負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

明治末に起きた暗黒裁判の冤罪がいまも語り継がれている

2005年01月23日 | 詞花日暦
私は私自身を欺かずに
生を終わればよい
――管野須賀子(社会主義運動家)

 明治四十四年一月下旬、東京は雪が積もっていた。大審院の最高法廷で死刑を宣告された十二名の遺骸が、雪の中を火葬場に運ばれた。裁判は歴史に大きな汚点を残す「大逆事件」である。天皇暗殺を企てたとされる被告たちは二十四名にのぼり、ほとんどが冤罪だった。
 二十五日早朝に処刑された管野須賀子は、地方紙の記者などを経て上京、荒畑寒村との「結婚」、幸徳秋水との同棲生活の中で社会主義運動に没入していった。赤旗事件、「平民社」の活動など、当時の政府・官権の圧制に異議を唱え、行動をつづけた。
 判決を受けて法廷を出るとき、背後を振り返って「皆さん左様なら」と叫んだ。獄中手記には「私は私自身を欺かずに生を終わればよい」と書いた。毀誉褒貶にまみれた彼女の短い生涯だが、一筋に自らの考えと行動を貫いた。それから百年近いいまでも、彼女が眠る東京・新宿の正春寺では、毎年この季節、暗黒裁判の冤罪を語る人々の会合が開かれている。