ー目次ー
この物語には夢の球場に通じる何人かの登場人物がいます。彼らの生きた時代が見える
と、なぜ彼らが夢の球場に集まったのか、またなぜ時を越えたファンタジーが真実味を帯びて迫ってくるのかが見えてきます。
まず箇条書きで早く生まれた順番で彼らを挙げていきます。
・ムーンライト(ドクター)・グラハム 1877年~1965年
⇒ミネソタ州チゾムで医師として人生を全う。メジャーリーグで1イニングだけプレーしたこともある。
・シューレス・ジョー・ジャクスン 1887年~1951年
⇒メジャーリーグ、ホワイト・ソックス時代に八百長をはたらいたとして球界から永久追放を受けた、伝説の名ベースボールプレイヤー
・ジョン・キンセラ 1896年~1974年
⇒第一次世界大戦時から第二次世界大戦後のアメリカを生きた、ごく一般的で良心的なレイの父親。野球を愛し、自身もマイナーリーグにいた経験を持つ。
・テレンス・マン(JD・サリンジャー) 1919年~2010年
⇒60年代の活動家であり小説家。原作ではJDサリンジャーとして登場している。代表作「舟を漕ぐ人」はサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)」と目されている。
・レイ・キンセラ 1952年~
⇒アイオワの農夫だったが“If you built it, he will come.”の VOICE(声)を聞き、トウモロコシ畑を野球場に造り変えたこの物語の主人公。
その時代とともに「後悔(repent)」をキーワードに夢の球場集まった人たちを紐解いて行きたいと思います。主人公のレイとジョンは親子の失われた時間と関係性。シューレス・ジョー・ジャクスンは唯一のとりえで強みでもあったベースボールを事件によって失いました。ドク・グラハムはメジャーリーグで生きるという道を断念しました。テレンス・マンは小説家としての筆を折り、自身の表現への想いを止めています。この物語はこの失った人生で最も大切だったものを一つ一つ丁寧に回収していきます。違う時代、異なる場所という生地を「ベースボール」という針で縫い合わせていくと、一枚のキルトのように見事なタペストリーを編み上げます。それは一つの宇宙のように、一つの曼荼羅(マンダラ)のように。そしてこの物語に歴史という軸を当てはめていくとよりこの物語が荒唐無稽ではなく、リアルで今日に生きる私たちに確実に繋がっていることがわかります。彼らの夢の球場への導きがなぜ必然であったのか、そして今の私たちの歴史にこの物語がどうつながっているかをこれから見ていきたいと思います。
この物語には夢の球場に通じる何人かの登場人物がいます。彼らの生きた時代が見える
と、なぜ彼らが夢の球場に集まったのか、またなぜ時を越えたファンタジーが真実味を帯びて迫ってくるのかが見えてきます。
まず箇条書きで早く生まれた順番で彼らを挙げていきます。
・ムーンライト(ドクター)・グラハム 1877年~1965年
⇒ミネソタ州チゾムで医師として人生を全う。メジャーリーグで1イニングだけプレーしたこともある。
・シューレス・ジョー・ジャクスン 1887年~1951年
⇒メジャーリーグ、ホワイト・ソックス時代に八百長をはたらいたとして球界から永久追放を受けた、伝説の名ベースボールプレイヤー
・ジョン・キンセラ 1896年~1974年
⇒第一次世界大戦時から第二次世界大戦後のアメリカを生きた、ごく一般的で良心的なレイの父親。野球を愛し、自身もマイナーリーグにいた経験を持つ。
・テレンス・マン(JD・サリンジャー) 1919年~2010年
⇒60年代の活動家であり小説家。原作ではJDサリンジャーとして登場している。代表作「舟を漕ぐ人」はサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)」と目されている。
・レイ・キンセラ 1952年~
⇒アイオワの農夫だったが“If you built it, he will come.”の VOICE(声)を聞き、トウモロコシ畑を野球場に造り変えたこの物語の主人公。
その時代とともに「後悔(repent)」をキーワードに夢の球場集まった人たちを紐解いて行きたいと思います。主人公のレイとジョンは親子の失われた時間と関係性。シューレス・ジョー・ジャクスンは唯一のとりえで強みでもあったベースボールを事件によって失いました。ドク・グラハムはメジャーリーグで生きるという道を断念しました。テレンス・マンは小説家としての筆を折り、自身の表現への想いを止めています。この物語はこの失った人生で最も大切だったものを一つ一つ丁寧に回収していきます。違う時代、異なる場所という生地を「ベースボール」という針で縫い合わせていくと、一枚のキルトのように見事なタペストリーを編み上げます。それは一つの宇宙のように、一つの曼荼羅(マンダラ)のように。そしてこの物語に歴史という軸を当てはめていくとよりこの物語が荒唐無稽ではなく、リアルで今日に生きる私たちに確実に繋がっていることがわかります。彼らの夢の球場への導きがなぜ必然であったのか、そして今の私たちの歴史にこの物語がどうつながっているかをこれから見ていきたいと思います。