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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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「コタキ兄弟と四苦八苦」をまたほめるよの後編

2020年04月22日 | LGB&T
[あらすじ] 3月に終わったテレビドラマ「コタキ兄弟と四苦八苦」が良かった。
最終話は3度くらい見てその度に涙した。
無職の兄弟オヤジ、一路とニ路の入り浸っている喫茶シャバダバの店員、
さっちゃんはオープンなレズビアンだ。
二路は娘がいるので、備えてLGBTについて学んであった。
兄一路はまるで理解できない。


一路「だけどだけど、その気になれば男の人とも付き合えるんだよね?」
二路「そういう人もいなくはないけど。そういうことじゃないんだって」
一路「さっきバール君と付き合ってるって」
二路「あれはその場しのぎの嘘。それくらい分かれよ」



さっちゃん「ミチルの家には資金が有る。開業したっていい。
   でも私と付き合うなら、親子の縁を切る、って両親に言われました」
  「ミチルだけ親との縁を切って全部捨てて苦労しろなんて、私に言う権利無いですよ」
  「レズビアンの中には、男性との結婚を選ぶ人もいる。
   その人と子どもを作って暮らしている人もいる。
   だったら、わざわざ苦労するほうを選ぶことないじゃないですか」
一路「そうなの?あ、はは、ほっとした。
   やっぱりね、うん、男と女というのが自然な姿であって、そのほうがいいに決まっている。
   さっちゃんも男性のいい人を見つけて、添い遂げたほうが幸せになれる」
二路「最悪」



あーあ。なんだか身に覚えが有るなあ。
ウチの母も、私のセクシャリティなぞ受け入れられず、
何年か前、さも私のことを思いやるように言った。
「いい人がいたら、結婚していいのよ。」
していい、ってなんだろうと思った。
母の世話のために私が結婚を諦めて家にいるとでも思っているのだろうか。



現在の日本の社会において、私にとって「いい人と結婚」という制度は用意されていない。
ごく一般的とされているレールがそもそも無い、それがむしろ当たり前と思って生きてきた。

当たり前と思って、というのは、それでスイスイと生きてきたという意味ではない。
楽か、っつったら楽じゃない。

レールと言うと型に嵌められるようで良くないが、
ロールモデルと言えば、より相応しい。
こんなふうに生きていくんだなあ、という大まかなイメージすら
セクシュアルマイノリティとしての私には、無かったし、今も無い。

無いから不安、とは言っていない。
ただし、それは性格的なものであって、
ロールモデルが無いから不安で困っている人は大勢いる。



二路「兄貴、最悪。マジ、デリカシー無い。
   当分この店に出入り禁止な。さっちゃん、兄貴の顔見たくないと思うから」
一路「さっちゃんに謝ったほうがいい?」
二路「謝るったって何が悪いか分かってないんだろ?
   形だけ謝られたっていい迷惑なんだよ」



兄一路は、その後LGBT関連の本を片っ端から読む。

一路「全ての本をくまなく読んだ結果、さっちゃんになんというひどいことを言ってしまったのかと、
   読めば読むほどに理解し、噛みしめ、恥ずかしさのため頭がどうにかなりそうで。
   俺はなんてことを」
二路「そうやって関係無いヤツにクヨクヨされるのもウザいって」



2週間あまりを経て、兄弟は喫茶シャバダバに行く。

二路「ミチルちゃんの試験、今日じゃん。
   二人のことを親に認めてもらうために、受かりたいんだって。
   応援してやんなくて、いいのかよ。
   自分が消えていなくなればいいなんて、考えんなよ」 
さっちゃん「ミチルが前に言ったんです。どうして私たちは祝福されないんだろう、
   どうしてこんなふうに生まれてきちゃったんだろう、って」
一路「それでも、生まれちゃったんだよ、俺たちは。
   出ちゃったものは、戻せない。この体で、この心で、生まれてきてしまった。
   けれども、その先は好きにさせてもらうぞ、神様!仏様か知らないけど。
   あなたが、あなたたちが、あなたとして生きていくことを、
   俺は祝福する!」

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