犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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初心忘れたよ 西やんの手招き

2017年02月13日 | 日々
[あらすじ] 鍼灸を志したのは10年ばかり前のこと。
通っていたペインシフト療法の接骨院の先生に、教えを請うたら、
まず学校で勉強してこい、と言われた。


さて学校へ行こうと思って調べてみると、意外に鍼灸学校は東京にいくつもある。
その上、数年前に規制緩和があっただかで、鍼灸学校が増えていた時でもあった。
入学案内のパンフレットを取り寄せて、何校も比較した。

自分が一年ほど勉強してみてからわかったのは、
どこの学校にどういう先生がいて、どのような手法の鍼灸を教えていて、
学生のレベルはどうか、学校の設備はどうか、カリキュラムはどうか、
といったことだ。

そういうことがパンフレットにも書いてあったのだろうと思うが、
シロウトが見たって理解はしきれない。
自分がどういう鍼灸をやりたいのかということも持っていなかったし、
そもそも鍼灸の背景にそんなに色々な理論があるということも知らなかった。

ものすごく大雑把に鍼灸を分類する。
私はどれにもなんとなく属さないので、説明はすべて門外漢の放言に過ぎないことを
お断りしておく。つまり、それぞれの専門家はもっと言いたいことがあると思う。

「東洋医学」をもとにしたもの:中国古典から始まり、ある時点で日本に伝わり、
江戸時代に盛んになり、明治維新でほとんど禁じられたものの、
戦後にめざましい復興を遂げていくつもの流派が生まれた。

「中医学」にもとづくもの:中国古典をもとにして、歴史の中であれこれ分派したものの、
現代中国の主流になっており、華僑とともに世界に広がっている。

「現代医学」にもとづくもの:筋肉や神経にアプローチして、
低周波電流を流すなどして刺激を与え、マッサージ効果を得たり、
自律神経の作用を促したりする。

私が選んだ学校は、現代医学で鍼灸を解く、ということを看板にしていた。
筋肉や神経は、解剖学的に明らかになる組織だ。
伝統鍼灸が扱ってきた「気」とは、目に見えず、解剖しても出てこない。
「気」で鍼灸を説明している限り、現代医学的に鍼灸は認められない。
そこの理論付けに取り組んでいる研究者が校長だった。

気を否定する気は無かったが、気が何かということは知りたかった。
感じることはあっても、見えないからということで信用しない人も多い。
信用しない人は感じることもしない。
感性の問題なのか、事実はどうなっているのか。

そういう興味もあったが、とにかくこの校長に魅力があった。
37歳で志を持って、学校へ行くという機会を得るには、
あれこれと出会いがあり、導きを感じたものだ。
学校案内のパンフレットに、校長の挨拶があったが、その中で
セレンディピティという言葉を使っていた。

偶然のように思えることがタイミング良く起きて、良い結果に導かれる、
といったような意味の言葉だ。
ちょうどそういうことを感じていたので、校長がおいでおいでをしているように
引かれていった。

学校説明会に行くと、校長の西條一止(にしじょうかずし)先生は
学会に出席のため、不在だった。
なあんだ、運良くないじゃないか、と思うことは無い。
かわりにこれまた魅力ある副校長の話が聞けたし、
何よりも説明会とセットになっていた講演会が私は目当てだった。

演者は、先日亡くなった安保徹先生だ。

つづく

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