犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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2013年06月14日 | 日々
八十歳の母が、斜視の手術を受けた。

物が二つに見える。像が一つに重ならない。
乱視のせいではなく、眼球を左右に動かす筋肉の衰えから来るもののようだ。

斜視は若い頃からあった。
それが、老いてますます盛ん(?)になったわけだ。

まだまだ本が読みたい。
というので、手術を試みることとなった。

眼球の外側に付いている、目を外に向ける筋肉を切って、
位置をずらして付け直す、という手術をするという。
斜視が起きるのと反対側の目の筋肉の方をやるのだという。
悪い方のをいじっても、また元に戻ってしまいがちなのだそうだ。

ところが、検査をしてみると面白いことが分かった。
母の場合、近くを見る時は右目で見て左が斜視、
遠くを見る時は左目で見て右が斜視になるのだ。

この場合の「近く」「遠く」と言うのも、
一般的な感覚と、眼科医が言うのとではちょいと基準が異なるらしい。
本を読む、というのは近くなのかな?

結局、両眼の手術をすることになった。

控え室は小さなブースになっていて、壁にモニターがあり、
なんと手術の様子が見られるという。
しかも、引きのカメラと、先生が見るのとほぼ同じアップのカメラの
映像も見られる。

私はできれば立会いたいくらい興味が有ったので、喜んで見た。
後で、看護師さんに「よく見ましたねぇ~」と言われた。
たしかに、目の玉のアップとか、手術シーンとか、
見られない人は見られないだろう。

モニターは画面だけで、音は聞こえない。
先生の大きな声は、時おり廊下の方から響きだけが聞こえてくる。
助手はさぞかしガンガン怒鳴りつけられているのだろう。
部分麻酔の母は縮み上がってるだろうな。

両眼で、1時間半くらいの手術となった。
右には眼帯。左目もまぶたが腫れて開かない。
「このままだったらどうしよう」とたちまち弱気で恩知らずなことを言い出す。
手術直後にシャキーンと見える、なんてはずが無い。
そして、腫れっぱなし、ということも無い。
抗生剤と抗炎症剤を飲んで、いい子にゆっくりおやすみなさい。


惜しまれるのは、手術前に写真を撮っておくのを忘れたこと。
なんたって、私の瞼の母はいつだってすが目なのだから。

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