犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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キンモクセイを切る

2018年05月23日 | うつろい
[あらすじ] 家の南東の角のクヌギが大きく育ち、
落ち葉とどんぐりで雨樋が詰まっていけない。
屋根に直接かかっている部分だけでも切った。
そして家の北西の玄関を出ると、隣のおじさんから
「玄関のわきの木が屋根にくっ付いている。屋根が湿気てカビて腐っちゃうよ。」
と言われた。わかってらい。


わかっている。わかっているのに後回し~先送り。(ラジオ体操風に)

鬱状態というのは、こういう家事がまるでできなくなる。
片付けも掃除もできず、物がだんだん積もる。
書類も整理できない。そこから、数年間、確定申告をしていなかった時期もある。
どうせ還付申告だからと先送りしていた。
なんだっけ、5年さかのぼって申告できるんだっけか。
その期限が迫ったので、どうしても今年は申告せねば、という年は、たいへんだった。
書類は5年も前の物を探さねばならなかったし、管理能力の落ちている頃の物だからあちこちに潜んでいるし、
その後の数年分の書類と分けなければならないし、申告の計算手順も忘れているし。
ため込んでいいことは無い。

医者嫌い薬嫌い、と言ってしまえば雑であるが、言ってしまえる。やだやだ行きたくない。
で、自力で鬱から脱却した。
自然にその時期が過ぎ去ったのではない。
ものごとの受け止め方を変えたのだ。
子どもの頃と較べて、ずいぶん性格が変わったのではないかと思う部分もある。
もちろん変わらないところは変わらず、全体としては「あいかわらずね」なのだが。

「脱却した」と思っていても、「ずいぶん変わった」と思っていても、
他者、特に身近な人、つまりは家族の問題が有ると、悩みごとの連続になることも有ってか、
むかしなつかしい鬱的気分が顔を出す。

今、家族のことで毎日気の滅入るような出来事が有るが、意外にもっている。
親の問題だとむしろ、沈潜している部分がうづくようだ。
腰の痛みが再発したり、腱鞘炎が出そうになったりしている。

身体からのサインを、身体の問題とだけ認識すると、治らない。治っても、なぜ治ったか分からない。
心身全体として見ると、理解が広がり深まる。

親の使う言葉を聞いていると、自分がどのような育ち方をしてきたかが、次第に浮彫になってくる。
子どもが、こういう言葉を使われて、こういう部分を強調されて育てられてきたら、
こんな強迫観念が気付かない深い部分にできるってわけだなー、などと。

親自身が持っている「こうせねばこうあらねば」といったものを受け継がされ、
そういったネバネバが気持ちを沈めた。
鬱状態という極端なところまで行ったせいで、放置できなくなり、対処することができた。
うまいこと生きていたら、いつまでもネバネバに絡められたままだっただろう。

庭木の話だった。

おぼえてました?
玄関先の木が屋根にかかっているから、切らないと屋根が傷んでしまう。って話をしていたんですわ。

写真は作業前。
うっそー!というくらい繁っている。
玄関先も暗くていかん。

切る。

つづく

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