[あらすじ] 母84歳パーキンソン病。
室内で転倒。5針を縫う外傷。
本人の足だけで歩くのは危険である。
手すりが有れば伝って歩き、無いところは杖を使う。
杖の使い方にはコツがある。
それは、何年も前から教わっているが、練習をしない。
練習をしないから、上手にならない。上手にならないから、使っても不安定。
不安定だから、不安。不安だから、使いたくない。杖を使わないから、転ぶ。
練習すればいいのではないかな?
杖ともっと親しみ、信頼できる相棒とするために自分から働きかければ良いのではないかな?
つかまれる物があると、伝い歩きをする。
そこまでは良いが、そうすると、杖を置き去りにしてしまう。
片手は何かにつかまったとしても、もう一方の手は杖を使って行くのが良い。
しかし、何かにつかまりたがる。
杖では怖い。何かにつかまりたい。
なぜ怖いかというと、杖は不安定だから。なぜ不安定かというと、うまく使えないから。
なぜうまく使えないかというと、練習していないから…。
しかし、部屋中につかまる場所が有るわけではない。
途切れる場所もある。
すると、次につかまれる物に、手を伸ばす。
遠い物に身を乗り出してつかまろうとする。
これがたいへん危険である。
前のめりになってバランスを崩し、転倒する。
と言っても言っても、遠くに手を伸ばしてつかまろうとする。
なぜか。
つかまらなくては怖いからだ、と思っていた。
が、先日こんなことを言い出した。
「何かにちゃんとつかまって歩きなさい、と言われた。」
「そうですね、つかまったほうが安全ですね。
どなたに言われたんですか?」とケアマネさんが尋ねる。
「母に言われたので。」と、母。
えええっ!?
母84歳。母の母は40年前に他界している。
「いつ言われたんですか?」とケアマネさん。
「小さい頃に。ちゃんとつかまって歩きなさい、って言われたから。」
子どもの頃に言われたことを後生大事に守っている場合ではない。
「そこを侮辱されるのはいやだ。大事にしてるのに。」と憤慨する。
親の言いつけは大事に守りなさい。という親の言いつけを大事に守っているのか。
いつも辛抱強く母の話を聞いてくれるケアマネさんも、
「何を言ってるのか分からない。」と文字どおり頭を抱えていた。
うんうん、同居していると、その「わけわからん!」が毎日なのですよ。
しかし、今は体の状況が違うのだから、転んだりケガをしたりしないためにも、
つかまることに頼るのではなく、歩いたほうがいいですよ。
と、ケアマネさんも私も言う。
「(幼い頃からの)とても根の深いことだから、簡単には変えられない。」
と宣言する。
もう、勝手にやってろ。という気分になるが、夜遅くに車を出したり世話したり
わけのわからん話を聞かされたりするのは結局のところ自分である。
こう言ってだめなら違う言い方でなんとか乗せようとするが、
その場でちょっと乗り気になったところで、「根が深いから」すぐに元に戻る。
しかし、つかまって歩きなさい、と親に言われるのって、
いつ頃なんだろう?
最初につかまり立ちをして、伝い歩きをして、という頃は、
親に言われたからつかまっているわけではない。
「それは大層な言い訳だね。」
と友人Aが言った。
母は何かと言い訳をする。言い訳が80年規模になってきた、というだけのことだろう。
室内で転倒。5針を縫う外傷。
本人の足だけで歩くのは危険である。
手すりが有れば伝って歩き、無いところは杖を使う。
杖の使い方にはコツがある。
それは、何年も前から教わっているが、練習をしない。
練習をしないから、上手にならない。上手にならないから、使っても不安定。
不安定だから、不安。不安だから、使いたくない。杖を使わないから、転ぶ。
練習すればいいのではないかな?
杖ともっと親しみ、信頼できる相棒とするために自分から働きかければ良いのではないかな?
つかまれる物があると、伝い歩きをする。
そこまでは良いが、そうすると、杖を置き去りにしてしまう。
片手は何かにつかまったとしても、もう一方の手は杖を使って行くのが良い。
しかし、何かにつかまりたがる。
杖では怖い。何かにつかまりたい。
なぜ怖いかというと、杖は不安定だから。なぜ不安定かというと、うまく使えないから。
なぜうまく使えないかというと、練習していないから…。
しかし、部屋中につかまる場所が有るわけではない。
途切れる場所もある。
すると、次につかまれる物に、手を伸ばす。
遠い物に身を乗り出してつかまろうとする。
これがたいへん危険である。
前のめりになってバランスを崩し、転倒する。
と言っても言っても、遠くに手を伸ばしてつかまろうとする。
なぜか。
つかまらなくては怖いからだ、と思っていた。
が、先日こんなことを言い出した。
「何かにちゃんとつかまって歩きなさい、と言われた。」
「そうですね、つかまったほうが安全ですね。
どなたに言われたんですか?」とケアマネさんが尋ねる。
「母に言われたので。」と、母。
えええっ!?
母84歳。母の母は40年前に他界している。
「いつ言われたんですか?」とケアマネさん。
「小さい頃に。ちゃんとつかまって歩きなさい、って言われたから。」
子どもの頃に言われたことを後生大事に守っている場合ではない。
「そこを侮辱されるのはいやだ。大事にしてるのに。」と憤慨する。
親の言いつけは大事に守りなさい。という親の言いつけを大事に守っているのか。
いつも辛抱強く母の話を聞いてくれるケアマネさんも、
「何を言ってるのか分からない。」と文字どおり頭を抱えていた。
うんうん、同居していると、その「わけわからん!」が毎日なのですよ。
しかし、今は体の状況が違うのだから、転んだりケガをしたりしないためにも、
つかまることに頼るのではなく、歩いたほうがいいですよ。
と、ケアマネさんも私も言う。
「(幼い頃からの)とても根の深いことだから、簡単には変えられない。」
と宣言する。
もう、勝手にやってろ。という気分になるが、夜遅くに車を出したり世話したり
わけのわからん話を聞かされたりするのは結局のところ自分である。
こう言ってだめなら違う言い方でなんとか乗せようとするが、
その場でちょっと乗り気になったところで、「根が深いから」すぐに元に戻る。
しかし、つかまって歩きなさい、と親に言われるのって、
いつ頃なんだろう?
最初につかまり立ちをして、伝い歩きをして、という頃は、
親に言われたからつかまっているわけではない。
「それは大層な言い訳だね。」
と友人Aが言った。
母は何かと言い訳をする。言い訳が80年規模になってきた、というだけのことだろう。
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