9月の半ば頃から、髪を刈り始めた。
二十歳くらいから自分の髪は自分で切ってきた。
鋏で切る。
三十歳頃に一度、バリカンで刈って
モヒカンを経て五分刈りにした。
ずいぶん友人たちに手伝ってもらった。
今回は、自分で刈った。
難しかったが、慎重に刈った。
子どもの頃には無かった根気が今は有る。
なんでも自分でやろうとするからひどく時間が掛かる、
という諦めが礎になっている。
※
髪の長かった時期も有る。何度か有る。
下から背中に手を回して、髪をつかめるくらいに伸ばしていたことも有る。
※
髪を長く伸ばしていると、簡単に女性に見られる。
短く切ると、しばしば男性に見られる。
馬鹿々々しい。
私はいつも私なのに。
と思う。
※
私が髪を長く伸ばす時、女性的に見せたいという思いは
まるで無い。
同様に、短く切る時に、男性的に見せたいという思いも
まったく無い。
けれど、髪の長さによって性別を見分けるということをされる。
髪の毛は外性器ではないのに。
※
鍼灸のセンセイに月に一回会ったり会わなかったりする。
センセイはまったくのノンケの男性である。
ゆるやかな癖ッ毛だと分かるくらいの長さで整えている。
それがどうも今年の夏くらいから、髪が伸びてきている。
なんだろう、コロナ禍で床屋に行きたくなくて伸ばしっぱなしなのだろうか。
「切ってあげましょうか」
と冗談で言ってみた。
「私と同じ髪型に仕上げていいんなら。ケケケ」
※
わざと伸ばしているのだ、とセンセイは言う。
「芸術家っぽいでしょ」
芸術に関わる鍼灸の領域を開拓しようとしているので、
芸術家っぽく見えるように、とりあえず髪を伸ばしているのだと言う。
そうだ。
ひとは見た目で判断する。
※
見た目で判断するのは良くないことだ、
と思ってきた。
しかし、それを逆手に取って、
「こういう人か」と
偏見を持ってもらうということもできる。
そう思うと楽になった。
何十年と避けてきた事柄の意味合いが変わった。
私の住んでいる所は東京都ではあるが
周囲は古い農家が主で、50年近く前に引っ越してきた我が家なんか
新参者なんである。
村社会なのだ。
近所の人にはただの女性と思われている。
モヒカンや坊主頭の姿を見られたら、妙に思われるだろう。
と思っていたのだが、
むしろ、この人には常識は通じないな、と
一歩引いて付き合ってもらえるようになるのではないか。
と、捉え方が変わった。
※
そんな折、清水ミチコさんが瀬戸内寂聴さんのモノマネをしている
動画を見た。
訃報の、ほんの3日ほど前のことである。
その中でミチコの寂聴は、
こういう頭にしているっていうことは、私は世間のルールを守りませんよ、っていう印なのだ
と話す。
寂聴さんがそういうふうに語っているのか、
坊さんが剃髪することにそういう意味が有るのか、
私は知らない。
知らないけれど、腑に落ちた。
見た目で分かるのは便利なことだ。
瀬戸内晴美さんは、既婚男性との恋愛関係も有り、
世間の目に苦しんできたはずだ。
頭を丸めることでサインを持ち、常識に丸め込んでくる世間から一歩引き、
瀬戸内さんは楽になったのではないか。
そんなふうに私は思う。
※
髪の毛は目立つ。
人と向き合うときに向ける顔のすぐそばだし、
身体のてっぺんだから遠目にも分かりやすい。
せいぜい利用するくらいにしていきたい。
二十歳くらいから自分の髪は自分で切ってきた。
鋏で切る。
三十歳頃に一度、バリカンで刈って
モヒカンを経て五分刈りにした。
ずいぶん友人たちに手伝ってもらった。
今回は、自分で刈った。
難しかったが、慎重に刈った。
子どもの頃には無かった根気が今は有る。
なんでも自分でやろうとするからひどく時間が掛かる、
という諦めが礎になっている。
※
髪の長かった時期も有る。何度か有る。
下から背中に手を回して、髪をつかめるくらいに伸ばしていたことも有る。
※
髪を長く伸ばしていると、簡単に女性に見られる。
短く切ると、しばしば男性に見られる。
馬鹿々々しい。
私はいつも私なのに。
と思う。
※
私が髪を長く伸ばす時、女性的に見せたいという思いは
まるで無い。
同様に、短く切る時に、男性的に見せたいという思いも
まったく無い。
けれど、髪の長さによって性別を見分けるということをされる。
髪の毛は外性器ではないのに。
※
鍼灸のセンセイに月に一回会ったり会わなかったりする。
センセイはまったくのノンケの男性である。
ゆるやかな癖ッ毛だと分かるくらいの長さで整えている。
それがどうも今年の夏くらいから、髪が伸びてきている。
なんだろう、コロナ禍で床屋に行きたくなくて伸ばしっぱなしなのだろうか。
「切ってあげましょうか」
と冗談で言ってみた。
「私と同じ髪型に仕上げていいんなら。ケケケ」
※
わざと伸ばしているのだ、とセンセイは言う。
「芸術家っぽいでしょ」
芸術に関わる鍼灸の領域を開拓しようとしているので、
芸術家っぽく見えるように、とりあえず髪を伸ばしているのだと言う。
そうだ。
ひとは見た目で判断する。
※
見た目で判断するのは良くないことだ、
と思ってきた。
しかし、それを逆手に取って、
「こういう人か」と
偏見を持ってもらうということもできる。
そう思うと楽になった。
何十年と避けてきた事柄の意味合いが変わった。
私の住んでいる所は東京都ではあるが
周囲は古い農家が主で、50年近く前に引っ越してきた我が家なんか
新参者なんである。
村社会なのだ。
近所の人にはただの女性と思われている。
モヒカンや坊主頭の姿を見られたら、妙に思われるだろう。
と思っていたのだが、
むしろ、この人には常識は通じないな、と
一歩引いて付き合ってもらえるようになるのではないか。
と、捉え方が変わった。
※
そんな折、清水ミチコさんが瀬戸内寂聴さんのモノマネをしている
動画を見た。
訃報の、ほんの3日ほど前のことである。
その中でミチコの寂聴は、
こういう頭にしているっていうことは、私は世間のルールを守りませんよ、っていう印なのだ
と話す。
寂聴さんがそういうふうに語っているのか、
坊さんが剃髪することにそういう意味が有るのか、
私は知らない。
知らないけれど、腑に落ちた。
見た目で分かるのは便利なことだ。
瀬戸内晴美さんは、既婚男性との恋愛関係も有り、
世間の目に苦しんできたはずだ。
頭を丸めることでサインを持ち、常識に丸め込んでくる世間から一歩引き、
瀬戸内さんは楽になったのではないか。
そんなふうに私は思う。
※
髪の毛は目立つ。
人と向き合うときに向ける顔のすぐそばだし、
身体のてっぺんだから遠目にも分かりやすい。
せいぜい利用するくらいにしていきたい。
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