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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』(2006)を経て

2019年09月13日 | よみものみもの
[あらすじ] 今春のテレビドラマ「ストロベリーナイトサーガ」で二階堂ふみさんを知り、
それから映画「私の男」を観た。
映画化の影響であろう、筋書きにいくつか疑問が有ったので原作を読もうとして、
桜庭一樹さんの『私の男』のちょいと前の作品から読むことにした。
[あらすじ] 恋人との行き違いの経緯を、まるで巻き戻したビデオを再生するかのように見る、
という夢を見たことがある。
それは見るだけで、過去に決して手出しはできない。
[というわけで] 『赤朽葉家の伝説』を読む。
ジェンダーに関わる表現が散見されて、興味を引く。


『赤朽葉家』の奥様は千里眼だ。
距離的時間的に離れたところを視る。
視ようとして視るのではなく、
何かの拍子に見えてしまう。



一部引用する。


 わしらの生き方や、選択が未来をつくるかもしれん。
それまで万葉はそんなふうに考えたことがなかった。
働くのも、なにごとかを為すのも男たちの役割、責任で、
わしら女は、影の、また影。
そんなふうに感じながらのんびりと日々を生きていた。
しかし出目金(主人公の女友達:須山注)の、わしらもよぅく働いて、
もっと豊かな国になったら、子供や孫の時代はもっとよくなるという言葉が、
万葉に驚きと、天地がぐらつくような不思議な感覚を与えた。


「(略)男はよぅく働くのがいちばんじゃし、
女はよぅく産んで育てるもんでしょう。
わしはそう信じて生きちょったし、
そしたら、人が産んだ子でも、関係あるまいね!」
 ぶわぁっ、と強い風が吹いて、蚊帳がもっと揺れた。
その風を万葉は不吉なものに感じた。
 妻が語った人間の生き方が、自明の理ではなくなる、
そんな時代がいつかくるような不吉な予感が、
不意に万葉の浅黒いからだを貫いた。


この時代の大人にとっては、国家も家族も己を支えるぜったいのものであった。
しかし未来は、ちがうかもしれないという予感があった。
これもまた未来視であったのだろうか。
国家を信ぜず、家族をつくろうとしない、
そんな時代がやってくるような不吉な予感に、万葉は震えた。



私たちと作者は現代に生きていているので、
男女の性役割が作品の舞台当時である昭和前期とは
ずいぶん変化してゆくことを知っている。

女性たちがたくさん働き、市民の活動によって
社会は変わってきた。

保守反動的な人たちは今も多くいる。
彼らが叫び咬みつく時、
万葉の感じたような、「天地がぐらつく」「不吉な」感じが
理由なのかもしれない。
今まで安泰だと信じていたものが、実は絶対的なものではないと
思い知らされて怖いのだ。



奥様は、初産にかかった5時間で、長男の一生全てを視てしまう。


万葉の子はまたたくまに大きくなり歩きだした。
学校に通い、勉強に励み、恋をした。
恋をした相手はとなりの席に座る少年で、
つまりこの子は生まれ持っての同性愛者であったが、
家族も友も、誰もそれを知らぬままだった。
息子はどんどん大きくなる。その心には憂いがある。(略)
高校生になり、大学生になった。
息子は勉学には生真面目に、しかし日常では注意散漫に過ごし、
そうしてときおり、恋をした。
そのたび黙って思いを呑みこんだ。
やがて、遠い国から伝染性の病がやってくると、
同性愛者への差別意識がとつぜんの津波のように高まっていった。(略)
 息子は、悪くないのに隠れて生きた。
社会への反発や、個人への憎しみが噴出することもあり、
万葉はそれを黒い波のようにざばりとかぶって、咳きこんだ。
息子は怒り、猛りながら生きた。
 そうして、ある地点でそれはぷつりと途切れた。
 息子は山に登っていた。前を歩く男を愛していた。
息子の視界が一度だけ揺れた。すべてが終わった。
 万葉は、息子が死ぬことを知った。



母親が、息子が死ぬところを、産む前に視ている。
死ぬところを視た息子を、死ぬまで育て続ける。
それはどんな慈しみだろう。

母親自身の価値観では理解できない同性愛者であるということ、
またそのことで本人が苦しむことも、
すべてまるまる知っている。
知っているまま、知らされないで一緒に暮らしていく。
それはどんな距離感なのだろう。

性自認Xであり、同性愛者として育ってきた私としては、
この未来視シーンは胸に迫るものがあった。
隠して生きることの重苦しさを私は知っている。
そのことを知っていてくれる人がいたら、という思いでカムアウトをしてきた。
しかし、自分のすべてを知っている人がいる、というのはどんな感じだろう。



300ページあまりの作品の中の、133ページで初めて
「朽葉」という言葉が使われる。


毛毬の言葉は言葉でなく、音楽であった。
醜い少年が畏怖の念をもってこの年下の、
気性の荒い少女のかんばせをみつめ続けているうちに、
きらめく夏が終わり、秋がきた。
朽葉が赤く染まり天から舞い落ちてきた。




奥様は未来を視るが、
未来なのだから変えることはできない。
不幸な未来を知っているからといって、それを回避できるわけではない。

私は、なんとなく自分の見た夢のことを思い出した。
過去は変えられない。それは分かりやすい。
しかし、未来も触ることはできない。
私たちは現在いかに言動するかということしか持っていない。

そうして、時は流れる。

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