犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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百年前の地図記号から情景を想う

2023年08月29日 | おらほ調布

[あらすじ] 近所に都立農業高校の農場が在るよ。
道路を挟んで向かいの神社の本体とも言える湧き水は
農場の敷地内に湧いて、清流から生け簀や田んぼが造られている。


ちょっと残念なのは、そのすぐ下流を、中央自動車道が通っていることだ。

湧き水が流れ出る谷戸をまたぐように中央道が走っている。
清流は農場の敷地から出るとすぐに暗渠になってしまう。
谷戸は埋め立てられてしまっている。

確証を取っていないので推測に過ぎないが、
中央道を通すために、谷戸の両側の部分は切通しにしている。
削った土の一部分は、どこかへ運ばずにここで埋め立てたのではないだろうか。
この埋め立てで、谷戸の景観はすっかり損なわれている。

wikipediaを見ると、中央道のうち調布ICー高井戸IC間が開通したのは
1976年5月だという。
私が深大寺の地に引っ越して来たのは1974年の10月だった。
当時はまだ開通前だが、切通しと橋は完成していた。
そして、自動車道の舗装ができると、
近所の子どもたちは柵を越えて工事現場に入り、
当時流行っていたローラースケートで思いっきり滑り回っていた。



埼玉大学の今昔マップon the webが非常に便利で、愛用している。
色々な過去の地形図と現在の地形図がリンクして同じ範囲を同時に見ることができる。
ステキ
https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.680446&lng=139.560871&zoom=14&dataset=tokyo50&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

上のリンクから見られるのは、1896年のここいらの地図だ。
京王線なんかまだ無いし、三鷹の駅もまだ無い。



さてこのサイトで、中央道の通る直前1965年の地形図と、
開通直後1975年の地形図を見てみると、こんな。



中央道は国分寺崖線をどこかで横切る必要が有るわけだから
仕方ないっちゃ仕方ない。
しかし、もうちょっと甲州街道寄りの所を通しても良かったんじゃないか、
などと思ってしまう。
(そっちはそっちで、中仙川が有り、近年も
外環道工事で地下水が逸したためか陥没事故が起きている。)

中央道が貫通した今現在でも環境保全地区になるくらい、
この神代農場周辺の谷戸は豊かだ。

まあ、高度経済成長の時期には環境保全よりも開発だったのも分かる。



明治39年(1906)の地図に戻る。

緑のマーカーで塗ったのが、現在の都立農業高校神代農場。
赤は神社、緑はお寺。
キャンパスや境内は、今も緑豊かである。



川や水路を水色でなぞった。
豊かな湧水からの小川や、いづれ多摩川に合流する野川は今も在る。
しかし、小さな水路や、農業用水は、今は見られない所も多い。
暗渠になっている所は現在の地図に紫の点線を描いてみた。

地図の左上から右下へ抜けているのは、
玉川上水から分水してきた用水路の一部分だ。
畑と畑の間のかすかな溝として辛うじて遺っていたり、
ただただカーブの多い道だったりする。

カーブの道は、慣れた好き者は「川だったな」と分かる。
周囲の地形や微かな傾斜を見ると、
水の流れがそこに在ったのが分かる。



見慣れない地図記号が有る。
黄色で示した。

上半円にギザギザと線が出ている。
ああ、水車だ。
この範囲だけでも3基在る。

そのうち、深大寺の水車は復元されて観光スポットになっている。

昔の地図記号を一覧できる↓
https://goto-seikotsuin.sakura.ne.jp/Map_symbols_of_the_Meiji40s.html



高速道路も通っていなくてシンとしずかで、
空気も今より澄んでいて、
住宅もずっとまばらで、暗くって、
水車が勢い良く回っている。

その頃の景色を見てみたかった。
音を聞いてみたかった。
においを嗅いでみたかった。



そんな農場の収穫物を味わう機会を得た。

つづく

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