原文はこちらです。
まるまる持って来てますので、こっそり読んでね



自ら成しえた勝利、パク・ウンテ

10年前[ライオンキング]でアンサンブルとしてミュージカルの舞台に立つようになったパク・ウンテ。 存在感が薄い新人時代、とても有名な俳優をロールモデルにしていつも努力して来た彼が、他の誰かのロールモデルになるまでにあまり長くはかからなかった。
いきいきとした新人俳優から誰も否定することができない国内代表ミュージカル俳優に成長するまで、まじめに上昇曲線を描いて来た彼の人生グラフを振り返る。

2006 : ライオンキング
人生をかえたきっかけ[ライオンキング]
“デビュー作[ライオンキング]は生涯感謝する大切な作品です。 どうかすると時々‘偶然に[ライオンキング]のオーディションを見るコトがなかったら?’ と考えてみたりするコトがあるんですが、僕は学校を卒業したら平凡な会社員になったと思います。 歌手志望生で迷った時期に偶然に出会った[ライオンキング]で人生が完全に変わったんです。実際は[ライオンキング]を始めてからもミュージカル俳優が僕の進む道だという確信は持てなかったんです。 二十半ばだった当時、他の人々はすべて自分の夢に出会ってるみたいなのに、僕の夢だけ薄暗く感じられて、どれほど恐ろしかったか。 何かに集中しないと心細くてミュージカル演習に集中したことが、後に本当に大きく役立ちました。 もし10年前の自分自身にコトバを掛けることができたら、‘肩をとんとん(よしよし)’よく頑張ったねと話してあげたいです。”
2007 : ノートルダムドパリ
ノートルダムドパリ
成長の時間[ノートルダムドパリ]
“初演、再演、出演した[ノートルダムドパリ]は私をアンサンブルから助演に成長させてくれました。 一言で言うと私にアクセルを踏ませてくれた作品です。長期間公演しただけに沢山の思い出がありますが、二回目の再公演の間に声帯結節で苦労したことが一番記憶に残っています。 当時、音がちょっと外れる程度ではなく、不安定な音程で公演を続けたんですよ。今は緊張することに慣れましたが、その時は公演出来る気がしないと感じられるほど舞台上で震えた時で舞台を台無しにしてしまった恥ずかしさは言葉で表現が出来ないです。舞台の奈落に消えてしまいたい気分でした。声帯結節を経験した以後は、藁をつかむ思いでノドの管理に注力しましたが、そうしながらに管理法がだんだん分かってきたようです。 [ノートルダムドパリ]を通じてミュージカル俳優として必要な徳を学んだわけです。”
2008 : 愛は雨に乗って、ハムレット
2009 : ノートルダムドパリ
2010 : 蜘蛛女人のキス、ピマッコル恋歌、モーツァルト!
ピマッコル恋歌
2011 : ピマッコル恋歌、ハムレット
2012 : エリザベート、モーツァルト!、 皇太子ルドルフ


2013 : ジーザスクライストスーパースター、エリザベート

楽しい記憶[エリザベート]
“[エリザベート]は作品に対する情報なしに出演を決めた作品です。当時は作品を選択する時には所属会社の意見によく従う方でした。自らが作品を見る眼というのが不十分だとも思っていました。だからルケーニという役が私に強烈な印象を残すとは思いもしませんでした。ルケーニは主人公のエリザベート皇后を殺す殺人犯であるのと同時に劇を導いて行く解説者であり、憚りなく舞台を駆け巡りながら観客を思いのままに翻弄するキャラクターなので、演技する快感が相当あったんです。何よりも暗くて悲しい感情を導き出す必要がなくて良かったんです。主に悲劇的な情緒が強い作品で悽絶なキャラクターを演じて来ていたので、舞台で楽しく遊ぶことができるキャラクターを演技出来るのが楽しかったんですよ。
ここ最近、特に精神的に疲弊する憂鬱な役をたくさん演じてきたので、それで楽しくて面白く公演した記憶がもっと強く残ったようです。”
2014 : フランケンシュタイン、モーツァルト! 、ジキルとハイド

試験の舞台[ジキルとハイド]
“[ジキルとハイド]は出演するまでに本当にたくさん悩んだ作品です。あの時ほど親しい知人の意見が半々に分かれたことはありませんでした。ところが、君には似合わないという感じの否定的な意見を何度もきいたらやる気が生まれるんですよ。我が国を代表するミュージカル俳優リュ・ジョンハンとチョ・スンウを誕生させた作品の10周年記念公演に二人の俳優とともに出演するというのが光栄でもありました。とても悩んだあげく出演を決めましたが、公演を準備しながらストレスという単語では表現出来ないくらいの圧迫を感じました。 [ジキルとハイド]は俳優パク・ウンテを試せる試験的な舞台という感じがあったんですよ。そんな意味で[ジキルとハイド]は、私にとってターニングポイントのような作品です。 無事に初公演を終えて、自分でもワケもわからず嗚咽した時、私と一緒に泣いてくださった観客の姿は一生忘れることができません。”
2015 : ジーザスクライストスーパースター
2016 : フランケンシュタイン

光栄の瞬間[フランケンシュタイン]
“[フランケンシュタイン]初演は今考えてみても予想できなかった過分な愛を受けました。大型創作ミュージカルを作るだけに紆余曲折がありましたが、作品に参加するすべての人々が良い作品のために一心になって協力したし、それが成功への大きな原動力になったのだと思います。 [フランケンシュタイン]の成功で堅固なチームワークが作り出す真実の努力は裏切らないということをまた感じました。 個人的にはこの作品で主演男優賞まで貰い、もっと精進して行く力を得たんです。 しかし一方では再公演の出演オファーを気経に受け入れる事ができなかった程大変だった作品でもあります。
初演当時呪われた被造物というキャラクターに嵌まり、日常生活でも憂鬱さを振り切ることができなくて、すごく苦労しました。あの時に日常生活に影響を与えるほどキャラクターに陥るのは決して良い事ではないということを悟ったんです。今も相変らず舞台の上では死ぬほど大変ですが、最善をつくして、これから残った2ヶ月の公演をうまく仕上げたいです。”




コチラを読んでると、当時のタイグンギルの時のウンテくんの様子や舞台の上のウンテの表情が浮かんで来て....、
うんうん
うんうん
な~んて思ったりしちゃう今日この頃です。
残り4公演、思い残す事なく演じきって欲しいです^ ^
頑張って
まるまる持って来てますので、こっそり読んでね




自ら成しえた勝利、パク・ウンテ

10年前[ライオンキング]でアンサンブルとしてミュージカルの舞台に立つようになったパク・ウンテ。 存在感が薄い新人時代、とても有名な俳優をロールモデルにしていつも努力して来た彼が、他の誰かのロールモデルになるまでにあまり長くはかからなかった。
いきいきとした新人俳優から誰も否定することができない国内代表ミュージカル俳優に成長するまで、まじめに上昇曲線を描いて来た彼の人生グラフを振り返る。

2006 : ライオンキング
人生をかえたきっかけ[ライオンキング]
“デビュー作[ライオンキング]は生涯感謝する大切な作品です。 どうかすると時々‘偶然に[ライオンキング]のオーディションを見るコトがなかったら?’ と考えてみたりするコトがあるんですが、僕は学校を卒業したら平凡な会社員になったと思います。 歌手志望生で迷った時期に偶然に出会った[ライオンキング]で人生が完全に変わったんです。実際は[ライオンキング]を始めてからもミュージカル俳優が僕の進む道だという確信は持てなかったんです。 二十半ばだった当時、他の人々はすべて自分の夢に出会ってるみたいなのに、僕の夢だけ薄暗く感じられて、どれほど恐ろしかったか。 何かに集中しないと心細くてミュージカル演習に集中したことが、後に本当に大きく役立ちました。 もし10年前の自分自身にコトバを掛けることができたら、‘肩をとんとん(よしよし)’よく頑張ったねと話してあげたいです。”
2007 : ノートルダムドパリ
ノートルダムドパリ
成長の時間[ノートルダムドパリ]
“初演、再演、出演した[ノートルダムドパリ]は私をアンサンブルから助演に成長させてくれました。 一言で言うと私にアクセルを踏ませてくれた作品です。長期間公演しただけに沢山の思い出がありますが、二回目の再公演の間に声帯結節で苦労したことが一番記憶に残っています。 当時、音がちょっと外れる程度ではなく、不安定な音程で公演を続けたんですよ。今は緊張することに慣れましたが、その時は公演出来る気がしないと感じられるほど舞台上で震えた時で舞台を台無しにしてしまった恥ずかしさは言葉で表現が出来ないです。舞台の奈落に消えてしまいたい気分でした。声帯結節を経験した以後は、藁をつかむ思いでノドの管理に注力しましたが、そうしながらに管理法がだんだん分かってきたようです。 [ノートルダムドパリ]を通じてミュージカル俳優として必要な徳を学んだわけです。”
2008 : 愛は雨に乗って、ハムレット
2009 : ノートルダムドパリ
2010 : 蜘蛛女人のキス、ピマッコル恋歌、モーツァルト!
ピマッコル恋歌
2011 : ピマッコル恋歌、ハムレット
2012 : エリザベート、モーツァルト!、 皇太子ルドルフ


2013 : ジーザスクライストスーパースター、エリザベート

楽しい記憶[エリザベート]
“[エリザベート]は作品に対する情報なしに出演を決めた作品です。当時は作品を選択する時には所属会社の意見によく従う方でした。自らが作品を見る眼というのが不十分だとも思っていました。だからルケーニという役が私に強烈な印象を残すとは思いもしませんでした。ルケーニは主人公のエリザベート皇后を殺す殺人犯であるのと同時に劇を導いて行く解説者であり、憚りなく舞台を駆け巡りながら観客を思いのままに翻弄するキャラクターなので、演技する快感が相当あったんです。何よりも暗くて悲しい感情を導き出す必要がなくて良かったんです。主に悲劇的な情緒が強い作品で悽絶なキャラクターを演じて来ていたので、舞台で楽しく遊ぶことができるキャラクターを演技出来るのが楽しかったんですよ。
ここ最近、特に精神的に疲弊する憂鬱な役をたくさん演じてきたので、それで楽しくて面白く公演した記憶がもっと強く残ったようです。”
2014 : フランケンシュタイン、モーツァルト! 、ジキルとハイド

試験の舞台[ジキルとハイド]
“[ジキルとハイド]は出演するまでに本当にたくさん悩んだ作品です。あの時ほど親しい知人の意見が半々に分かれたことはありませんでした。ところが、君には似合わないという感じの否定的な意見を何度もきいたらやる気が生まれるんですよ。我が国を代表するミュージカル俳優リュ・ジョンハンとチョ・スンウを誕生させた作品の10周年記念公演に二人の俳優とともに出演するというのが光栄でもありました。とても悩んだあげく出演を決めましたが、公演を準備しながらストレスという単語では表現出来ないくらいの圧迫を感じました。 [ジキルとハイド]は俳優パク・ウンテを試せる試験的な舞台という感じがあったんですよ。そんな意味で[ジキルとハイド]は、私にとってターニングポイントのような作品です。 無事に初公演を終えて、自分でもワケもわからず嗚咽した時、私と一緒に泣いてくださった観客の姿は一生忘れることができません。”
2015 : ジーザスクライストスーパースター
2016 : フランケンシュタイン

光栄の瞬間[フランケンシュタイン]
“[フランケンシュタイン]初演は今考えてみても予想できなかった過分な愛を受けました。大型創作ミュージカルを作るだけに紆余曲折がありましたが、作品に参加するすべての人々が良い作品のために一心になって協力したし、それが成功への大きな原動力になったのだと思います。 [フランケンシュタイン]の成功で堅固なチームワークが作り出す真実の努力は裏切らないということをまた感じました。 個人的にはこの作品で主演男優賞まで貰い、もっと精進して行く力を得たんです。 しかし一方では再公演の出演オファーを気経に受け入れる事ができなかった程大変だった作品でもあります。
初演当時呪われた被造物というキャラクターに嵌まり、日常生活でも憂鬱さを振り切ることができなくて、すごく苦労しました。あの時に日常生活に影響を与えるほどキャラクターに陥るのは決して良い事ではないということを悟ったんです。今も相変らず舞台の上では死ぬほど大変ですが、最善をつくして、これから残った2ヶ月の公演をうまく仕上げたいです。”




コチラを読んでると、当時のタイグンギルの時のウンテくんの様子や舞台の上のウンテの表情が浮かんで来て....、
うんうん


な~んて思ったりしちゃう今日この頃です。
残り4公演、思い残す事なく演じきって欲しいです^ ^
頑張って
