[あらすじ] タクシー運転手の蛙さん(仮名)による蛙ネット(仮名)は、
インド言語や漢文についての情報が満載で、
サンスクリットを独習する私にとっては格好の水先案内になっている。
管理人は蛙さんの"女房"のT子さん。
T子さんが自分で学んだ技術でサイトづくりしているようだ。
そして、T子さん自身のページも持っている。
見るとT子さんは牧師さんで、古楽カフェで宣教を行っている。
聖書研究のためにギリシャ語やヘブライ語を始め、いくつかの言語を学んでいるようだ。
しかし、残念なことに2015年に他界している。
ツイッターのアカウントが残っているので、見てみると、自己紹介は
「性別=元男今女。」から始まっていた。
MTFだったのだ。
https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/b68b033a6b7ea43ed42c62e15355ff57
※
今週のはじめにブログに書いて、アップして、アップした直後から
気になって、さらに調べた。
そして、重要なことに気付いた。
そしてまたもう一つ、なんとなく抱いていた疑問がはっきりとした疑問になり、
一日も経たないうちにまたその答えも見付かった。
ブログに書いたことを「早まった。もっとよく調べてから書けば良かった。」と
悔やんだが、遅い。
それに、よく知れば知るほど、書くことは私にとって難しくなっていただろう。
うっかり書いちゃっていなかったら、よく調べてからでは書いていなかったかもしれない。
※
まず、T子さんのサイトの写真が、亡くなる2日前のものというのに、
とても元気そうであること。
ということは、急死している。
急死ということは、事故か、あるいは。
T子さんのツイッターは、「T子さんを偲ぶ会」が管理している。
遺族ではなく、「会」が管理している。
牧師なので、周囲に慕って来る人が多かったからだろう。
「会」の説明によれば、削除したツイートはツイートログに保存してある、とのことだ。
ツイートログの一番最後に遺されているツイートの冒頭に、
「遺書」という言葉が見えた。
もう、私の疑念に答えは出た。
T子さんは自死したのだ。
最期のツイートは、ツイートディレイという機能を使ったものだと
本人が書いている。
前もって書いた長文を、ツイートできる長さに切り分けて、
番号を振って、数分おきにツイートされるように設定したのだ。
これが、T子さんの遺書になっている。
店を閉じること、自分もこの世を去ることから書き始めている。
つらいことだが、本人の言葉そのままがやはり一番、気持ちを汲み取れると思う。
引用する。
「福音と世界2013-7で書いたように、キリスト教に対して独自な考えを持ち、
かつ性的少数者である私にぴったりな宣教とは、喫茶店を開くことでした。
私はそれを神の声としてちゃんと聞いたので、以後はその目標に向かって邁進するばかりでした。
真理庵を作れというのは私の召命だったのです。」
真理庵というのがT子さんの古楽カフェの名前だ。
しかし、運転資金不足と、客足が伸びないことで、経営は続かない。
自死を決めたのは、開店から3ヶ月少しの日のことなのだ。
「でもたった100日余でも自分の宣教の場を持てた私は、とても幸せでした。
私は4年前の3.11で死ぬはずで、以後の生はおまけ、アディショナルタイムだと思い続けてきました。
自費出版、性転換、旅行、美食、やりたいことはすべてやったので悔いはありません。
いい夢を見させてもらいました。」
「私の死生観では、自分の生とは「大いなるいのち」のごく一部を自我によって
私のものであるかのように切り取っているにすぎず、
私は大いなるいのちの一部分として永遠の生を生きています。
死んだらほどなく別の人生を始めてるでしょう。
肉体同様意識もクリアされるのでまるでわからないでしょうが。」
と、T子さんの言葉にはインド的な思想が見える。
今、どこかでそろそろ歩き始めているのかもしれない。
インド的に言えば、前の生は無駄ではない。
T子さんとしての学びや活動は、T子さんにつづく人生に受け継がれ、
人類全体の成長に繋がり、大いなるいのちの一部として生き続ける。
※
自死と知っていれば、おいそれとブログには取り上げなかった。
亡くなる2日前の写真を見てピンと来なかったのは、
私のこれまでの経験の甘さと思える。
ここで私はもう一つ、もやもやとしたものを抱えた。
喫茶店の経営に、タクシー運転手の夫の支援は無かったのか。
遺書に、"主人"である蛙さんに向けての言葉が無い。
どうも奇妙だ。
もしやと思って、私はツイートログの中をいくつかのワードで検索してみた。
つづく
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