負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

時代に遅れている人ほどいい仕事ができる

2005年01月06日 | 詞花日暦
時代感覚に即応できない鈍感さも、
一概にマイナスばかりではなかった
――家永三郎(歴史学者)

 家永三郎が生まれた大正二年、熊本県八代に転勤した軍人の父は、現役から予備役に退いた。姉の病気などで、家の貧しさが身にしみたという。幼い三郎も病身だった。
 東京の学校では、数学や工作が苦手、運動音痴、休学のおおい落ちこぼれだった。読書と作文が好きだったが、中学時代の詩は島崎藤村をまねた時代遅れのもの。小学校からつづいた天皇制道徳もそのまま受け入れていた。昭和六年に入学した東京高等学校では、流行のマルクス主義に衝撃を受けながらのめりこめなかった。
 いつも時代に遅れていた家永が発見したのは、「万能の思想があるとは到底信ずることができない」という一点だった。たいせつなものは個人の自由や自立だと気付く。国家が支配力を強めるとき、その自由や自立が脅かされる。昭和四十年に始めた「教科書検定違憲訴訟」は、端的なその表れ。時の流行に右往左往しない「鈍感さ」が、かえって大きく歴史を動かす。大きな足跡を残して、平成十四年に亡くなった。