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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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安楽死という言葉について

2016年07月27日 | 椰子の実の中
犬の11歳は、人間で言うと大体60歳くらいだ。
60歳くらいで病気で死ぬと、現代では、ずいぶん若かったのにね、ということになる。
私は犬に「亡くなる」という言葉を使うことに違和感をおぼえるので、
「息を引きと」ったと表現した。
しかし、そのような死ではなかった。
犬の40分間を鳴き叫んで苦しんで、生きることにしがみ付こうとしていた。

ご老人だと、「眠るように」亡くなっていった、という言い方をよく聞く。
すうっと、これこそ、息を引きとるという感じだろう。
父が亡くなる時、母はずっとそばにいたが、どの瞬間だったかわからなかったと聞く。
85歳までやりたいことをやり切っての大往生だと、消え行くようなのだろう。

ハナさんが小学生だった頃に見たことを話に聞いた。
戦後間もない頃のこと、とある田舎でのこと。
きょうだいの一番下に女の赤ちゃんが生まれた。
が、先天性の障害を持っていた。
軍医だった医師は、親に「安楽死」を勧めた。
何かの薬剤を注射したという。
幼い小さい体は、薬の作用に抗って長い時間、悶え苦しんだそうだ。

若いほど、死は苦しいようだ。
それは薬殺であって、けして「安楽」死ではない。
誰かの作った言葉にごまかされてはいけない。
若い肉体が死ぬのは苦しい。
衰弱していく期間も苦しく見えるが、
衰弱していくことでなるべく死に近付いておいてから死を迎えるほうが、
死そのものの苦しさは軽減されるのではないだろうか。

死に向かって準備したり近付いて行ったりする方法は、
人によって様々なのだろうと思う。
衰弱であったり、病気であったり、心構えであったり。
自分自身でなるべく近付いておいたほうが、
スムーズに死ねる。そんな気がする。



難しいテーマだが、「安楽死」という言葉を聞くことが
公私に続いたので、今の考えを書いてみた。


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