負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

小鹿田焼の陶工は無邪気に他人のデザインをまねた

2005年01月12日 | 詞花日暦
焼き物の形と模様が真似されているの見て、
むしろ怖くなった
――バーナード・リーチ(陶芸家)

 昭和二十八年、イギリスの陶芸家バーナード・リーチは、作陶のため大分県日田の小鹿田(おんた)に滞在した。素朴な焼き物で知られた山間の地である。彼が驚いたのは、村人たちが平気で自分のつくる焼きものをそっくりまねたことである。十九世紀の産業革命や個人主義とともに育ったリーチには、当然、デザインの所有権意識がある。が、日本人の彼らには無邪気なほどそれが欠落していた。
 リーチはその無神経さをなじったのではない。彼の心配は、素朴な共同体がいずれ消えるとき、日本の民芸はどうなるのか。おりしも当時の日本全体が欧米の「模倣」に明け暮れていた。権利意識が西欧から押し付けられるとき、その圧力で民芸は支柱を失う。
 山間の農民から生まれた水差、碗、湯たんぽ、酒器、醤油差などには、西洋人の自分がつくる陶器よりはるかに素朴な美しさがある。近代主義とはそんな支柱を奪い去る。リーチが怖くなったのはこの一事だった。もしリーチが生きていたら、いまでも日本人は「体に合わない着物を着ている」と言うことだろう。