両親ともきょうだいの下のほうで、
しかも私は遅い子だったため、
いとこたちが私よりも15歳くらい年上だ。
法事などと言えば、子どもは子どもで遊ぶものだが、
いとこたちが同世代ではなかったので、そういう経験が無い。
そんないとこ世代が集まると、父の評判はいい。
おじさんはいつもおもしろい話をしてくれた。
と口を揃えて言う。
父の父は土木の設計をする人で、
清水港の何だかを作ったのだが、
不幸にも台風か何かに見舞われ、
壊れてしまった責任を負わされ、
失意の晩年を生きた。
きょうだいの下のほうである父は、失意の時代を主に見ている。
いつもしかめっ面でため息ばかりついている「くそおやじ」と
言っていたことがあった。
それ以外に父の口から祖父について聞いたことは無い。
私が8歳の時に、前妻との子である兄が自分の運転で事故死した。
その後の父は、酒を飲んで泥酔してはベソベソ泣くことが多かった。
私にとっても「くそおやじ」となった。
持っているものを見ずに失ったものばかり見ていると、
不幸なものだ。
家に関する書類を見付けなければならないので、
亡父の書斎を片ッパシから探し回っている。
もうひとつ父のイヤなところをあげれば、
思春期の娘(あたくしね)の前で猥褻な話をすることだった。
情事の自慢までした。
酒に酔っていたとは言え、かなりのアホである。
親戚のおじさんのたわごとならともかく、
一緒に暮らす父親がそんなアホだと
ねじけるもんである。
兄の葬儀の会葬のお礼の手紙や葉書の余りの束が出てくる。
当時はパソコンもワープロも無いから、近所に印刷屋があった。
そこで作ってもらったものだろう。
お菓子の缶には決まって写真がしまってある。
年賀状や手紙の束は、前妻宛のものも多くあった。
目的の書類は一向に出て来ない。
大事そうに積んである箱を開けてみた。
『喜多川歌麿 絵草子 笑上戸』
『歌川豊国 絵草子 色道三つ組盃』
おやおや。
林美一という、浮世絵をはじめ江戸の研究家がいる。
艶本について著書が多いが、その中で、
好事家が江戸の版本のかなを読めないことを嘆いている。
絵ばっかり見て、読んでいないのだ。
それで、研究者と呼べる人が少ない。
かなを間違って読み下している本も多く出版されている。
私は艶本ではなく黄表紙などが読んでみたくてかなを独習した。
言いわけじゃないよ。
艶本も読むとおもしろい。
非常にくだらない。
亡父遺愛の絵草子には、本編の後に、現代かなづかいで文章が記載されている。
その、ところどころに赤ペンで訂正が入れてある。
「見ようと思わねば」を「見よふと思はねば」
といった具合だ。
ご勉強が進みますわいなぁ。
他には、カトレア出版という会社の、昭和にじむエロ本も入っていた。
ビニ本と呼んでいた時代だろうか。
モデルさんはスケスケの白のパンティ一丁である。
昭和の男たちは、こんなもんで妄想を掻き起てていたのだ。
亡父がインターネットの現状を知ったら、よみがえって来るんじゃなかろうか。
つづく
しょうもない話がつづく。
しかも私は遅い子だったため、
いとこたちが私よりも15歳くらい年上だ。
法事などと言えば、子どもは子どもで遊ぶものだが、
いとこたちが同世代ではなかったので、そういう経験が無い。
そんないとこ世代が集まると、父の評判はいい。
おじさんはいつもおもしろい話をしてくれた。
と口を揃えて言う。
父の父は土木の設計をする人で、
清水港の何だかを作ったのだが、
不幸にも台風か何かに見舞われ、
壊れてしまった責任を負わされ、
失意の晩年を生きた。
きょうだいの下のほうである父は、失意の時代を主に見ている。
いつもしかめっ面でため息ばかりついている「くそおやじ」と
言っていたことがあった。
それ以外に父の口から祖父について聞いたことは無い。
私が8歳の時に、前妻との子である兄が自分の運転で事故死した。
その後の父は、酒を飲んで泥酔してはベソベソ泣くことが多かった。
私にとっても「くそおやじ」となった。
持っているものを見ずに失ったものばかり見ていると、
不幸なものだ。
家に関する書類を見付けなければならないので、
亡父の書斎を片ッパシから探し回っている。
もうひとつ父のイヤなところをあげれば、
思春期の娘(あたくしね)の前で猥褻な話をすることだった。
情事の自慢までした。
酒に酔っていたとは言え、かなりのアホである。
親戚のおじさんのたわごとならともかく、
一緒に暮らす父親がそんなアホだと
ねじけるもんである。
兄の葬儀の会葬のお礼の手紙や葉書の余りの束が出てくる。
当時はパソコンもワープロも無いから、近所に印刷屋があった。
そこで作ってもらったものだろう。
お菓子の缶には決まって写真がしまってある。
年賀状や手紙の束は、前妻宛のものも多くあった。
目的の書類は一向に出て来ない。
大事そうに積んである箱を開けてみた。
『喜多川歌麿 絵草子 笑上戸』
『歌川豊国 絵草子 色道三つ組盃』
おやおや。
林美一という、浮世絵をはじめ江戸の研究家がいる。
艶本について著書が多いが、その中で、
好事家が江戸の版本のかなを読めないことを嘆いている。
絵ばっかり見て、読んでいないのだ。
それで、研究者と呼べる人が少ない。
かなを間違って読み下している本も多く出版されている。
私は艶本ではなく黄表紙などが読んでみたくてかなを独習した。
言いわけじゃないよ。
艶本も読むとおもしろい。
非常にくだらない。
亡父遺愛の絵草子には、本編の後に、現代かなづかいで文章が記載されている。
その、ところどころに赤ペンで訂正が入れてある。
「見ようと思わねば」を「見よふと思はねば」
といった具合だ。
ご勉強が進みますわいなぁ。
他には、カトレア出版という会社の、昭和にじむエロ本も入っていた。
ビニ本と呼んでいた時代だろうか。
モデルさんはスケスケの白のパンティ一丁である。
昭和の男たちは、こんなもんで妄想を掻き起てていたのだ。
亡父がインターネットの現状を知ったら、よみがえって来るんじゃなかろうか。
つづく
しょうもない話がつづく。
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