犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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老母に説教

2020年01月08日 | 椰子の実の中
[あらすじ] 同居母86歳要介護2パーキンソン病認知症状少々。

「私の体の動きが悪いのが、あなたはイヤでしょ。」と母が言う。

違う。
私がイヤなのは、自分の時間が足りないことだ。
―体の動きが悪くてイヤな思いをしているのは自分自身でしょう?

それは確かに、母の身体の動きが悪いから、
母は食べ物をこぼしたり、トイレがうまくできなかったりして、
そのために掃除が多くて、掃除をするのは私であるから、
私の時間が足りなくなる。

そういう因果関係は有るが、
だからと言って、母の身体の動きが悪いことを私はイヤではない。
そこを短絡してはいけない。
短絡することに良い意味は何も無い。



トイレ掃除そのものは嫌いではない。
汚れている物がきれいになっていく作業であり、
仕上がりはとても気分が良い。

ただ、家にいるとトイレに入る度に掃除しなければならないので、
非常に時間を取られる。それが困る。
だがこれは、トイレ掃除がイヤ、ということにはならない。



母は便器にうまく腰掛けられない。
それはそうだろう。
もっと深く腰掛けろというのも無体なことなので、
そのままにしている。

便座に掛かった尿が便器の外側を流れ床に届く。
もちろん、便器にスポンジを貼って吸収させたり、
床にマットを敷いたりして防御しているが、
それでも掃除が要らないということは無い。

自分がトイレを使うためには、まず掃除する必要が有る。
しかしこれとて、私が、便座が尿で汚れていることをまるで気にしないのであれば、
必要は無いことだ。
ここも、分けて考えられる。



そもそも別々の事柄をくっ付け合わすと、へんに感情的なことになる。
いっしょくたに捉えてしまっているものを、よく見直して分けていくと、
大きな感情のかたまりだったものがほぐれていく。

私は自分の時間が足りないのがイヤなのだが、
その原因が、母の体の動きが悪いことに始まっている、
という捉え方は間違っている。



―自分の体の動きが悪いのがイヤで、苦しんでいるわけでしょう?
「体が言うことをきかない。」
―体も自分なのに、「言うことをきかない」という上から指令するような言い方をするのは
おかしいんじゃない?
動きたくない時、動けない時に無理矢理動かそうとしたら、動こうとするわけがない。
体が動きたくない時には動かない。
体が休みたがっている時は休む。
体に寄り添った見方をしたら、楽になるのでは?

何かしようとしているものを抑え込んでも、
その何かをしたい欲求は収まらないばかりか、膨らむでしょう?
「あなたがそうさせてくれているように、やりたいようにさせておくわけね。」



そうして今日も母は家の中で自由に動いている。
私が抑えなかったとしても、本人が本人の気持ちの中で我慢したり
体の要求を抑え込んだりしていたら、
本人の欲求は満足せず、膨らむ一方だ。

ご本人次第ですね。



このように母に説教を垂れて、
なんとなくそのおかげで私は自分を取り戻した感じを持っている。

いっぺん、母に進言するのにこう言い添えてみたい。
―老婆心ながら申し上げますが
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