入れ合っていたところはあると思うのです。根拠はありませんが、でなきゃこの国で生きていけないと思ったからなんですけどね。少なくとも、食文化と経済、お金の流れみたいなものは、ある程度のバランスや協調、調和がないと定着しないのです。

列強の帝国主義(植民地拡大)の流れの中で、清という大国がターゲットになり、脆くも崩れてしまった。中国が分割されていく。その一端をもちろん日本も担ってます。そんな中で、国民が黙ってるはずはありません。愛国心が生まれて来る。国民党と共産党の国共合作で、敵国日本をつぶそうとなるのはわかります。

でもその後どうなるかといえば、共産化が加速していきます。文革の時には宗教は毒になり、民族は一様に国家への忠誠を誓う人民になります。
別に悪くはない。でもその影で、民族は縮小され、宗教も制限されていきます。それは国が選んだことなので、しょうがないといえばしょうがない。

ちなみに満洲国なんてせずに、日本の満洲県にしたほうがわかりやすかったのかもしれません。日本が突っ走って、そうすれば。←ひどい発想です・・

でもそんなことは出来ないに決まってる。
思うに、満州民族の今までの中国の歴史を踏まえた正統の皇帝を建て、新しい国家を作ることは、当時の状況を考えると画期的なことだったと思うのです。
ともあれ、皇帝の血は途絶えました。もちろん満洲民族は残ってますから、系統としては残っているわけだけども。単純に血が途絶える。それも国の成り立ちを作っていた血族の。
これは覇権社会のなごりではないかと、子供を残さず、末代までの怨恨をここで根絶やしにするということ。ではないかと思うのです。

ことの真偽はよくわかりません。

でも日本でいうアイデンティティと中国のアイデンティティって違うような気はします。
偽者、傀儡・・・中国の方たちの歴史の反省なのでしょうか。こうならないようにしましょうということなのでしょうか。征服される、征服する歴史を常として繰り返してきた国としては、なんだか1面的な捉え方のような気がします。
とにかく敵を作るという。そんな感じがしました。
もっとグローバルにみれば新しい歴史観できると思うんですよね。人類史みたいな。
そこから見れば、少なくともそういう言葉たちは出てこないと思うんですよね。

確かに自分たちの先輩たちがしてきたこと、反省します。ってのもわかるんですけど、何かもっと別の言葉や違う表現方法ってあると思います。
俯瞰した歴史認識。別にやったことが全て正しいなんて思ってません。悪かったことを謝りませんと言ってるわけでもない。でも何が間違っていたのか、何が問題だったのかは、今一度、今一度検証されるべきではないかと思いました。

この偽満洲故宮の歴史観で、未来は拓けない。そう思いました。主観です。
気を悪くされた方がいましたら、そこは謝ります。ごめんなさい。

つまりは傷ついたってことなんですよ。すごく。すごく。
でも戦争って言うのはそういうことだったんでしょうね。手段を選ばず、人をあやめる。
今ね、すごく悲しいんですよ。

どこでこれを書いてるかといえば大連行きの電車の中なんです。
PCで書いてるんですけど。5人がけ向かい合わせの硬座でみんな中国の方なんです。
そしたらこの5時間ずっと話なんかできなかったんですけど、机なくて窮屈そうだからって、小さい机のあるスペースを譲ってくれたんですよね。

こういうことが、大事なんだと思うんです。前提に愛ありきの歴史観。自分たちは、ある方向に向かっています。

これが、この数日の中で笑顔ができた瞬間でした。
そう寄席にいったときも楽しくはあったけど。
湧いてくる笑顔ではありませんでした。

今少し笑顔ができた。
もう忘れてしまったかのような人間性。
笑いは人間性の中でも、本当に素晴らしいものだと思うのです。

離れていた自分が、少し戻ってきました。
笑顔が出来る。

こういう方たちもたくさんいるのです。
人間の欲求には愛されたい欲求と同時に愛したいという欲求もあります。
自分なりであるけれど、この国に敬意を表わしたいし、仲良くしたいと思っています。桜のことだってここにつながっています。

自分たちにできることってなんだろう。
昨日は天安門事件から11年の日でした。

今日は祖母が若い時代を生きた大連に行きます。

もう少しで旅は終わります。

最後まで、自分らしく、自分のままで。

【笑顔(1)】

2010-06-09 10:15:11 | 【チベット・満州・中国の旅】
長春二日目の夜、寄席に行きました。
当然中国語。意味はまったくわかりません。
笑いたかったというのもそうですが、笑いの中に身を置きたかったのです。

長春に着いたのが6/3の21:30過ぎ。夜です。
日はとっくに暮れている。
電車の中で前に座っていた男性が少し英語が話せて、駅に降りるまで一緒にいてくれました。でもずっと一緒という訳にも行かないのでほどなくお別れし、一人で宿探しです。

宛てはありません。

たくさん客引きが来る、道はよくわからない、暗い。自然と眉間にしわが寄る。全身から警戒心のオーラを出す。自己防衛の本能が疼く。
もう頼るべきは旅の嗅覚のみ、多少お金はかかってもできるだけ安全な場所を確保したい欲求に駆られます。
そして見つけました。1泊138元。
ネットも使えるという事で、もう決めちゃいました。デポジットで300元の前払いです。その説明も丁寧ではあるんだけど、最初は意味がわからなくて困りました。

言葉の壁を楽しむ余裕はすっかりなくなっています。いらいらしてきます。

なんとかチェックインして、部屋に戻りシャワーを浴びます。近所の夜店で、ビールとさきいか、ポテトチップスを買って、部屋で一人飲み。ふて寝。

荒んだ感じです。
疲れが出てるなというのがわかります。それは肉体というよりメンタル。

翌朝、次の行程を考えます。出来れば、長春を夜出て、翌朝大連に着けば宿代も浮くのでそのコースを考えていました。
なので切符を買いに駅まで繰り出します。
すると今までほっておいたいろんな我慢が噴出してきました。
もはやそれを、文化の違いだと受け入れる器はなく、直接自分の神経にまとわりつくようにはりついてきます。

いらいらしてるのです。
そして暑い。気温が31℃。真夏日です。

切符は土日の切符ということで、夜行はあいていません。時刻表を見ては並び直すのです。翌日というか土曜日中につけばいいだけなのに何十分もかかります。
あるとき、察してくれた方が、英語を話せる担当の方を案内してくれました。担当の方が変わると・・ものの3分です。本当に感謝と同時に、第二言語が母語のように思えてくるのです。そんなに話せる訳でもないのに・・

駅のファーストフードのお店でまた横はいりと、店員の接客に腹をたて、店をでます。

もう完全に自分が自分から離れています。

ホテルに戻ってから翌日が朝便になったので、延泊の話をしますが、なかなかスムーズにいかない。なんとか話をまとめて、部屋を移動して、もう出かける気が失せた自分は、またふて寝。起きては、NETサーフィン。グダグダです。

長春はぜひ来たかったところの一つでした。旧満州の首都新京です。この1日しかない。なのにもう時間を無為に過ごすばかりです
ブログの更新もしたくない。メールチェックもしたくない。
自分には、こういうテンションの日があるのです。
目も当てられない自分。

このままでは、長春が台無しになるということで、動き始めたのが14:00過ぎ。
偽満洲故宮に向かいます。今日はもうここ1ヵ所だけだ。
17:20には閉館するので急ぎました。

ところがこういうときには、なぜか迷子に。道を聞いても教えてくれない。
完全にネガティブのデフレスパイラル。もう39年近く生きてるので、こういうテンションがあるのはわかっているけれど、わかっているからといって、ここをどう乗り越えるかは、1回1回違うのです。
とにかく時間がないので、地図と人を頼みとするしかありません。
右といってるのか、左といってるのかわからない。右は右でも、右に曲がるのか、右側にあるのかで全然違ってくる。なので、地図に照らし合わせて想像しながら聞くのです。
歩いていける距離にある故宮なのですが1時間ちょっとかかりました。疲れた。

やっと故宮です。

そしてこの低いダメダメな自分に、ハンマーで頭をぶん殴られるようなとどめを、ここ故宮でさされるのです。