老母84ちゃい。
四人姉妹の末っ子で、かわいがられて育ってきた。
絵に描いたような末っ子甘えん坊の弱虫である。
二番目の姉さんが気の強い人だったので、よく
「泣き虫、毛虫、はさんで捨てろ」
といじめられたと言う。
穏やかな人だと思われているが、それはソトヅラであり、
耐えられる線が低いので、ちょくちょくヒステリックな声をあげる。
痛いこと、怖いこと、つらいこと、課題や困難にあうと、悲鳴をあげる。
私自身は、押し黙る子だった。
ワーワー騒いで主張したり、キーキー叫んで通そうとしたりしない。
「黙ってふすまに向かって立ってた。」
とは、母の友人の証言だ。
母とは違ったタイプの弱虫である。
私のことはさておき。
※
老母84歳、足の裏にウオノメができて痛い。
足の裏の皮の角質化が強く、厚さがあるので深く芯になる。
パーキンソン病の歩行困難というより、股関節の問題というより、
足の裏が痛くて、歩くのはおろか立つのもイヤなくらいだ。
この角質化は、年老いて始まったわけではない。
私が知る限り、母の足の裏の角質は厚い。
三十代にはすでにガチガチだった。
そのままにしておいたら悪化しただけのことだ。
手指の角質化もひどい。
手も足も、冷えている。
しかし、本人はそれを苦にしていない。
手足が冷たいという自覚が無い。
だからそのままにする。
そして悪化する。
※
角質化があまりひどいので、もう削るしかない。
皮膚科の先生に往診してもらい、足の裏の角質を、
爪切り鋏のような道具で、切ってもらう。
深いところを切る時が、痛い。
ヒーだのなんだのと悲鳴をあげる。
そして、
「こわい」
と言う。
すごく痛いことは、こわい。
というのはよくわかる。
私も、すごく痛いのはこわい。
しかし、角質部分を切っているので出血も無いし、
先生は上手だし、なんたってこれで楽になるんだ。
「こわい?なんでー?」
と、先生も不思議そうに聞き返していた。
※
月に一度、神経内科の主治医を受診している。
先生は、話のはじめに天気の話をしてくれた。
医師「台風こわくなかったですか?」
老母「むふふ・・・大島にくらべたら、なんでもない。」
以前、仕事で奄美大島によく行ってまして、あちらは台風の本場で
こっちより強いですから。
と、私は咄嗟に補う。
※
つまり、
経験したことの無いようなものは、こわいんじゃないだろうか。
そして、激しい痛みや激しい風雨のせいで、
その後に何かとんでもない事態が続くのではないか、と想像することが
こわさのもとではないだろうか。
おそらく、母も奄美で台風にあったときはこわがったのだろう。
それでも無事だった。
だから、今回の台風くらいの規模なら、そのときよりも弱いのだから大丈夫と思える。
こわくない。
※
つくづく、経験するということは大事だと思う。
また、経験が無くとも、おきていない事態を想像して心配し不安がることを
しなければ、「こわい」という感情にはなりにくい。
この程度のこわさは、自分で作り出しているものである。
※
経験したことのない事がこわい。
なるほど、だから人は、死ぬのがこわいのか。
大体の人が、死んだ経験が無い。だから、死ぬのがこわい。
そう、大体の人が。
たまーに、いっぺん死んだことのある人も、いるからねえ。
四人姉妹の末っ子で、かわいがられて育ってきた。
絵に描いたような末っ子甘えん坊の弱虫である。
二番目の姉さんが気の強い人だったので、よく
「泣き虫、毛虫、はさんで捨てろ」
といじめられたと言う。
穏やかな人だと思われているが、それはソトヅラであり、
耐えられる線が低いので、ちょくちょくヒステリックな声をあげる。
痛いこと、怖いこと、つらいこと、課題や困難にあうと、悲鳴をあげる。
私自身は、押し黙る子だった。
ワーワー騒いで主張したり、キーキー叫んで通そうとしたりしない。
「黙ってふすまに向かって立ってた。」
とは、母の友人の証言だ。
母とは違ったタイプの弱虫である。
私のことはさておき。
※
老母84歳、足の裏にウオノメができて痛い。
足の裏の皮の角質化が強く、厚さがあるので深く芯になる。
パーキンソン病の歩行困難というより、股関節の問題というより、
足の裏が痛くて、歩くのはおろか立つのもイヤなくらいだ。
この角質化は、年老いて始まったわけではない。
私が知る限り、母の足の裏の角質は厚い。
三十代にはすでにガチガチだった。
そのままにしておいたら悪化しただけのことだ。
手指の角質化もひどい。
手も足も、冷えている。
しかし、本人はそれを苦にしていない。
手足が冷たいという自覚が無い。
だからそのままにする。
そして悪化する。
※
角質化があまりひどいので、もう削るしかない。
皮膚科の先生に往診してもらい、足の裏の角質を、
爪切り鋏のような道具で、切ってもらう。
深いところを切る時が、痛い。
ヒーだのなんだのと悲鳴をあげる。
そして、
「こわい」
と言う。
すごく痛いことは、こわい。
というのはよくわかる。
私も、すごく痛いのはこわい。
しかし、角質部分を切っているので出血も無いし、
先生は上手だし、なんたってこれで楽になるんだ。
「こわい?なんでー?」
と、先生も不思議そうに聞き返していた。
※
月に一度、神経内科の主治医を受診している。
先生は、話のはじめに天気の話をしてくれた。
医師「台風こわくなかったですか?」
老母「むふふ・・・大島にくらべたら、なんでもない。」
以前、仕事で奄美大島によく行ってまして、あちらは台風の本場で
こっちより強いですから。
と、私は咄嗟に補う。
※
つまり、
経験したことの無いようなものは、こわいんじゃないだろうか。
そして、激しい痛みや激しい風雨のせいで、
その後に何かとんでもない事態が続くのではないか、と想像することが
こわさのもとではないだろうか。
おそらく、母も奄美で台風にあったときはこわがったのだろう。
それでも無事だった。
だから、今回の台風くらいの規模なら、そのときよりも弱いのだから大丈夫と思える。
こわくない。
※
つくづく、経験するということは大事だと思う。
また、経験が無くとも、おきていない事態を想像して心配し不安がることを
しなければ、「こわい」という感情にはなりにくい。
この程度のこわさは、自分で作り出しているものである。
※
経験したことのない事がこわい。
なるほど、だから人は、死ぬのがこわいのか。
大体の人が、死んだ経験が無い。だから、死ぬのがこわい。
そう、大体の人が。
たまーに、いっぺん死んだことのある人も、いるからねえ。
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