
[あらまし] 母87歳要介護5パーキンソン病ヤール4度が
6月末に特別養護老人ホームに入居した。
部屋の中に大きく存在していた介護ベッドを返却した。
ベッドサイドに置いていた家具調ポータブルトイレは
入居先に持参した。
かさばるリハビリパンツや尿とりパッドやシーツやタオルやゴム手袋
そういった介護に必要な物を置く棚をベッドの近くに置いていたのを移動した。
母の着替えもベッドの近くに置いていたが、これも全てホームに持って行った。
部屋は広くなったが、まだまだ母の物は多い。
壁面は天井まで届く本棚で埋まっている。
居間と台所が続きになっているが、それを半ば仕切るような向きに
一つの本棚は置いてある。
これを移動したい。
明るく風通し良く広くなるだろう。
居間の外にサンルームが有る。
伯父が亡くなった後にもらってきた肘掛け椅子が一脚置いてある。
これはもうしばらく使ってみるか。
サンルームを狭く不便にしている物が有る。
ミシンだ。
※
大きな木製の箱の台に入った足踏みミシンである。
今や、上に鉢植えなんかを置くただの台となっている。
もう30年以上は使っていない。
母は洋裁が好きだが、仕事が忙しいのもあって、
さほど裁縫はしていない。
自分や家族の服を縫う、なんてことをしたかったんだろうけれど、
そういうことはほとんど無いままだった。
無用の大きな箱。
これはいかん。
※
「これは捨てていいの?」とか
「これはもう使わないの?」とか
さんざん言われてきた。
親が子に と言ったら広げ過ぎならば、厳密に
母が私に言うコゴトは、おおよそのところ、自分自身に感じている責めだったように思う。
「もっと能率的にやりなさい」とか
「日記を毎日つけなさい」とか
「ピアノの練習は決めた時間にやりなさい」とか
自分がやりたくてできていないことを、我が子で実現しようとしていただけだ。
今でこそ、そんな風に思えるけれど、
子どもの頃はそんな事情は分からないので、
ただ叱られて追われて締められ管理される気持ちであった。
「あなたの物が家じゅうに一杯」
などと言われていたが、
母が引っ越してみると、私の物ではかなわないほど母の物が案外かさばっている。
※
しばしばこのブログに登場する友人Mであるが、
裁縫も上手である。
Mも相当「なんでも自分でやる」病におかされている。
Mに、ミシンの下取りについて聞いてみた。
どこそこに店が有るとか、持ち込みがどうとか、訪問買取がどうとか、
教えてくれた。
※
ネットの買取査定にかけてみるか。
とは言え、足踏みだけれどアンティーク的な価値はまるで無い。
便利でもなきゃ美しくもない、中途半端な
高度経済成長期の品物である。
売れないだろう。
それでも、ただ粗大ゴミとして出すよりは、
たとえば部品を取るためだけのものとしてでも
引き取ってもらえるなら、それでいい。
何十年ぶりに箱の扉を開け、
蓋を開き、
ミシン本体を持ち上げて、セットしてみた。
埃を払い、きれいに拭いて、写真を撮った。
※
中に、保証書が入っていた。
シンガーミシンの巣鴨店で買ったようだ。
1974年7月とある。
この年の10月に、引っ越しをしている。
アホか。
こんなでかいもの、引っ越してから買えばいいのに。
※
革のベルトを輪っかに掛けて、
ハンドルを回しながらペダルを踏んでみた。
少し重たいけれど、滑らかに動き、
針が上下する。
※
機械というのはとても魅力的だ。
こういう、ペダルの運動を回転に変えて、
それをまた針の上下動に変換する、
なんてな仕組みは、とても興奮する。
分解してみたい。
※
分解してみたいって言ったって、いつやるの。
いつまでも置いてたら邪魔でしょうがないわよ。
と、自分の声がするようだ。
※
ミシンも買取するリサイクルショップにメールで問い合わせたが、
このような型のミシンは買取しない、という返事が
わりとすぐに来た。
仕方ない。
粗大ゴミか。
※
ああでも分解してみてからにしようかな。
ああでもほんと場所取るんだよな。
ああでも
6月末に特別養護老人ホームに入居した。
部屋の中に大きく存在していた介護ベッドを返却した。
ベッドサイドに置いていた家具調ポータブルトイレは
入居先に持参した。
かさばるリハビリパンツや尿とりパッドやシーツやタオルやゴム手袋
そういった介護に必要な物を置く棚をベッドの近くに置いていたのを移動した。
母の着替えもベッドの近くに置いていたが、これも全てホームに持って行った。
部屋は広くなったが、まだまだ母の物は多い。
壁面は天井まで届く本棚で埋まっている。
居間と台所が続きになっているが、それを半ば仕切るような向きに
一つの本棚は置いてある。
これを移動したい。
明るく風通し良く広くなるだろう。
居間の外にサンルームが有る。
伯父が亡くなった後にもらってきた肘掛け椅子が一脚置いてある。
これはもうしばらく使ってみるか。
サンルームを狭く不便にしている物が有る。
ミシンだ。
※
大きな木製の箱の台に入った足踏みミシンである。
今や、上に鉢植えなんかを置くただの台となっている。
もう30年以上は使っていない。
母は洋裁が好きだが、仕事が忙しいのもあって、
さほど裁縫はしていない。
自分や家族の服を縫う、なんてことをしたかったんだろうけれど、
そういうことはほとんど無いままだった。
無用の大きな箱。
これはいかん。
※
「これは捨てていいの?」とか
「これはもう使わないの?」とか
さんざん言われてきた。
親が子に と言ったら広げ過ぎならば、厳密に
母が私に言うコゴトは、おおよそのところ、自分自身に感じている責めだったように思う。
「もっと能率的にやりなさい」とか
「日記を毎日つけなさい」とか
「ピアノの練習は決めた時間にやりなさい」とか
自分がやりたくてできていないことを、我が子で実現しようとしていただけだ。
今でこそ、そんな風に思えるけれど、
子どもの頃はそんな事情は分からないので、
ただ叱られて追われて締められ管理される気持ちであった。
「あなたの物が家じゅうに一杯」
などと言われていたが、
母が引っ越してみると、私の物ではかなわないほど母の物が案外かさばっている。
※
しばしばこのブログに登場する友人Mであるが、
裁縫も上手である。
Mも相当「なんでも自分でやる」病におかされている。
Mに、ミシンの下取りについて聞いてみた。
どこそこに店が有るとか、持ち込みがどうとか、訪問買取がどうとか、
教えてくれた。
※
ネットの買取査定にかけてみるか。
とは言え、足踏みだけれどアンティーク的な価値はまるで無い。
便利でもなきゃ美しくもない、中途半端な
高度経済成長期の品物である。
売れないだろう。
それでも、ただ粗大ゴミとして出すよりは、
たとえば部品を取るためだけのものとしてでも
引き取ってもらえるなら、それでいい。
何十年ぶりに箱の扉を開け、
蓋を開き、
ミシン本体を持ち上げて、セットしてみた。
埃を払い、きれいに拭いて、写真を撮った。
※
中に、保証書が入っていた。
シンガーミシンの巣鴨店で買ったようだ。
1974年7月とある。
この年の10月に、引っ越しをしている。
アホか。
こんなでかいもの、引っ越してから買えばいいのに。
※
革のベルトを輪っかに掛けて、
ハンドルを回しながらペダルを踏んでみた。
少し重たいけれど、滑らかに動き、
針が上下する。
※
機械というのはとても魅力的だ。
こういう、ペダルの運動を回転に変えて、
それをまた針の上下動に変換する、
なんてな仕組みは、とても興奮する。
分解してみたい。
※
分解してみたいって言ったって、いつやるの。
いつまでも置いてたら邪魔でしょうがないわよ。
と、自分の声がするようだ。
※
ミシンも買取するリサイクルショップにメールで問い合わせたが、
このような型のミシンは買取しない、という返事が
わりとすぐに来た。
仕方ない。
粗大ゴミか。
※
ああでも分解してみてからにしようかな。
ああでもほんと場所取るんだよな。
ああでも
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