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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

ヘアスタイル

2021年11月14日 | 椰子の実の中
9月の半ば頃から、髪を刈り始めた。

二十歳くらいから自分の髪は自分で切ってきた。
鋏で切る。

三十歳頃に一度、バリカンで刈って
モヒカンを経て五分刈りにした。
ずいぶん友人たちに手伝ってもらった。

今回は、自分で刈った。
難しかったが、慎重に刈った。

子どもの頃には無かった根気が今は有る。
なんでも自分でやろうとするからひどく時間が掛かる、
という諦めが礎になっている。



髪の長かった時期も有る。何度か有る。
下から背中に手を回して、髪をつかめるくらいに伸ばしていたことも有る。



髪を長く伸ばしていると、簡単に女性に見られる。
短く切ると、しばしば男性に見られる。

馬鹿々々しい。
私はいつも私なのに。
と思う。



私が髪を長く伸ばす時、女性的に見せたいという思いは
まるで無い。
同様に、短く切る時に、男性的に見せたいという思いも
まったく無い。

けれど、髪の長さによって性別を見分けるということをされる。
髪の毛は外性器ではないのに。



鍼灸のセンセイに月に一回会ったり会わなかったりする。

センセイはまったくのノンケの男性である。
ゆるやかな癖ッ毛だと分かるくらいの長さで整えている。

それがどうも今年の夏くらいから、髪が伸びてきている。

なんだろう、コロナ禍で床屋に行きたくなくて伸ばしっぱなしなのだろうか。
「切ってあげましょうか」
と冗談で言ってみた。
「私と同じ髪型に仕上げていいんなら。ケケケ」



わざと伸ばしているのだ、とセンセイは言う。
「芸術家っぽいでしょ」

芸術に関わる鍼灸の領域を開拓しようとしているので、
芸術家っぽく見えるように、とりあえず髪を伸ばしているのだと言う。

そうだ。
ひとは見た目で判断する。



見た目で判断するのは良くないことだ、
と思ってきた。
しかし、それを逆手に取って、
「こういう人か」と
偏見を持ってもらうということもできる。

そう思うと楽になった。
何十年と避けてきた事柄の意味合いが変わった。

私の住んでいる所は東京都ではあるが
周囲は古い農家が主で、50年近く前に引っ越してきた我が家なんか
新参者なんである。
村社会なのだ。

近所の人にはただの女性と思われている。
モヒカンや坊主頭の姿を見られたら、妙に思われるだろう。
と思っていたのだが、
むしろ、この人には常識は通じないな、と
一歩引いて付き合ってもらえるようになるのではないか。
と、捉え方が変わった。



そんな折、清水ミチコさんが瀬戸内寂聴さんのモノマネをしている
動画を見た。
訃報の、ほんの3日ほど前のことである。

その中でミチコの寂聴は、
こういう頭にしているっていうことは、私は世間のルールを守りませんよ、っていう印なのだ
と話す。
寂聴さんがそういうふうに語っているのか、
坊さんが剃髪することにそういう意味が有るのか、
私は知らない。

知らないけれど、腑に落ちた。
見た目で分かるのは便利なことだ。

瀬戸内晴美さんは、既婚男性との恋愛関係も有り、
世間の目に苦しんできたはずだ。
頭を丸めることでサインを持ち、常識に丸め込んでくる世間から一歩引き、
瀬戸内さんは楽になったのではないか。
そんなふうに私は思う。



髪の毛は目立つ。
人と向き合うときに向ける顔のすぐそばだし、
身体のてっぺんだから遠目にも分かりやすい。

せいぜい利用するくらいにしていきたい。

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