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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

他人だからこそ挨拶

2013年04月08日 | 椰子の実の中
何はなくてもとりあえず挨拶。
無言ってのは感じ悪い。
会釈をするのも良いけれど、頭を下げるってんでもない場面も多い。
ちょっとひと声出すだけで、ずいぶん雰囲気が変わると思う。

昨今では、電車の中でひとさまの足を踏んでも謝らないんだそうな。
たしかに、先週も踏まれたけど、謝られなかったな。
でも、ちゃんと謝ってくれる人も中にはいる。
けれど、謝らない人の方が多くなったようには思う。

知らない人と話してはいけません。
っていうのは、私の住む東京郊外の、痴漢だの露出狂だの変質者が頻出する
地域での、子どもたちへの教えだった。
幼い子にとって、見ず知らずの人が話しかけてくるのは
危険なことだった。

そのような状況なら、知らない人とは話してはいけないだろう。
しかし大人なら、相手があやしいかどうか分かるだろう。
それにそんなに治安の悪い国でもない。
電車の中で足踏んじゃった時に、相手があやしい人だから謝らない、
というわけでもない。

東京の都市生活について、考えている。
こんなに寒々としたことは、都市でしか起きていないのかもしれない。
アパートの隣に住んでいる人がどんな人か知らない。
マンションなら隣室の喧嘩も聞こえたりしない。
オートロックで住人以外は立ち入らない。
玄関に人が来てもカメラで見て無用の人なら答えない。

そんな暮らしをしていたら、いざ足踏んじゃっても咄嗟に「ごめんなさい」って
言えなくなるかもしれない。

私は、店員さんに何も返事しないのが嫌いだ。
「お待たせしました、こちら○○です」と料理を持って来てもらったら
はい、いただきます。
レジに行ったら
お願いします。
お釣りをもらったら
ありがとう。
と言う。

いや、言えるようになった。
という方が正確だ。
私も、言えなかった。
でもだんまりはおかしいと思ったし、
店員が話してもなんでもなく無視している人の様子を見るとものすごく違和感が有ったので、
声を出すことにした。

最初は
どうも。
くらいだけだったけれどね。

他人とは別に悩みを聞いたり話し込んだりちょいと誘って飲みに行ったりしない。
しない分、挨拶くらいはしておけば後が気持ちいいと思うんだけどね。
いつ誰がどこで何したか、全部筒抜けの田舎も息苦しいが、
他人を人間扱いせずまるで無視の都会というのも潤いが無い。

他人の代表は、通りすがりの人とサービス業の人だと思う。
町中でもっと挨拶が交わされたら、ずいぶん生活が楽になると思うがね。


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