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【Heartland(心の国)はここに】―Field of dreamsが叶えたこと―⑥

2021-04-12 06:00:00 | 【Field of dreams】
―あとがきと序文―

2021年1月から書き始めてリリースするまで約3ヶ月かかりました。作業としては映画を観返したり、資料に目を通したり、記憶を辿ってみたりとどちらかと言えば過去を掘り起こす作業に終始していました。だからでしょうか大きなニュースを見落としていました。

2021年8月12日にアイオワ州ダイヤーズヴィルでMLBの公式戦が開催されます。対戦カードはホワイトソックスVSニューヨーク・ヤンキース。当初の企画に準じて再設定されました。スケージュールについては今のところ「暫定」とのことわりつきですが公式発表されています。2020年の11月23日のことでした。

https://www.mlb4journal.com/field-of-dreams-scheduled-2021-august-12th/

このころのアメリカは大統領選挙後の混沌の中にあって、どうしても小さい扱いになってしまったと言えます。逆にこのカオスの中で発表されたのも象徴的な出来事とも言えます。それこそ右も左も民主党も共和党もなく、余計なイデオロギーの阻害なく本当のアメリカとは何かを世界に提示する場が設定されたのです。コロナの先行きはまだ不透明ではありますが、規模縮小や観客動員削減は考慮してもやると決めたところに、メジャーリーグベースボールの意志がそこには感じられます。またホスト役がホワイトソックスで対戦相手が再びヤンキースに戻ったところにも主催者の心意気を感じます。

この情勢の中、この開催決定にどれだけの人が注目しているかはわかりませんが、ここに浄化の起点があるような気がしています。ここで掲げ上げられる星条旗は混沌の雲を突き抜け、晴天の元はためくことでしょう。

その行方については改めてこのブログでもフォローしていきたいと思います。

ーはじめにーで言及した2020年アメリカ大統領選挙のアイオワ州の結果についても補足します。
Heartlandであるアイオワ州は共和党、ドナルド・トランプ氏が勝利していました。この結果もまた今回の大統領選が何を示唆しているかを表しています。アイオワはアメリカの良心です。

最期にもう一つの動機について書きます。今年6月で50歳になります。人生の折返しは過ぎ、死に向かって時計の針は着実に刻んでいきます。今まで生きた時間分だけ生きることはないでしょうし、今度は体力も能力も下降していきます。先日名俳優の田中邦衛さんがご他界されました。「北の国から」をこよなく愛していたものとしては相当なショックです。純役の吉岡秀隆さんが50歳で、蛍役の中嶋朋子さんが49歳。同世代の二人と五郎役の田中邦衛さんは88歳、38、39歳差なのです。自分が50で、娘5歳を思うと、38年後を思うとやはり88歳、すでに娘は5歳ですから50の時、自分は93歳。生きていない可能性が高い。80歳から逆算して考えるとまともに動けるのはあと20年、アクティブに何かを成し遂げるには10年しか時間がない、と思ったのでした。その時に自分は何のために生まれてきたのか、自分は何を成すためにここにいるのか、そのシンプルで深淵な問いに辿り着いた訳です。今までだって何度も考えてきた。でも今回はより時間の有限性が見えてきた、その鏡として娘の存在がいる。より具体性と実効性が求められます。あきらめるか、やり遂げるかどちらを選択するかそれは自分次第、自由です。それはちょっとしたプレッシャーでストレスです。それと向き合うことが必要だとしても、長時間だと身体にも精神衛生上にもよくはない。ではここが腹の括りどころ。そこで、ガチッと自分を再定義化するために自分の半生を振り返ろうと思ったわけです。次のテーマは私のbiography、自伝ですね。誕生日が6月23日。それまでに終わらせて、曇りや迷いをクリアにして50代を迎えたいと思っています。

ただ自分のことなので、やるはやるでも先が読めません。前歴を見ると書き始めると長くなる可能性が高いです。ただここは書くことだけを決めて、徒然に書き綴りたいと思います。下書きを紙に書いて、清書でWORDに打って、投稿時に推敲してUPしてましたが、今回はもうベタ打ちでUPしていきたいと思います。(本当に終わるのだろうか・・・汗)

以上もう一つの動機についてお話しました。つまり何がいいたかったかというと・・・(バレットクラブのKENTA風で)

「自分の残された時間【悔い】を残さない人生にしていくために、50前の残りの時間で半生を自伝にしていくってこと」でした。

何かを成し遂げた偉人伝でもありませんので読み手の方々はそうそう面白いものではないでしょう。なので、一つテーマを設定しますね。なぜ自分は叶えた夢である先生を辞めたのか、そして一度は自分を諦めた人間がここまでどうやって回復したか、これを柱に物語を進めていきたいと思います。

タイトルは【中の下のPUER(プエル)】(仮)です。
※PUER(プエル)は少年のラテン語

と言う訳で、このお話はこれでおしまいです。映画【フィールド・オブ・ドリームス】を観たことがない方はよくわからなかったことと思います。それでもなお読んで下さった皆様に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

FIN

【Heartland(心の国)はここに】―Field of dreamsが叶えたこと―⑤

2021-04-11 06:00:00 | 【Field of dreams】
ーその(2)ー

この物語がありえない、フィクションだ、ファンタジーなど非現実的なこととして捉えることはいくらでもできます。ただこの映画を観て流す「涙」があったとしたらそれは本物です。何かを感じて動いた「心」もまたリアルです。【フィールド・オブ・ドリームス】は50年代~80年代までにあった、失われたピースを私たちの魂にそっとはめ込みました。製作されたのが87年、アメリカでの公開が88年、その時期の歴史を思い出せば、ベルリンの壁崩壊、ソ連の終焉、天安門事件と雪崩のように世界が大きく動きました。それから30年を経て今、もちろん完璧でもないし、新たな問題もあるけれど、着実なプロセスは歩んできています。解放すべき一つのカルマ―業―は乗り越えてきました。

映画の公開後、アイオワのダイヤーズヴィルにある夢の球場には、それこそ多くの人たちが訪れました。そこで野球をする人、キャッチボールをする人、思い思いに散策する人、いろんな思い持った人たちが大挙して来ました。それは30数年たった今でもつづいています。映画で描かれたことは“dream came true”、真実に結実したのです。

そして2019年に翌年の2020年8月、この球場でMLBの公式試合が企画されました。対戦カードはホワイト・ソックスVSヤンキース。そのカードはその後ホワイト・ソックスVSカージナルズに変更、そして二転し選手もろもろの移動困難を理由により中止になりました。つまるところコロナ(武漢ウィルス)が主因です。2020年11月のアメリカ大統領選を経て今、アメリカが分断されています。この球場が舞台のアイオワは予備選が1番最初に行われる州です。それは右も左もなくアメリカの良心が測れる“ハートランド”として伝統的に認められているからです。選挙の不正、バイデン氏のスキャンダルを横並びで封印するメディア。明らかにおかしい。事象の背後に今まで見えなかった意図が表出するぐらい強引な歴史操作が行われています。しかしながらアメリカ人の国民性として民主主義の公正性を守る意識は世界のどの国よりも強い。であればそのフェアネス、良心の原点を取り戻すためにも、中止になっていたMLBの公式戦をこの夢の球場で開催するのはどうでしょうか。テレンス・マンはこう言っていました。

TERENCE: The one constant through all the years. Ray, has been baseball. America has rolled by like an army of steam rollers. It’s been erased like a blackboard, rebuilt and erased again. But baseball has marked the time. This field, this game, it’s part of our past, Ray. It reminds  of all that once was good. And it could be again. Oh…people will come Ray. People will most definitely come.

テレンス・マン:ベースボールだけが長い間少しも変わることなくここまで来た。アメリカはものすごい数のスチームローラーで変革を遂げてきた。そして黒板のように消しては書き、再建と解体を繰り返してきた。しかしその中でベースボールだけは変わることなく生きつづけてきた。球場と試合は我々の歴史の一部だ。かつて善であったものを、ここで我々に思い出させてくれる。そして再びその善を見出すのだ。みんながやってくるぞ、レイ。人々は必ずやって来る。

【フィールド・オブ・ドリームス】は50年代から80年代までの病み、傷口を治癒しました。ここに立ち返り、キャッチボールをする、MLBの公式戦を開催する。もしそれが本当に実現したら、それこそ余計なイデオロギーや利害関係を削ぎ落としてアメリカを純度化、ピューリファイしてくれるのでしょう。未来のステージに立つ上で、その浄化こそが、今のアメリカに必要だと思うのです。

極東アジアの片隅の小さな小さな想いです。

People will come!


【Heartland(心の国)はここに】―Field of dreamsが叶えたこと―⑤

2021-04-10 06:00:00 | 【Field of dreams】
ーその(1)ー

そしてレイにつづきます。レイはお母さんを幼いときに亡くし、お父さんのジョン・キンセラに男手一つで育てられます。ジョンはおとぎ話やマザーグースの代わりにアメリカのベースボールについての話を聞かせます。ルーゲーリック、ベイブルース、タイカッブそしてシューレス・ジョー・ジャクスン、いずれも初期メジャーリーガ―のレジェンド中のレジェンドです。お父さんのジョンもマイナーリーグでプレーしたこともある程なので、ベースボールを愛していないはずはありません。アメリカの子どもたち、特に男の子たちは何人か集まればベースボールかアメリカンフットボールをやり始めます。どうしてできるかと言えば、家でお父さんからキャッチボールをしてもらうからです。

1775年にアメリカはイギリスから独立をしました。他の国や地域と比較するとアメリカは歴史の浅い国とも言えます。そのアメリカで、親子が繋がるキーアイテムがベースボールでした。これはアメリカ独自のスポーツ文化と言えるでしょう。ヨーロッパ、南米では何と言ってもFOOTBALL、サッカーがメジャースポーツですし、野球のルーツクリケットもQueensである、旧英帝国傘下の国々ではポピュラーなスポーツです。他方ことベースボールとなるとアメリカ発祥と言っても問題ないでしょう。アメリカ人にとってベースボールはナショナル・アイデンティティなのです。

レイとジョンはベースボールで結ばれ、時代の潮流、ムーブメントにより引き裂かれました。60年代70年代初頭のアメリカで、カウンターカルチャーの運動に参画していた若者、ヒッピー、活動家の家族の中ではリアルにあったことと思われます。親子の断絶、イデオロギーによる分断によって親子が切り離されていました。それを成長の一過程と見れば受け入れられなくもありません。ただそこには悔い、「後悔」が残るのです。特にこの物語では父親のジョンが50代でこの世を去ります。親子が再び心を通わせるのは、多くは子供が親の年齢になり、家庭を持ち、自分の子供をもうけ、社会の中で仕事をして家族を養う、そのような同じステージに立った時です。同じ年齢になって、同等の経験を経て初めて見える視界があります。双方が年を重ね、人として成熟し、上に成長する推進力と下にかかる重力が交わる時、一緒に酒を呑めるのでしょう。レイのように父親が先立ち残されたものは、若き日の自分の未熟さふがいなさを悔います。自分の子を見て、「親父ならどう思うだろうか・・・」と思いを馳せます。墓前に手を合わせても帰ってくるものではありません。得てしてこういう場合はこの小さくも重い十字架を身に付けて生きていくのです。ただ【フィールド・オブ・ドリームス】は違いました。自分の声に従い、困難を乗り越えた先に父親が戻ってくるのです。子供の悔いは親の想いと繋がりました。

そしてキャッチボールをします。

レイとジョンのキャッチボールは、その時代にできなかった親子の対話の代償の写しとして存在します。そこには確かな「癒し」があります。親子にかつてキャッチボールの思い出のある方々は、当時のたわいもない輝きに驚きと得も知れぬ幸せを思い出すでしょう。そして今親子でキャッチボールすることが当然の方々は、どれだけ今が貴重で大切な時間であることを思い知らされるでしょう。年を取ること、経験を積むこと、親になることそれらは体力の減退や気の翳りにもつながりそしてお金も年々嵩んできます。しかしながら父親、母親との反抗・断絶の溝を埋めるのは相応の時間が必要なのです。そしてその時間を経て、酸いも甘いも味わって初めて子は親の想いを知り、自身の全てを子である自分に注いでいたことに気づくのです。そうやって人は生きてきた。そうやって家族は営まれてきた。【フィールド・オブ・ドリームス】夢の球場は、その時代にあった反抗・断絶からの邂逅の交差点でした。

【Heartland(心の国)はここに】―Field of dreamsが叶えたこと―④

2021-04-09 06:00:00 | 【Field of dreams】
ーその(3)ー

【フィールド・オブ・ドリームス】の原作、W.Pキンセラが書いた“シューレス・ジョー”ではサリンジャーの名前はそのまま使われていました。他方映画ではサリンジャーのプライバシーを守る観点から、テレンス・マンと言う黒人の作家に変更されています。

映画の中でレイやアニーが影響を受けた本として「舟を漕ぐ人」が出てきます。映画の中でも印象的なシーンの一つで、PTAの総会か何かで禁止図書の集会が行われる場面が出てきます。その禁止対象になったのがこの「舟を漕ぐ人」ですがこれは紛れもなく“キャッチャー・イン・ザ・ライ”を現しています。サリンジャーとテレンス・マンの共通点をあげると、筆を折り、地方で隠遁生活をしている点、そしてベースボールが好きな点です。また相違点としてはテレンス・マンがアフリカン・アメリカンであることそしてサリンジャーが学生運動に批判的であったのに対し、テレンス・マンは主体的で積極的であった点です。

映画でのこのキャラクター変更は、【フィールド・オブ・ドリームス】のメッセージ性を強めるにあたっては非常に有効に作用しました。60’sアメリカの黒人の社会進出、公民権運動は重要な出来事ですし、カウンターカルチャーの学生運動や闘争もまたその時代を象徴するムーブメントでした。またこのテレンス・マンを俳優のジェームズ・アール・ジョーンズが演じており時代の空気感、質感が説得力を持ってスクリーンに広がって行きます。スターウォーズの初期三部作EPISODE4~6までのダースベイダーを演じていたのがまさにジェームズでした。彼がベースボールに対するメッセージや夢の球場を手放してはいけない理由をレイに伝えた時の、あの声、空気、佇まいはまさにその時代の代表者であるかのように伝わってきます。ジョーンズの渋く、低い心に響くあの声は崇高なる存在や神の声にも聞こえてきます。

そのテレンス・マンですが、物語の終盤シューレス・ジョーからトウモロコシ畑(コーンフィールド)の中に来ないかと誘われます。そこは現世と冥界を繋ぐトワイライトゾーン、彼はその瞬間までベースボールマンでもない自分がなぜアイオワのこの夢の球場に導かれたのかわかりませんでした。誘われなかったレイはシューレス・ジョーに初めて食いつきます「なぜ招かれないか」を。そしてテレンス・マンはレイにここに残る理由は家族にあることを伝え、自分があちらの世界に行く意味を知らせます。

TERENCE: Ray. Ray? Listen to me Ray. Listen to me. There is something out there, Ray. And if I have courage to go through with this… what a story it’ll make. “Shoeless Joe Jackson Comes to Iowa.”
テレンス・マン:レイ、レイ、聞いてくれ。聞いてくれよ。あそこには何かがある。もし自分にその行動する(向こうの世界を見る)勇気があれば・・・いい本が書けるよ。「シューレス・ジョー・ジャクスンがアイオワにやって来た」

ずっと自身で封印してきた著作への意志を解き放ちます。それは作家の“write or die”知った以上は書かねばならないという本能や使命に相通じます。筆を執る、カムバックです。何十年も遠ざかっていた作家が再びペンを握る。それにはよっぽどの事情や理由がなければあり得ません。シューレス・ジョーたちの名誉回復、死後の世界の恐れからの解放、そして何より純粋な、書きたい、表現したいという欲求があればこその決断です。テレンス・マンはレイの父親ジョンより少し若い世代にあたります。恐らく60代半ば、その年代層のチャレンジに、50代、60代の人達が刺激を受けないはずがありません。手塚治虫もP・F・ドラッカーも「あなたの人生のベストの作品は何ですか?」と聞かれる度に「私の次の作品です」と答えていました。映画の中とはいえ、テレンス・マンの次の作品を心待ちにしている人たちが世界中にいることは想像に難くありません。

このテレンス・マンですがサリンジャーの代わりと言及しましたが、別な見方をすると原作者のW.Pキンセラとも言えます。なぜならW.Pキンセラこそが“Shoeless Joe Jackson Comes to Iowa.”を書いたからです。もちろんコーンフィールドの中身(死後の世界や天国について)を書いた訳ではありませんが、これだけ素晴らしい原作ができ、不世出のマスターピースの映画ができたことを思えば、これこそまさに【フィールド・オブ・ドリームス】でしょう。W.Pキンセラの想いもまた映画【フィールド・オブ・ドリームス】を通してここに結実しました。


【Heartland(心の国)はここに】―Field of dreamsが叶えたこと―④

2021-04-08 06:00:00 | 【Field of dreams】
ーその(2)ー

エルビス(1916-1979)が少年時代に黒人の教会に行き、ゴスペルを歌っていたことは有名な話です。黒人の人種差別に起因する貧しさ、悲しみ、切なさはブルースやJAZZとういう形で表現されていました。またアフリカン・アメリカンの方々は自身のルーツやアイデンティティを音楽やダンス、アートの中に忍ばせて、彼ら独自の世界観と市場(マーケット)を作りました。作品の中にはその市場の枠組みを超え、アメリカのメジャーの市場でも評価されるものが出てきますが、その一因として、エルビスの存在・貢献によるところは大きいでしょう。黒人と白人のスピリチャルな融合がR&Rを拡大させたのです。その後イギリスではザ・ビートルズが登場するわけですが、彼らもまたその潮流・ムーブメントであるR&Rの影響を多分に受けています。

60年代、70年代は世界中が若者の時代でした。第二次大戦後の傷ついた親たち「沈黙の世代」に対する反抗、ベトナム戦争を中心とした反戦と平和への希求、自由・平等・博愛とうたいながらも人種差別が現存する矛盾に対する戦い、そこには麻薬にも似た美しさが輝きます。純粋な想いとそこに立ちはだかる壁との対峙があります。その訳のわからない壁、例えば資本主義VS共産主義のイデオロギー対立やアメリカに根づいているユダヤ教やキリスト教のバックボーンに対するオブジェクションは、意識と無意識の間のブラックボックスに光をあてました。学生運動が光輝いて見えるのは、自身がその時代、その環境、その人たちの元からなぜ誕生したのかという問いに対して、それらの不都合や利権のために準備された回答や、抑圧されバイアスのかかった回答に“NO!”を唱えたからでしょう。それは違うよと。

それこそ目には見えない圧力や暴力が降りかかるリスクを顧みず、体制や親に向かっていく。その情熱そのものが、よく言えば希望や輝きであり、悪く言えば幼さや視野の狭さを表しています。60年代、70年代の若者はそこに輝きを見、希望を選択したのです。それはイデオロギーの是非を越えて、若者が若者でありたい姿へのムーブメントとして結びつきました。だからこそ多くの学生たちが参加していったのです。

当時の若者の中にも多様な価値観、個性が混在しています。自ら積極的に加わったもの、巻き込まれたもの、葛藤の末向き合ったもの、敢えて距離を置いたもの、またそのムーブメントそのものと戦ったもの様々でした。しかしながらそこにあるのは、若者の内部・内芯の「戦い」を経てのものでした。当時を生きてきた方たちがその時を振り返ったとき出てくる言葉として、「その時はみんなやっていたから」とか「正しいかどうかはよくわかっていなかった」とかそのような声も少なくありません。確かに闘争のための闘争だったかもしれません。ただしそこを割り引いて見ても、左派のイデオロギーに共感しない私ですが、当時の戦っていた時代や人は美しく輝いて見えます。そして当時を生き抜いてきた方々のレガシーの土台のもと「今」があります。勿論全てが正しい訳ではないし、結果としても負けた戦いでしょう。それでも根っこにあるのは、故国への想い、命への想い、家族への想い、大切な人を守りたい想いだったはずです。革命は外側でなく内側で成されました。そこには右も左もありません。若者が声を発し、叫び、行動したこと、そんな時代があったことを否定のしようがありません。

今の10代、20代の方にはちょっとできないでしょう。今の30代、40代の人にはしなかったこと、できなかったことです。“キャッチャー・イン・ザ・ライ”のホールデンの「未熟ではあるけれど、ライ麦畑からこぼれ落ちそうになる子供たちを一人一人掴まえて救い上げたい」という気持ちと学生運動を戦ってきた方たちの想いに共通項があるのを感じずにはいられません。

【Heartland(心の国)はここに】―Field of dreamsが叶えたこと―④

2021-04-07 06:00:00 | 【Field of dreams】
ーその(1)ー

シューレス・ジョーやムーンライト・グラハムの時代のベースボールを見て育ったのが、レイの父親ジョン・キンセラとテレンス・マンです。テレンス・マンは映画で創作されたキャラクターで、原作【シューレスジョー】では実在の偉大な作家、JDサリンジャーが実名で登場人物として出ています。サリンジャーの著作権、版権や彼へのプライバシーの侵害を回避するために、監督であり脚本家でもあるフィル・アルデン・ロビンソンは映画【フィールド・オブ・ドリームス】のために彼に替わる新しいキャラクターを設定しました。

ルーツのサリンジャーについて少し触れていきます。JD(ジェローム・デビッド)サリンジャー(1919~2010)はポーランド系ユダヤ人の父とアイリッシュ系の母のもと1919年の1月1日に誕生しました。また他界されたのが2010年で91歳という長寿を生きました。国籍はアメリカです。著名な書籍としては“The Catcher in the Rye”(1951年)―邦題:ライ麦畑でつかまえて―が挙げられます。この本は日本では野崎孝氏、村上春樹氏の翻訳でたくさんの人に読まれ、読み継がれてきました。大学でも英文学のテキストとしても採用されることも多く、個人的にも在籍していた講師の先生が半期にわたって教材として使っていたことが記憶にあります。全世界で累計6000万部、今でも年間50万部ペースで世に出つづける作品です。“キャッチャー・イン・ザ・ライ”が文学として、芸術・アートとしてどれだけ優れているかは門外漢の自分は推し量れませんが、この一冊が世界にどれだけ大きな影響を与えたかはわかります。

恐らくこの本がなければ歴史は変わっていたことでしょう。第二次大戦後のカウンターカルチャーの起点になったと言っても過言ではありません。Rock ‘n’ roll(ロックンロール)が生まれる以前、エルビス・プレスリーやジェームス・ディーンが出現する前に、当時のアメリカ、その時代を生きる若者たちが抱えていた疑問や不満に、答えではなく「あるがままでいい」ということを物語という形で提示しました。そこには未熟の中にある輝きがあり、未完成の中にある純粋性が垣間見えます。大人の建前や、既存の作り上げられた常識に、真摯に“ NO ! ”を突き返します。若者が大人の高い壁を乗り越えたり、壊そうとしたりするアイコンとして主人公のホールデン・コーフィールドは存在します。

時は1950年代、その時代の親たちは「沈黙の世代」と呼ばれ、戦争後のただただ家族の平和、生活することそのもの、糧をもたらす仕事に没頭していきます。戦地での体験や傷の話は口を貝のように閉ざし、穏便に生きることそのものに専念します。その大人たちの「沈黙」と言う振る舞い、出す答えが朝鮮戦争経て、ベトナム戦争に地続きでつながっていきます。間違っていることに対して声を上げない姿勢、若者の声に耳を傾けず、既存の価値観を押し付ける態度に大人たちへの反抗が発生するのです。ジェームス・ディーンの映画で【理由なき反抗】― Rebel without cause ―がありますが、「理由」―CAUSE―はあったのです。

大きく俯瞰してみると、それは人類が誕生して以来ずっとつづいている「親を越える」という成長過程・通過儀礼であり、既存の価値観や伝統に縛られた融通の効かない宗教性に対する反抗だったのです。この運動を表向きの貧しさから脱却するための革命としてではなく、より深層部から見ると、人間性の回復を意図されたムーブメント【ルネッサンス】(14世紀~16世紀)に相応すると解釈できるのではないでしょうか。

“キャッチャー・イン・ザ・ライ”発刊当時、勘のいい体制側はその危険性に感づき、禁止図書にし、批判の咆哮をサリンジャーにぶつけます。ただ他方でその時代の若者たちも同様に気づきます。漠然と思っていた不満や疑問が確かに存在し、何かがおかしいということが間違いないことに。“キャッチャー・イン・ザ・ライ”が時代を越えて読み継がれるのは、人が成長する上で立ちはだかる壁を乗り越えることや、自分は自分であるという価値観に普遍性があるからだと思われます。

サリンジャーを支持する方にはまたかと言われるかもしれませんが、J・F・ケネディを暗殺したオズワルドも、ジョン・レノンを撃ったマーク・チャップマンも殺害時に持っていたのが“キャッチャー・イン・ザ・ライ”でした。勿論この本が引き金で犯行に及んだ訳ではありませんが、何かしらの影響を与えていたことは間違いありません。

1960年代、ベトナム戦争に対する反戦運動、社会の不条理や体制側の支配に対する学生運動が全世界に広がりますが、この運動参加者が読んでいた本の1冊が“キャッチャー・イン・ザ・ライ”です。直接的に反戦や貧困に言及したものではありませんが、未熟な若者が蟷螂(とうろう)の斧で、建前だらけの大人たちや未熟な自分自身にもがき反抗している様は、大きな共感を集めました。マルクスの【資本論】よりもちゃんと読まれていたのはむしろこちら側だったのではないかと思います。50年代にはそのような小説はほとんどありませんでした。また主人公ホールデンの「未熟ではあるけれど、ライ麦畑からこぼれ落ちそうになる子供たちを一人一人掴まえて救い上げたい」という想いは、彼の素行や問題行動と相対化されてその純度はダイアモンドのように高まります。間違っていても、問題児・アウトサイダーとされていても根っこはこの想いなんだよという点で、当時の世界の若者たちの琴線に響きました。勿論そこには右も左もなく、若者たちの心を捉え、そして若者だったことを忘れていない大人たちにもヒットしたのです。反抗のスピリットと純粋な理想への想いは当時の壁となる体制側や回答を拒む大人たちにぶつけられました。そしてその時代背景の元、“rock ‘n’ roll”―ロックンロール―が誕生するのです。エルビス・プレスリーです。


【Heartland(心の国)はここに】―Field of dreamsが叶えたこと―③

2021-04-06 06:00:00 | 【Field of dreams】
ーその(2)ー

ミネソタのチゾム(CHISHOLM)でレイが出会った年配のドクター・グラハムは夢を叶えられる球場への招待を感謝とともに丁重に断ります。その回答に失望しつつも受け入れるレイとテレンス・マン。二人で没収が迫る夢の球場に向かっていると、若き日のグラハム、ムーンライト・グラハムに遭遇します。そしてベースボールというアメリカの良心を携え夢の球場へ向かいます。そこにはシューレス・ジョーをはじめとして、その当時追放された残りの7人もおり、メジャーの舞台が整っていました。グラハムの夢がそこで叶ったのです。そしてたっての希望であったバッターボックスに立ち、相手のピッチャーにウィンクをし、錯乱させて勝負にのぞむことも実現しました。ワンアウト、3塁で回ってきたその打席でグラハムは大きなライトフライを打ちます。これが犠牲フライとなりチームに打点1を届けるのです。この犠牲フライという言葉ですが英語でも “sacrifice fly”と言うのですが、この結果やパフォーマンスもまたドクター・グラハムの人生を象徴していました。そして次の展開ではより重要な象徴的事故が起こります。

地権者のマーク(アニーの兄)とレイが球場のやり取りで争っているとその拍子で娘のカリンが数メートルの高さがある観覧席から転落し気を失います。最愛の娘の救急惨事です。すると夢をかなえた若き日のグラハムはカリンに向かって歩き出します。そして夢の球場と現実世界をしきる境界線を跨ぎます。夢が実現しているグラハムは知っています。その境界線を越えると、もうメジャーでのベースボールマンという人生には還ることはできないことを。その一線を越えたグラハムは、チゾムでレイが出遭ったドクター・グラハムに姿を変え、この物語の未来の象徴であるカリンの命を救うのです。するとずっと選手たちが見えなかった地権者のマークはドクター・グラハムの姿を認識します。同様に球場でプレーするかつてのメジャーリーガーを目の当たりにするのです。そして夢の球場の選手達も、レイも、テレンス・マンもグラハムがもう一緒にプレーできないことを悟ります。それはこの映画を観ている観客・オーディエンスも含めてみんなです。

フィールド・オブ・ドリームスは夢が叶うところ、生きているはずもない英雄がそこにいる物語。そこだけを切り取ってみれば非現実的なファンタジーではあるけれど、ここで夢の世界の厳しい現実を突きつけます。現実を越える夢の世界の厳しい「掟」を見ることで、現実を越える真実を共有するのです。この二重構造を経て、夢の球場がより現実味を帯び、観る者のリアルになるのです。ムーンライト・グラハムがドクター・グラハムに戻る。それは「使命」の大きさを物語っています。これはその人の「運命」というよりも「宿命」という表現の方が適しているかもしれません。だからと言って若き日の理想や夢に意味がないとか間違っているという話ではありません。その夢が導く出逢い、その過程で形成されていく自分は「使命」を全うする上での掛け替えのない力になるのです。叶わなかった夢が、自身が想像していた以上の自分を作り上げてくれるのです。

ドクター・グラハムの物語は教えてくれます。夢を叶えること、実現させることが人生全ての目的ではなく、自分の人生を全うさせることこそが人生の目的であることを。

“ Field of life ”なのです。

※あと6回で終わります。1日1EPづつUPしますので。お付き合いして下さると嬉しいです。

【Heartland(心の国)はここに】―Field of dreamsが叶えたこと―③

2021-04-04 06:00:00 | 【Field of dreams】
ーその(1)ー

ムーンライト(ドクター)・グラハム (1877年~1965年)はシューレス・ジョーより10歳年上ですが、同じメジャーに同時期に在籍していました。対照的なのはシューレス・ジョーの記録を伴う活躍に対して、ムーンライト・グラハムのプレーしたのはわずか1イニングだけというところです。ライトのポジションで守備には着きましたが、一度も打席に立つことはありませんでした。そしてその1イニングを最後に球界から去ります。プロの競争の厳しさに加え、当時の彼を取り巻く文化、社会情勢、経済状況もまた影響しているのでしょう。

彼はメジャーを退き、医師の道を志します。そして上級学校で資格を得て、ドクターとして地元に帰り、残りの人生を地域医療に捧げます。貧しい人たちには無料で診療したり、眼鏡を持っていない子供に眼鏡を作って上げたり、時にはベースボールの観戦チケットを子供たちに忍ばせたり、医師としては勿論人としても優れた人格者でした。医師としてのドクター・グラハムの人生は困っている人を助ける人生でした。冒頭「後悔(repent)」をキーワードに各登場人物を紐解くと書きましたが、ことグラハムに関して言えば、「後悔」はなく人生を全うしたのではないかと思われます。なぜなら彼の人生はベースボールマンとしてではなく、本命は医師だったからです。本分で本懐の医師として生きたことで、救われた人々はあまた数えられないほどでその影響の大きさは、選手として生きた時の比ではありません。ではなぜドクター・グラハムは夢の球場へ導かれたのでしょうか?シューレス・ジョーのような「悔い」や「闇」は見当たりません。なぜか?
ドクター・グラハムにとってメジャーリーグでプレーすること、打席に立つことは叶う前に途切れた「夢」でした。彼がいみじくもこう言っていたように、

Doc Graham: It was like coming this close to your dreams … and then watch them brush past you like a stranger in a crowd. At the time you don’t think much of it. You know , we just don’t recognize the most significant moments of our lives while they’re happening. Back then I thought, “Well, there’ll be other days.” I didn’t realize that … that was only day.

ドクター・グラハム:もう後これだけで夢が実現するところまできて…雑踏の中の見知らぬ人のように夢は、かすめ通り過ぎて行った。その時人はそんなに深く考えないものだ。人生の最も重要な瞬間に直面していても、その時はなかなか気がつかないもんなんだよ。あの時、私は「チャンスはまた来るさ」と思った。その日が唯一のチャンスだったことに気がつかなかった・・・・

夢を実現するということはなかなかできることではありません。特にプロの世界ではなおさらです。ある人は生活や家族を理由に、ある人は実力不足を理由に、ある人は戦争などの不測の事態を理由に。そこには続けないでいいことの正当な理由があります。已むに已まれぬ事情があるのです。誰も咎めることがない、誰もが同情できるものです。

では夢とは、自分との幼き日の自分との約束は、破られるためにあるのでしょうか?果たされぬことが常と容易く諦められるものなのでしょうか?大きな目的を満たすために夢を犠牲に差し出すことに対して、冷徹に「現実はそういうものさ」“C’est la vie !” と諸行無常で答えるだけしかないのでしょうか?この物語はそれを潔しとはしませんでした。

【Heartland(心の国)はここに】―Field of dreamsが叶えたこと―②

2021-04-02 06:00:00 | 【Field of dreams】
この物語の狂言回しと言えば、ストーリー全般にその存在が関わる、シューレス・ジョー・ジャクスンでしょう。このシューレスはshoelessで裸足を意味します。プレー中にヒットを放ったジョー・ジャクスンはその時履いていた靴のサイズが合わず裸足でダイアモンドを走ったという逸話が伝説になり、そのネーミングが定着したと言われています。生涯打率は356。ルーキー(メジャー1年目)時代に年間233安打の記録を打ち出し、ルーキーの記録としては90年間その記録は破られることはありませんでした。ちなみにその記録を破ったのはイチロー選手で、日本にも何かしらのご縁を感じる選手でもあります。いわゆる歴史残るような名プレイヤーだったのです。

その栄光が瓦解されていくのが1919年のことです。歴史に名高い「ブラックソックス事件」がその原因です。1919年のワールドシリーズ(優勝決定シリーズ)はホワイトソックス(シカゴ)とシンシナティレッズ(オハイオ)で争われていました。ホワイトソックスは力量・期待値共にレッズを越えていたにもかかわらず、3勝5敗で敗退しました。その理由が、ホワイトソックスの中の8人の選手が賄賂を受け取りわざと試合に負けたというものです。いわゆる八百長です。これだけを切り取れば永久追放も已む無しでしょう。ただその背景を見れば情状酌量の余地は多分にあります。

時代は第一次大戦終了期、第28代大統領ウッドロウ・ウィルソン(1856年~1924年ー民主党ー)の治世です。1919年のアメリカは戦争中の好況期から一転不況になっていきます。2年前の1917年はと言えばレーニンがロシア革命を起こした年です。共産主義/ソビエト連邦というモンスターの権化が生まれました。第一次大戦中鳴りを潜めていた活動家たちは景気の冷え込みに乗じて活動を活発化させます。労働組合はストを再開し、黒人達を扇動し暴動を起こさせます。混沌としていた時代だったのです。どうして「ブラックソックス事件」が起きたかと言えば、チームのオーナー、言い換えれば権力者が利益を過剰に享受し、選手に還元しなかったことにあります。象徴的な例としてはユニフォームのクリーニング代です。この必要経費もプロメジャーリーガーの選手達に負わせていたのです。「ブラックソックス」というのは犯罪の「黒」とかけているだけではなく、本当に汚れて黒かったからなのです。さらに悪いことは続くもので、この不況時に八百長をけしかけた組織も破綻し、見返りの報奨金は得られず、その組織からは選手の家族の命を盾にゆすられ、まさに泣きっ面に蜂の状態でした。已むに已まれずの八百長だったのです。確かに手を抜くことはいけない、賄賂だってもっての外、ただその当時の市井(しせい)の人々はまだ貧しかったのです。勿論貧しいからと言って何でも許されるわけではありませんが、自分たちの貢献で築いた収入、加えて不安定な所得を、オーナーが不等に独占するこの状況をよしとできるのでしょうか?連邦裁判所はこの背景を考慮し全員を無罪に評決します。ある意味社会的には8人は犯罪人とはならず守られたと言えます。ところがメジャーリーグは違う判決を8人に言い渡します。“suspend”―永久追放―二度とメジャーリーグでプレーすることを禁じられたのです。その当時ベースボールは貧富の差、党派、イデオロギー、人種、宗教を越えて神聖な存在でした。それは単なるスポーツにとどまらず、各地域にある地元球団を応援するアメリカの良心、シンボル、精神的支柱だったのです。建国からまだ比較的歴史の浅いアメリカのアイデンティティに育っていました。であるがゆえに、連邦裁判所以上にベースボール界は非常に厳しい審判を下しました。それはある意味ベースボールの誇り・格式を守るためであり、ひいてはアメリカの倫理観・良心を守るための判決と言えます。当時のヒーローたちの首を切ることに関しては、ベースボール界も断腸の想いがその背後にあったと思われます。この事件を機にコミッショナー制度ができ、今に至ります。より組織化され、ベースボールの社会的地位はさらに向上し、現在にも通じるメジャーリーグの基盤がより強固になりました。光陰ありますが「ブラックソックス事件」は世間にまたベースボールの歴史に大きな影響を残しました。そういう意味においてシューレス・ジョー・ジャクスンたちは時代の犠牲者だったのです。

しかしながら当人たちは大きなものを失いました。糧を失ったことも大きいですが、選手生命を奪われたことは致命的でもありました。ベースボールをするために生まれてきた人たちです、翼を捥がれた鳥に等しい。映画のセリフであった「戦地から足を無くして帰ってきた兵士が、無意識になくなった足をつい掻いてしまう」話と同じように、彼らは魂が生きているときは勿論、それ以後もベースボールを求めていたのです。

SHOLESS JOE: Getting thrown out of baseball …was like having part of me amputated. I’ve heard that old men wake up and … scratch itchy legs that have been dust for over fifty years. That was me.
シューレス・ジョー:球界から追放されて、手足を捥がれたような思いだった。老人は目覚めて、50年も前に麻痺した脚をつい掻いてしまうらしいが、それが今の俺だ。

シューレス・ジョーがアイオワの夢の球場に姿を現したのは無理からぬ自然なこととも思えなくもありません。と同時にヒーローを失ったファンたちは彼らの名誉回復をずっと待ち望んでいました。一度夢を見させてくれた英雄はずっと心に残るものです。彼らの立場や状況を汲み、心のどこかで再評価されるのを待ち続けていました。この想いが原動力となり、原作の【シューレス・ジョー】をWPキンセラに書かせ、【フィールド・オブ・ドリームス】の映画をフィルアルデン・ロビンソンに作らせたと言っても過言ではないでしょう。

そしてシューレス・ジョーが活躍した時代をリアルタイムで生き、その影響を大きく受けたのがドクター・グラハム、主人公レイの父親であるジョン・キンセラそしてテレンス・マンでした。