犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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蕎麦篇

2016年04月07日 | たべもののみもの
[あらすじ] マズいカレーも有ると知った。


私はグルメではない。
かと言って、B級グルメなどではない。
だからって、C級グルメではなおない。
うまいもんを食おうというこだわりはさほど無い。
うまくないものが出て来ても笑いながら食う。

そういう私が文句タラタラだったのだから、
昨日触れたカレーはよほどだったのか。
それとも私のご機嫌が悪かったのか。

カレーはうまくて当たり前、まずいもんが出てくることが無い、
という考えがあった。
一方、蕎麦については逆の認識がある。
蕎麦と言っても、いい感じの店構えの蕎麦屋の話ではない。
立ち食いそばだ。

蕎麦が好きだ。
幼い頃、初めて箸を使った時に食べた物は蕎麦だったそうだ。
子どもに初めて箸を使わせる時に蕎麦を出すとは、
かなりな試練を与える親ではないか。
うぬ、どういうつもりじゃ。
などと思いもしなかったであろう御年2歳の素直な私。

そして5歳で引っ越して以来、今も住むのは深大寺、
蕎麦の名所である。
蕎麦の名所として、今では20軒あまりの蕎麦屋が
文字通り、軒を連ねる。
こんな場所だって、必ずうまい蕎麦が出てくるとは限らない。

いわんや立ち食いにおいてをや。
とは言え、もう、別もんである。
という諦めがある。
茹でおきの蕎麦がもう一度湯をくぐらされて温められて
熱すぎるツユにぶよぶよと入って出てくる。
こんなにツユが熱いんだったら、麺を温める作業、要らないじゃん。
などという疑問は、立って食う店で抱くものではない。

ところが昨今、立ち食いそば屋も努力と工夫をしている。
うまい店が増えた。
店内を見ても、どこそこ産の蕎麦粉を使っているとか、小麦粉はどこだとか、
つゆはどこ風だとか、自家製麺だとか、天ぷらは揚げたてだとか、
当店は生麺を茹でておりますので少々お時間をいただきますだとか。

こうなってくると、従来の力の入っていない立ち食いそば店で
従来のうまくもないそばを食うと、
ハズレのような気がしてきてしまうのだ。

以前はコロッケそばなんか好きだったのに、
ちょっとうまい店だったら、蕎麦にコロッケなんか乗せる気にはならなく
なってきた。
たかがファーストフード、乗り換え時間にヅルッと一杯、
という気軽さが、何か違ってきている。

同時に、立ち食いそば屋が減っている。
移動の途中でさらりと蕎麦を食う、という人が減っているのだろうか。
駅のホームに蕎麦つゆの香りが漂ってふらりと入る、
ということも無くなってきてしまった。

立ち食い蕎麦の新時代への移行期ではないかと感じる。

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