負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

安部公房といういまは読まれない作家は現代の預言者だった

2005年01月11日 | 詞花日暦
だいたい《技術》対《人間》という二元論が、
ぼくにはうさん臭く思われる
――安部公房(作家)

 安部公房の文学ほど、日本人の湿潤な叙情的感性や伝統的な美意識から遠いものはない。その意味で日本の文学史上、すぐれて前衛的であった。早くから海外でよく読まれたのもそのため。日本の作家たちがほとんど避けて通った科学・技術的リアリズムで世界を捉えた新しさがあった。
 地震と津波による陸地の水没に備え、海底牧場をつくる近未来が描かれた『第四間氷期』もその一例。未来を予測するコンピュータや人間を含めた動物を水棲動物に転化する科学技術が描かれる。だが、SFにありがちな科学技術の否定も礼賛もここにはない。「『技術礼賛』の夢がすでに色あせてしまったように、『反技術主義』もほとんど有効性のない老人の愚痴にしか聞えません」ということばにその独創性がよく表れている。
 同時にそれは二十一世紀の人類や地球が陥る破局(アポカリプス)の預言でもあった。もし地球の温暖化や地震がもたらす方向を知りたければ、せめて『第四間氷期』くらい読むといい。企業の利潤追求、国家のエゴイズム、産業の軍事化を問うだけではない。索漠とした技術リアリズムの中に人々がどこかで不安を感じている近未来があからさまに浮かび上がってくる。