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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

するとされる

2013年02月14日 | 椰子の実の中
[あらすじ]
じぶんがされたらイヤなことはひとにもしない。
でもイヤなことの範囲は人それぞれなので、それだけだと足りないから。
自分がされて平気でも、ひとはイヤがるかもしれない。


子どもの発達を調べるテストに、こういうのがある。

1.サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。
2.サリーはボールをかごの中に入れて部屋を出ていきました。
3.サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。
4.サリーが部屋に戻ってきました。
さて、サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?

発達を遂げた大人は、当たり前のように
「かご」
と答える。
ストーリーを自分は聞いたけれど、サリーはその場におらず、
ボールが移し変えられたことを知らない、と分かるからだ。

けれど、これが「かご」と正解できるようになるのは、4~5歳の頃だと言う。

自分が見ている知っている経験していることと、他者が見て知って経験したこととが
異なる、ということを理解できるのは、4~5歳からだということだ。
ぴったり同じこととは言えないかもしれないけれど、
マナーについてどう言うか、ということにつながるように思える。

自分がされて平気でも、ひとはイヤがるかもしれない。
目の前のひとがなぜ泣いているのか、おチビさんたちにはこれはたいへん難しい
理解しがたい問題なのだろう。
何歳かになる頃に、ひとのおもちゃをだまって取ってはいけない、などと
分かってくる。
それまでは、自分がおもちゃを手に入れて嬉しい、それだけなのだろう。
遊んでいたおもちゃを急に奪われた側の気持ちを察する、というのは高度な課題だ。

だから、幼い子どもに
「じぶんがされていやなことは、ひとにもしない」
と教えるのは妥当だと思う。
まずは、自分がいやなんだからひともいやだと思うだろう、あるいは
自分がおなじことされたらいやだ、という思い方を
身に付ければいいのだろう。

する立場にいながら、される立場のことを思う。
これは案外、基本的だが難しいことなのかもしれない。

つづく


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