チケットを買った2分後、劇場に貼ってあるポスターを見て、失敗したかな?・・と思った。
だーいっきらいな「トランスポーター」の監督作だった(ルイ・レテリエ)。
それでなくても、リュック・ベッソン脚本という時点でかなり微妙なのだ。ベッソン監督作品は「最後の戦い」とか「レオン」とか結構好きだし、「フィフス・エレメント」を除いてはそんなにつまんなくないのだが・・・こいつが、脚本か制作だけに関わった作品はこれまで、ことごとく愚劣な5流アクション映画だった。ま、好みの問題ですけどね。「TAXi」とか世間では評判いいみたいだし。
僕にとってベッソンブランドと言えばダメブランドの筆頭格。
「ムッシュー、あんたらいつまで"わかってないアクション映画"作るんでソワァ?」と思い続け数年間。
それでも、予告編やチラシ裏の筋立て読むと期待させるものがあって、つい観に行くのだが、そのたびに「駄作だなんて観る前から判ってたことさ・・・」と自分を慰めてきた。
*********************
・・・と悪口から始めた本作の評であるが、結論を言えば、なんだい、今回は結構おもしろかったよ。拾い物。もうけもの。
だからといって、ベッソンブランドの信頼が回復したわけではないし、後述するがこの映画にも欠点は多々ある。けど、娯楽アクションとしては手堅くまとめ、かっこいいアクションも堪能できて、¥1800分は楽しめて良かったんではないかと。
この映画は、とにもかくにもジェット・リーのアイドル映画として、アクションはもちろんだがジェットの色々お茶目な芝居が見れて楽しい
・ベッドの下でぶるぶる震える、
こわいようぅぅ(ぶるぶる)状態のジェット
・ズルズル音を立ててスープを飲む、
お味噌汁じゃありません!!状態のジェット
・初めてのジェラート、一気食い、
くひのなははひゃっこいよう(口の中がしゃっこいよう)状態のジェット
・初めてのキッス、やわこくて甘くて、ぽぉぉぉ・・・
やあーい、真っ赤になってらあ状態のジェット
・敵から逃れて入った先では美女がシャワー中!!
のび太さんのエッチ!!状態のジェット
「ザ・ワン」以来の芝居するジェットを楽しめる映画だ。
しかも、個人的に受けるのは、東洋人としても小柄な方のジェットが、白人・黒人と並ぶとたしかに子供っぽく見えるが、顔のアップはどう見てもただのおっさんなジェット(1963生まれ、42歳)が上記のような各状態を演じている点だ。
モーガン・フリーマンが盲目であるという設定が、あまり物語と関係ないような・・・と最初は思えた。せむし男みたいな奴とか、人種差別はびこる50年代白人社会に飛び込んできた異人種とかならともかく。だが、判った。もしモーガンの目が見えてたら、「こら!! てめえ、いい歳して女子高生のわしの娘に何ぽおぉぉっとしたんじゃあ!!失せろ!!」と思ってしまうに違うない。視力がないからこそ、幼児なおっさんを家族として受け入れることが出来たのだ。
アクションシーンはどれも、水準以上の迫力。ジェットが本領発揮で魅せる魅せる。そして強い。デジタル処理を最小限にとどめ、下手に手持ちカメラ&細かすぎるカッティングみたいなテクニックに走るようなミスもなく、ジェットの華麗な動きが堪能できる節度ある編集も良い。
しかし、ワンチャイシリーズのように常に微笑浮かべて8分目くらいの力で圧勝というわけではなく、まるであれが全力かのごとくの演出はファンとしては残念だが。
あと、俳優としては、ボブ・ホスキンズが良かった。馬鹿で下品で非道で饒舌。上手い。
悪人なのに、憎めない。作り手のこのキャラへの愛情が感じられる。
なぜ憎めないかと言えば、この男、登場する度に必ずと言っていいほど、相当ひどい目にあっているから。
タコ殴りにされたり、
銃撃されたり、
乗ってる車クラッシュされたり、
性欲丸出しで男の本懐遂げる寸前で「ふざけないでよ!!」バシッ!!・・・
いつも血まみれ傷だらけ。つい同情してしまう。もう充分罰は受けている。
アメリカ映画ならラストで確実にぶち殺されていただろう。しかしこのキャラに思い入れがあるらしい脚本家ベッソンと監督ルテリエは最後もコントのように植木鉢でぶん殴られて終わりにする。笑えた。ユーモアあふれるこのキャラが、陰惨なはずのストーリーにいい意味での軽さを与えている。
*********************
さて、長くなりついでに、この映画の弱点について、書いてみる。
(1)演出のミス
格闘アクションパートとドラマパートが遊離している点
(2)脚本のミス
プロットを単純化しすぎたこと、および、「単純化により集約されていく一点」に異論あり
(1)について
この映画を見ててジョン・ウーの映画。特に「狼たちの絆」を思い出す。
「狼たちの絆」はユンファとレスリーの兄弟泥棒が、自分たちに悪事をさせる血のつながった実の父を倒し(殺し)、自分たちに道徳と正義を教える育ての親を愛する物語だった。ウー作品としては低レベルなデキだが、凄惨を極めるクライマックスのアクションは、血より絆を選んだ主人公二人の葛藤が表現されているように思えた。廃墟と化すセットに死屍累々。ドラマパートはコメディタッチの演出であったが、ストーリーが本来持つ重さと、アクションシーンの凄惨さがマッチしており、アクションはドラマの延長として、一体となって映画に組み込まれていた。
「ダニー・ザ・ドック」のアクションは、そういったドラマとの関連が弱いのだ。
アクションシーンで、モーガンとその娘がほとんど絡まないということもある。が、それだけではない。
作品の性質上仕方ないところもある。ウーが撮る銃撃アクションでは、主人公は敵の銃弾を避ける。外れた弾はセットの中の何かにあたり、それを壊す。自然と舞台は破壊されていく。
しかし「ダニー・・」は格闘アクションだ。壁や机や窓などが壊れはするものの、銃や手榴弾による被害とは比較にならない。攻撃は相手にヒットし、服が裂け血が流れあざになる。それをもっと過剰に映し出せば良かったかもしれない。
クライマックスでジェットと死闘を繰り広げる男と、ジェットとの何らかの因縁でもストーリーに組み込まれていれば良かった。単に「強い奴」としてのみ登場したあの男との戦いでは、攻撃の矛先は目の前にいる一人の敵にのみ向けられる。宿命とか社会とかでなく、純粋に対戦相手にのみ。
アクションは確かにかっこ良かったが、それらは時々挿入されるショウに過ぎない。この辺にルイ・レテリエという監督の演出力の弱さを感じる。
(2)について
ジェット・リーが育ての親に牙を向ける理由が、母の復讐というそれだけに絞られたことも、残念だ。そんな理由などなくても、地下牢のような場所で犬として育てられたという設定があるのだから、ボブ・ホスキンズをやっつける理由としては充分なのだ。
後は、犬として育てられたジェットが、いつそのことに気づくか・・・その機会を与えたのが、モーガン演じるピアニストとの交流であり、ボブ・ホスキンズを倒すべき悪と規定させるトリガーとなるのが、ボブ・ホスキンズが母を殺したこと・・・とする脚本は悪くない。
だが、ジェットはそこで母への思いや、モーガンたちへの愛情を糧に、一人の人間として目覚めるべきだった。それは現代の奴隷解放物語へと昇華可能な、ヒューマニズムあふれる物語となるはずだった。
しかし、ベッソンは、単に母の仇を討つ話にまとめてしまった。ラストの演奏会で流れるモーツァルトは確かに感動的だったが、そのシーンでジェットはただただ母との思い出へと回帰していく。
このシーンは過去ではなく未来へと、自分に開けた自由の扉、モーガンたち新しい家族との絆に思いを馳せるべきではなかったか?
あれでは、母恋しやの幼児から何の成長もしていないように感じる。
ま、格闘娯楽アクションにシナリオの深みなんか求めても仕方ないのかもしれないが、その割りにドラマパートにたっぷり時間を割いているので、中途半端感が強まるのである。
もっとも、こういうこと言えるのも、この映画がそれなりに高い完成度であったから。
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だーいっきらいな「トランスポーター」の監督作だった(ルイ・レテリエ)。
それでなくても、リュック・ベッソン脚本という時点でかなり微妙なのだ。ベッソン監督作品は「最後の戦い」とか「レオン」とか結構好きだし、「フィフス・エレメント」を除いてはそんなにつまんなくないのだが・・・こいつが、脚本か制作だけに関わった作品はこれまで、ことごとく愚劣な5流アクション映画だった。ま、好みの問題ですけどね。「TAXi」とか世間では評判いいみたいだし。
僕にとってベッソンブランドと言えばダメブランドの筆頭格。
「ムッシュー、あんたらいつまで"わかってないアクション映画"作るんでソワァ?」と思い続け数年間。
それでも、予告編やチラシ裏の筋立て読むと期待させるものがあって、つい観に行くのだが、そのたびに「駄作だなんて観る前から判ってたことさ・・・」と自分を慰めてきた。
*********************
・・・と悪口から始めた本作の評であるが、結論を言えば、なんだい、今回は結構おもしろかったよ。拾い物。もうけもの。
だからといって、ベッソンブランドの信頼が回復したわけではないし、後述するがこの映画にも欠点は多々ある。けど、娯楽アクションとしては手堅くまとめ、かっこいいアクションも堪能できて、¥1800分は楽しめて良かったんではないかと。
この映画は、とにもかくにもジェット・リーのアイドル映画として、アクションはもちろんだがジェットの色々お茶目な芝居が見れて楽しい
・ベッドの下でぶるぶる震える、
こわいようぅぅ(ぶるぶる)状態のジェット
・ズルズル音を立ててスープを飲む、
お味噌汁じゃありません!!状態のジェット
・初めてのジェラート、一気食い、
くひのなははひゃっこいよう(口の中がしゃっこいよう)状態のジェット
・初めてのキッス、やわこくて甘くて、ぽぉぉぉ・・・
やあーい、真っ赤になってらあ状態のジェット
・敵から逃れて入った先では美女がシャワー中!!
のび太さんのエッチ!!状態のジェット
「ザ・ワン」以来の芝居するジェットを楽しめる映画だ。
しかも、個人的に受けるのは、東洋人としても小柄な方のジェットが、白人・黒人と並ぶとたしかに子供っぽく見えるが、顔のアップはどう見てもただのおっさんなジェット(1963生まれ、42歳)が上記のような各状態を演じている点だ。
モーガン・フリーマンが盲目であるという設定が、あまり物語と関係ないような・・・と最初は思えた。せむし男みたいな奴とか、人種差別はびこる50年代白人社会に飛び込んできた異人種とかならともかく。だが、判った。もしモーガンの目が見えてたら、「こら!! てめえ、いい歳して女子高生のわしの娘に何ぽおぉぉっとしたんじゃあ!!失せろ!!」と思ってしまうに違うない。視力がないからこそ、幼児なおっさんを家族として受け入れることが出来たのだ。
アクションシーンはどれも、水準以上の迫力。ジェットが本領発揮で魅せる魅せる。そして強い。デジタル処理を最小限にとどめ、下手に手持ちカメラ&細かすぎるカッティングみたいなテクニックに走るようなミスもなく、ジェットの華麗な動きが堪能できる節度ある編集も良い。
しかし、ワンチャイシリーズのように常に微笑浮かべて8分目くらいの力で圧勝というわけではなく、まるであれが全力かのごとくの演出はファンとしては残念だが。
あと、俳優としては、ボブ・ホスキンズが良かった。馬鹿で下品で非道で饒舌。上手い。
悪人なのに、憎めない。作り手のこのキャラへの愛情が感じられる。
なぜ憎めないかと言えば、この男、登場する度に必ずと言っていいほど、相当ひどい目にあっているから。
タコ殴りにされたり、
銃撃されたり、
乗ってる車クラッシュされたり、
性欲丸出しで男の本懐遂げる寸前で「ふざけないでよ!!」バシッ!!・・・
いつも血まみれ傷だらけ。つい同情してしまう。もう充分罰は受けている。
アメリカ映画ならラストで確実にぶち殺されていただろう。しかしこのキャラに思い入れがあるらしい脚本家ベッソンと監督ルテリエは最後もコントのように植木鉢でぶん殴られて終わりにする。笑えた。ユーモアあふれるこのキャラが、陰惨なはずのストーリーにいい意味での軽さを与えている。
*********************
さて、長くなりついでに、この映画の弱点について、書いてみる。
(1)演出のミス
格闘アクションパートとドラマパートが遊離している点
(2)脚本のミス
プロットを単純化しすぎたこと、および、「単純化により集約されていく一点」に異論あり
(1)について
この映画を見ててジョン・ウーの映画。特に「狼たちの絆」を思い出す。
「狼たちの絆」はユンファとレスリーの兄弟泥棒が、自分たちに悪事をさせる血のつながった実の父を倒し(殺し)、自分たちに道徳と正義を教える育ての親を愛する物語だった。ウー作品としては低レベルなデキだが、凄惨を極めるクライマックスのアクションは、血より絆を選んだ主人公二人の葛藤が表現されているように思えた。廃墟と化すセットに死屍累々。ドラマパートはコメディタッチの演出であったが、ストーリーが本来持つ重さと、アクションシーンの凄惨さがマッチしており、アクションはドラマの延長として、一体となって映画に組み込まれていた。
「ダニー・ザ・ドック」のアクションは、そういったドラマとの関連が弱いのだ。
アクションシーンで、モーガンとその娘がほとんど絡まないということもある。が、それだけではない。
作品の性質上仕方ないところもある。ウーが撮る銃撃アクションでは、主人公は敵の銃弾を避ける。外れた弾はセットの中の何かにあたり、それを壊す。自然と舞台は破壊されていく。
しかし「ダニー・・」は格闘アクションだ。壁や机や窓などが壊れはするものの、銃や手榴弾による被害とは比較にならない。攻撃は相手にヒットし、服が裂け血が流れあざになる。それをもっと過剰に映し出せば良かったかもしれない。
クライマックスでジェットと死闘を繰り広げる男と、ジェットとの何らかの因縁でもストーリーに組み込まれていれば良かった。単に「強い奴」としてのみ登場したあの男との戦いでは、攻撃の矛先は目の前にいる一人の敵にのみ向けられる。宿命とか社会とかでなく、純粋に対戦相手にのみ。
アクションは確かにかっこ良かったが、それらは時々挿入されるショウに過ぎない。この辺にルイ・レテリエという監督の演出力の弱さを感じる。
(2)について
ジェット・リーが育ての親に牙を向ける理由が、母の復讐というそれだけに絞られたことも、残念だ。そんな理由などなくても、地下牢のような場所で犬として育てられたという設定があるのだから、ボブ・ホスキンズをやっつける理由としては充分なのだ。
後は、犬として育てられたジェットが、いつそのことに気づくか・・・その機会を与えたのが、モーガン演じるピアニストとの交流であり、ボブ・ホスキンズを倒すべき悪と規定させるトリガーとなるのが、ボブ・ホスキンズが母を殺したこと・・・とする脚本は悪くない。
だが、ジェットはそこで母への思いや、モーガンたちへの愛情を糧に、一人の人間として目覚めるべきだった。それは現代の奴隷解放物語へと昇華可能な、ヒューマニズムあふれる物語となるはずだった。
しかし、ベッソンは、単に母の仇を討つ話にまとめてしまった。ラストの演奏会で流れるモーツァルトは確かに感動的だったが、そのシーンでジェットはただただ母との思い出へと回帰していく。
このシーンは過去ではなく未来へと、自分に開けた自由の扉、モーガンたち新しい家族との絆に思いを馳せるべきではなかったか?
あれでは、母恋しやの幼児から何の成長もしていないように感じる。
ま、格闘娯楽アクションにシナリオの深みなんか求めても仕方ないのかもしれないが、その割りにドラマパートにたっぷり時間を割いているので、中途半端感が強まるのである。
もっとも、こういうこと言えるのも、この映画がそれなりに高い完成度であったから。
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
ストーリーは、たいしたことなかった(「愛情」を感じて欲しかったのかもしれないけど、それは無理だった)けど。ダニーの首輪とヴァイオレットの歯の矯正器具が、妙に呼応しているような気がしてました。
豊富な知識で対比しての記事に感服しました。
首輪と矯正器具・・うん、そういえば
ボブ・ホスキンズの首のやつは呼応してなかったですね。
のび太さんのエッチ~には笑わせてもらいました(爆)
ベッソンは自分が監督する時はアクションとドラマがかみ合っていて、いいと思うんですが
脚本だけ書く時、ま、こんなもんでいいかあ・・と手を抜いてる気がするんです。アクションがドラマのおまけなのか、その逆なのか・・・?