隠居さんの家に長屋の八ッつぁんだか熊さんだかがやってきて、
「タダの酒があるって聞いて来たんだ、飲ませろ」
というようなはなしが落語にもあるが、
ことほど左様にのんべはあつかましい。
灘の酒と言ったら、うまいからというので江戸で人気だったという。
しかし長屋の八ッつぁんにとっては、うまいまずいはさほど問題ではなかっただろう。
タダで一杯飲める、なんならおかわりおかわりと重ねられりゃあもう言うところはない。
私もそんな部類で、はじめは「うまい」とか「香りが」とか「米の味が」とかなんとか
知ったようなことを言っているが、酔ってきたら「もう一杯」「あとちょっと」となる。
脳みその奥の方がアルコールにやられちまってスポンジのように吸い込むばかりだ。
どうせそんなことになるんだったら、ハナから安酒で良さそうだ。
わざわざうまい酒に高い金を払っても、後では味も分からず飲み干してしまうくらいなら、
はじめっからパック酒でもいいんじゃないか。
という発想になると、もうあぶない。
酔うばかりのために飲み、量が増える。
ちいとも節約にはならない。
かと言って、「味わう」なんて言っているのも、言い訳に過ぎない。
飲まないでいいなら飲まないでいいものだ。
と、わかった風に言っているのも、あやしい。
淡麗辛口、なんて言葉が流行ったが、
私の好みは芳醇辛口だ。
味わいの厚くとろりとした酒が好きだ。
とは言え、古酒などは好まない。
茶色いほどの濃さは要らない。
けれど透明よりは黄色い酒のほうが良い。
とまあ、飲まない人にはどうでもいい注文が細かい。
好みが狭いと、飲む銘柄が少なくて、飲む量も減るかというとその逆で。
好みズバリの酒を探し求めてアレコレ飲む。
これ!というものが見つからず、今日も明日も飲む。
昨日は毎月一日の法螺の日ですからね、
一升瓶をもらったなんてことは、現実には、無い。
一升は要らない。
ひとくちでいい。
意中の酒を探すために、ちょいとその酒を試させてくださいな。
「タダの酒があるって聞いて来たんだ、飲ませろ」
というようなはなしが落語にもあるが、
ことほど左様にのんべはあつかましい。
灘の酒と言ったら、うまいからというので江戸で人気だったという。
しかし長屋の八ッつぁんにとっては、うまいまずいはさほど問題ではなかっただろう。
タダで一杯飲める、なんならおかわりおかわりと重ねられりゃあもう言うところはない。
私もそんな部類で、はじめは「うまい」とか「香りが」とか「米の味が」とかなんとか
知ったようなことを言っているが、酔ってきたら「もう一杯」「あとちょっと」となる。
脳みその奥の方がアルコールにやられちまってスポンジのように吸い込むばかりだ。
どうせそんなことになるんだったら、ハナから安酒で良さそうだ。
わざわざうまい酒に高い金を払っても、後では味も分からず飲み干してしまうくらいなら、
はじめっからパック酒でもいいんじゃないか。
という発想になると、もうあぶない。
酔うばかりのために飲み、量が増える。
ちいとも節約にはならない。
かと言って、「味わう」なんて言っているのも、言い訳に過ぎない。
飲まないでいいなら飲まないでいいものだ。
と、わかった風に言っているのも、あやしい。
淡麗辛口、なんて言葉が流行ったが、
私の好みは芳醇辛口だ。
味わいの厚くとろりとした酒が好きだ。
とは言え、古酒などは好まない。
茶色いほどの濃さは要らない。
けれど透明よりは黄色い酒のほうが良い。
とまあ、飲まない人にはどうでもいい注文が細かい。
好みが狭いと、飲む銘柄が少なくて、飲む量も減るかというとその逆で。
好みズバリの酒を探し求めてアレコレ飲む。
これ!というものが見つからず、今日も明日も飲む。
昨日は毎月一日の法螺の日ですからね、
一升瓶をもらったなんてことは、現実には、無い。
一升は要らない。
ひとくちでいい。
意中の酒を探すために、ちょいとその酒を試させてくださいな。
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