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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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王羲之「蘭亭序」

2017年08月30日 | 書の道は
[あらすじ] 去年の十月から書を独習し始めた。
古いほうへさかのぼって臨書する。

行書を始めた。
行書は速く書くためのものだし、筆跡もやわらかい。
だから、石碑にはしないものだった。
それを、初めて碑にしたのは太宗皇帝だった。

行書最古の碑である「晋祠銘」(646年)を臨書しようとしたが、
拓本の状態があまりよろしくない。
初学者の私には難しい。
そこでサラリと中断し、その2年後の「温泉銘」をやった。

次に一旦、草書をやって筆の流れを感じ取ろうと考え、
懐素の「自叙帖」(777年)を臨書し始めた。
こりゃいかん。
"狂草"なんて呼ばれているだけあって、斬新だわ。
いや、これを斬新と感じるのは、私がまだ古い草書しか知らないからだ。
現代日本人から見れば、特に斬新ということはない。
とは言え、唐の時代もこの頃になると書もイカレたものが出てくる。

草書と言えば以前、孫過庭の「書譜」(687年)、を臨書した。
これはとても書きやすかった。
また、賀知章(659-744)の「草書孝経」は、
古い漢代の木簡に見える章草のような筆遣いも有って、
木簡好きとしては楽しめた。

なんせまだ初学者だ。
狂草はまだ早い、と感じた。
型を崩そうとしてこんな字を書いているのだから、
型を知らないで学んだらおかしなことになる。

じゃあ型ってなんですか、ということになると、
王羲之(おう・ぎし 303-361)のおでましである。
400年くらいひらりと遡る。

そんでもってなぜか草書ではなく行書に戻っている。
やはりひととおり王羲之をやらなきゃ、他へ進めないだろう、と。

そこで「蘭亭序」である。
模本が何種類も在るのだ。
どれも王羲之自身の書いたものではないらしい。
玄宗皇帝のもとで書の鑑定をしていた褚遂良(ちょ・すいりょう 596-658)や、
欧陽詢(おうよう・じゅん 557-641)の手になるものだという。
あるいは双鉤塡墨(そうこうてんぼく)といって、文字の輪郭線をなぞって書いた後、
その中を墨で塗り潰す、という技術で複製したものもあるようだ。

本には、何種類かの「蘭亭序」がおさまっている。
なるほど微妙~~~にそれぞれ違う。
見やすいもの、性に合うものから始めて、何種類か臨書してみることにしよう。

王羲之の書いた本物はと言うと、実は、
王羲之の書を愛し過ぎた太宗皇帝が、自分の墓に一緒に納めさせたということだ。
歴史に残るひとり占めだな。

まあ、墓はすぐに暴かれてどこかで売買されたかもしれない。
謎である。


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