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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

ジーロくんカレンダー12月 三井の晩鐘

2018年12月31日 | 自画自賛
明星食品の深大寺そばという乾麺を愛用している。
安価であり、この価格帯の乾麺の中では、できが良い。
メーカーは長野県のようだが、スタートは深大寺だったらしい。
マツキヨで売っているので便利だったのだが、
どうも、この頃置かなくなってしまった。
マツキヨがやめただけなのか、明星食品でもう生産していないのか。
いづれにしろ、私の食生活はちょっと困っている。

年越しそばはカップ麺で済ましちまおうか。
もうヤケクソ気分である。



日産のエクストレイルに乗っている。
良い車だ。
今後も乗り続けたいので、会社はしっかりとしていて欲しい。



ヨーガスートラを、一通り読み終わった。
非常に簡潔なサンスクリットで書かれている。
必要最小限の単語が並んでいる、といった感じだ。
独習2年の私が自力で読解できるはずもなく、
佐保田鶴治氏の訳と突き合わせながら読んだ。

サーンキヤ哲学を基礎に借りていて、
仏教と共通点も多いが異なる点も多い。
煩悩はサンスクリットでクレーシャと言う。क्लेश, kleśa。
文字通り、煩わせるもの、という意味がもとになっている。

煩悩には、無明、我想、貪愛、憎悪、生命欲がある、という。
5種類か。
仏教では、貪、瞋、痴、慢、疑、見の6つから細分化して108ということのようだ。
細けえなあ。

無明(むみょう)というのは仏教用語だが、無知ということだ。
無常、不浄、苦、無我であるものを、
常、浄、楽、我と思ってしまうことを言う。
取り違えの思い込みであり、他の煩悩を育てる田地となる。ろくなこっちゃない。

我想とは、見る主体である力と見るはたらきである力を混同してしまうことだ。
これも取り違えの思い込みだ。
感覚している自分が自分そのものと思うのは、間違いなんだということ。

貪愛(とんあい)とは、快楽を欲するということだ。
あれ良かったなーもう一度味わいたいなー。

憎悪とは、苦にとらわれることだ。
あれ嫌いだなーもう二度とごめんだなー。

生命欲は独特で、賢明な人にも有る。
死ぬのやだなー。

108個も分類してる暇が有ったら、無知を解決したほうが良さそうな気がする。
あいや、鐘を撞きゃいいのか。今夜。



写真の鐘は、もう2年くらい前か、
陶芸を始めて一年くらいの頃に作ったものだ。
半磁器土で大まかに形を作り、そこから細かく削って、
なんだか黒っぽい釉薬は、もっと青黒く色が出ることを期待して掛けたものだ。
今見ると、ああすればこうすればと思う。

琵琶湖のほとり、三井寺の晩鐘をかたどった。
日本一美しい響きだとされている。
ほお。聴いてみたいものだ。

細かい細工をした竜頭は素焼きする前に一回モゲちゃったが、なんとかくっつけた。
しかし、釉薬で細工は埋もれ、穴も埋もれて釣鐘なのに釣れなくなっちまった。アホ―

また作りたい。
が、私の通っていた陶芸教室が三月で閉じる。
無常ですな。
さてどうする。



老犬の昼寝は深く、頭の上に乗っけて写真を撮っていても、
ちっとも目を覚まさない。



ゆくとし
ゴーーーン


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