負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

道元の禅風を守る別の寺が永平寺の近くにある

2005年01月20日 | 詞花日暦
山中に宝慶寺を開山して、
如浄・道元の禅風をひとり守る
――司馬遼太郎(作家)

 一乗谷を過ぎ、福井県大野市に入ると、東の方向に雪を冠した両白山が美しい。雪原の盆地を走って、宝慶寺に着く。ふもとから深い雪に足をとられ、森閑とした山を登る。二十四歳で入宋した道元が、師・如浄に巡り会うのは二十六歳。その弟子に寂円がいた。二十八歳で道元が日本に帰った翌年、彼は如浄の死を見取ったあと、道元を追う。「以降、寂円は道元が死ぬまで随伴して離れなかった」。
 帰国後十六年、道元は永平寺を建てた。しかし寂円は、師の跡を継いだ人々が道元の思想を受け継がず、禅より栄達を第一にしたと見る。師の禅風を護るため、永平寺から離れた山中に宝慶寺を建てた。
 雪に埋もれた四脚山門と本堂が見える。人の気配はない。司馬によると、この寺に寂円が大切にした道元の肖像画がある。暮れなずむ夕刻まで待ったが、目的は果たさなかった。寂円が慕った厳しい道元の顔は、雪に沈んだ山間の寺の風情だけでも偲ぶことができる。