犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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不都合な事実

2018年09月16日 | はじめにお読みください
[あらすじ] トイレはなぜ玄関のわきに有るのか。
ちゃんと扉を閉めなきゃ、客人をにおいで迎えてしまうではないか。


よく、政治家などの発言の部分を切り取って、問題発言だと取り沙汰する
という事が有る。
ワンフレーズだけ切り出すとひどい意見に見えるが、
文脈を見てみると理解できる、という場合が有る。

また、その逆のようなやり方で、
すべてを出さないことで偽りになる、ということも有る。
隠すということは、嘘はついていないのに、
相手に誤解させるという意味では嘘のような結果になるのだ。



何が言いたいかって、
昨日、「同居の人にはトイレの扉は閉めて用を足してもらいたいものだ」
ということを書いたが、
同時に私は、自分でもトイレの扉を閉めないで用を足すことが有るのだ。
わっはっは。
この事実を書くと、私がただのわがままに見えて不都合だから、書かない。
そんなことは、このブログで私はしばしばやっている。

書いてあることは本当のことばかりだ。
だが、本当のことを全部書いているわけではない。
全部の本当のことを書かないことで、結果、全体は本当のことではなくなる。



まあ、本当のことを全部書いたりしたら、とても読めたもんじゃないものが
できあがる。ような気がする。



言い訳しよう。

本当のことを全部書かないことへの言い訳ではなくて。
トイレの扉を閉めないで用を足すことが有ることへの言い訳。

朝、私が起きて活動を始めると、犬が気付いて起きて、挨拶に来る。
起きたら真っ先に私に挨拶に来てくれる犬を、扉で隔てたくない。
たとえこちらが用便中であっても。

扉を閉めていると、その隙間に鼻を押し当てて、必死に中のにおいを嗅ぎ取ろうとする。
「フッフッフッ、フーーーッ。フッフッフッ、フーーーッ。」という
鼻息が聞こえる。

ひたむきではないか。
私はうんこの途中だろうがなんだろうが、扉を開けて犬を迎え入れる。
犬はこちらが何をしていようと気にするわけでもなく、
ひととおり挨拶を済ませると、出て行く。
犬として、礼儀正しいではないか。



うん、やっぱり、本当のことを全部書く必要は無いと思う。
それで少々の誤解が生じても、しかたない。
あんまりあけすけでもよろしくない気がする。

ブログに書いてあることなんて、ほんの一部分だ。
一部分をかき集めても、見えない部分は見えないままだ。
全体像は見えていないはずなのだが、
読者は筆者像というものを思い浮かべる。
それは、実は虚像なのだ。

タレントや小説家などの場合、見せている部分そのものが既に
作り物だとわかっている。
それに対して、私の場合は見せている部分はいちおう本当らしいことになっている。
ここが曲者だ。

毎月一日に法螺を吹いている、ということになっているけれど、
ほんとのところは、毎日法螺だと言える。

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