[あらすじ] ブログ上でカムアウトした。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/52070d05edf2677ddafe5136fe54b25a
生物学的には立派な女性だけれど、 性自認は女性でもなければ男性でもなく、
それでいて恋愛対象は女性。
※
私自身の性自認や性的指向について、今後、説明していこうと思っている。
が、いつも念頭において欲しいのは、それはほんの須山個人のエピソードに
過ぎない、ということだ。
仮に私をトランス・ジェンダー(生まれつきの性と性自認が異なる人)と
カテゴライズするとして、私はトランス・ジェンダーの代表ではないし、
そもそもトランス・ジェンダーにステレオ・タイプなどありえない。
そういうところから外れたものがトランス・ジェンダーだから。
私がこの場で自分について語るのは、私のケースを知ることを通じて、
こんな人もいる、ということ知ってもらうこと、
そして、そんな人は自分の身近にもいるはずだ、ということに気付いてもらうこと、
そこから、若いLGBT(性的マイノリティ)が生きやすくなることが
目的だと言っていい。
※
たぶん、初めて好きな女の子ができたのは、小学校5年生の頃だったように思う。
もう、はっきり憶えていないけれど。
思春期がやって来た、ヤァ!ヤァ!ヤァ!ってだけのことだ。
初潮も同じ頃だった。第二次性徴がやって来た、ヤァ!ヤァ!ヤァ!ってわけだ。
まとめると、女性である自分が女性を好きになっている、ということだ。
それは、女性の同性愛、レズビアンである。
それが世間一般のことでないことくらいはすぐに気付くので、ちょいと悩む。
ステレオ・タイプなど無いと上に書いたわりには、矛盾するような言葉を使うが、
ご多聞に洩れず、私は心理学や精神医学の書物をひもとく。
すると、そこでは治療対象として同性愛が扱われている。
思春期において一時的なことだとか、
カウンセリングによって解消していけるとか解消は困難だとか、
書いてあるのを読むことになる。
治療対象、つまり、病気だ、ということだ。
女性に恋する女性である自分は精神を病んでいるのだ。
ということになる。
この困難な状況が、治療で治るんなら治してもらいたい、と思ったものだ。
しかしどうも、治さなきゃいけないような悪いことだとも思えない。
思えないのだけれど、学術的な主流は、病気だと言っている。
自分がひとを好きになるのは、病的なこと。
自分がだれかのことをとても大事に思うのは、治すべき悪いこと。
そういう、外から仕入れた価値観と、どうしても湧いてくる思慕の念との
ぶつかりあいが、ずーっと続いた。
十代は、そんなふうだった。
http://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/52070d05edf2677ddafe5136fe54b25a
生物学的には立派な女性だけれど、 性自認は女性でもなければ男性でもなく、
それでいて恋愛対象は女性。
※
私自身の性自認や性的指向について、今後、説明していこうと思っている。
が、いつも念頭において欲しいのは、それはほんの須山個人のエピソードに
過ぎない、ということだ。
仮に私をトランス・ジェンダー(生まれつきの性と性自認が異なる人)と
カテゴライズするとして、私はトランス・ジェンダーの代表ではないし、
そもそもトランス・ジェンダーにステレオ・タイプなどありえない。
そういうところから外れたものがトランス・ジェンダーだから。
私がこの場で自分について語るのは、私のケースを知ることを通じて、
こんな人もいる、ということ知ってもらうこと、
そして、そんな人は自分の身近にもいるはずだ、ということに気付いてもらうこと、
そこから、若いLGBT(性的マイノリティ)が生きやすくなることが
目的だと言っていい。
※
たぶん、初めて好きな女の子ができたのは、小学校5年生の頃だったように思う。
もう、はっきり憶えていないけれど。
思春期がやって来た、ヤァ!ヤァ!ヤァ!ってだけのことだ。
初潮も同じ頃だった。第二次性徴がやって来た、ヤァ!ヤァ!ヤァ!ってわけだ。
まとめると、女性である自分が女性を好きになっている、ということだ。
それは、女性の同性愛、レズビアンである。
それが世間一般のことでないことくらいはすぐに気付くので、ちょいと悩む。
ステレオ・タイプなど無いと上に書いたわりには、矛盾するような言葉を使うが、
ご多聞に洩れず、私は心理学や精神医学の書物をひもとく。
すると、そこでは治療対象として同性愛が扱われている。
思春期において一時的なことだとか、
カウンセリングによって解消していけるとか解消は困難だとか、
書いてあるのを読むことになる。
治療対象、つまり、病気だ、ということだ。
女性に恋する女性である自分は精神を病んでいるのだ。
ということになる。
この困難な状況が、治療で治るんなら治してもらいたい、と思ったものだ。
しかしどうも、治さなきゃいけないような悪いことだとも思えない。
思えないのだけれど、学術的な主流は、病気だと言っている。
自分がひとを好きになるのは、病的なこと。
自分がだれかのことをとても大事に思うのは、治すべき悪いこと。
そういう、外から仕入れた価値観と、どうしても湧いてくる思慕の念との
ぶつかりあいが、ずーっと続いた。
十代は、そんなふうだった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます