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ブラームス交響曲全曲感想

2017-12-14 21:12:24 | クラシック音楽

ブラームス交響曲全曲、といっても4番までしかないけど、一旦コンプリートしたので、備忘録的に感想を記す

実はブラームスの音楽にはあまり触れることなくこの歳まで生きてきた。
「チャップリンの独裁者」でチャップリンの床屋が音楽にあわせて散髪するシーンの「ハンガリー舞曲」くらいしか知らなかった。(私の音楽知識のほとんどは映画から学んだ。)


2017年、無性にクラシック音楽にくるって、これまで避けてきたマーラーやショスタコーヴィチにはまりついでに、ブラームスにも手を出した。それはとても美しい音楽だった。

ヨハネス・ブラームス。
若き日のブラさんの顔

イケメン。さぞモテたことだろう。
タワレコあたりのクラシックコーナーの作曲家別の棚に行くと「B」のコーナーのスペースがものすごく大きい。2/3くらいはバッハとベートーベンが占めているが、残り1/3くらいの中の半分くらいをブラームスが占める(で、残り1/6をブルックナー、ベルリオーズ、バルトークなんかが奪い合う)
そんな3大Bの1人である。
しかし交響曲に関して言えば、作品として発表したのはたったの4番まで。そのため交響曲全集なんかは揃えやすい。
すべて40分程度でさくっと聴けることもあり、いろんな指揮者の買って聞き比べしやすいように思うので、これでコンプリートなどと思わず、カラヤン、バーンスタイン、ラトルなどなど色々聞き比べてみたい

【交響曲第1番】

ブラームスが第1番を発表したのは40代になってから。
多くの天才が10代や20代で第1番を発表したのに比べると、ずいぶん遅い。
だからいろんな作曲家の「第1番」には若さゆえの勢いや、青臭さを、後年の作品と比べて楽しむ面白さがあるものだが、ブラームスの第1番はあまりに成熟している。
彼はベートーベンが作り上げ完成させた交響曲というジャンルに踏み込むことに戸惑い躊躇ったらしい。交響曲を作るのであればベートーベンとは違う独自の世界を作らねば意味が無いと。
そして20年以上にわたり考えに考え抜いた結論として発表したのが40代になってからだった。
35で亡くなったモーツァルトが41もの交響曲を残したことを考えると、いくらなんでも考え過ぎだぜブラさんよ、と思ってしまう。深く考えずにバンバン発表していたら数々の名曲が残されたであろうと思うと残念に感じる。
とはいうものの、考えまくっただけあってブラ1はクラシック音楽史に残るような名曲中の名曲で、彼の代表曲たるにふさわしい美しさと風格がある。

ブラームスの交響曲には副題が無い。「田園」とか「新世界より」とか「悲劇的」といった類の。
だから作曲家からの押しつけ的な状況設定はなく、純粋に音楽として楽しむべきだろうが、一方でブラームスの音楽には感情がある。男性的だったり女性的だったりするが、交響曲全曲全楽章に共通しているのは人間としてある程度成熟した男女の感情を感じることだ。
ブラームス1番は第一楽章から、激しい感情の奔流に襲われる。(これは自分の持ってる録音が、激情家フルトヴェングラーの指揮によるものだからかもしれないが)
そこには分かりやすい娯楽性や、思想性はない。ただ人間の心があるのみだ。
ベートーベンを黒沢明の映画とするなら、ブラームスは成瀬巳喜男という感じ。映画好きにしかわからない例えでごめんなさい。
とはいうものの、ブラームスの1番はものすごく黒沢明のある映画を想起させる一面もある。
「赤ひげ」だ。
「赤ひげ」で佐藤勝の作ったテーマ曲は、びっくりするくらいブラームス1番の四楽章にそっくりだ。
それもそのはず、黒沢は佐藤にサンプルとしてブラームス1番を提示して、それに似た曲になるまで何度も書き直させたのだという。だったらブラームス使えばいいのにと佐藤も思ったらしい。そしてそれが理由ではないが「赤ひげ」は佐藤が手掛けた最後の黒沢映画となった。
ブラ1の4楽章と、「赤ひげ」のテーマを聞き比べて、黒沢明と佐藤勝のポスプロでのバトルを想像するのも一興だ。


もってるCDはフルトヴェングラー指揮、北ドイツ放送響で客演した51年録音のもの。当然モノラルだし、音質も悪い。けれど表情もテンポもころころ変える感情的な演奏をするフルトヴェングラーとブラームスの音楽の親和性は非常に高いと思われ、何度も繰り返し聴ける名演だと思う。

【交響曲第2番】

第1番の発表まで20年くらい悩んだブラームスだが、第2番の発表は1番発表から数か月しかかかっていない
なんか吹っ切れたらしい
さっさと作ったせいか、1番ほどの凄みは無く、どことなくあっさり目。とは言いつつも、むしろあまり深刻すぎずに聴ける感じが、ちょっと落ち着いた雰囲気の飲食店のBGMに使いやすいように思えて、人に勧めやすい面も。
第一楽章はなんというかとても女性的な優雅さの中に儚さがあって気持ちを静めたいときにいい。
一方で第四楽章の終曲部はブラームス交響曲中最も華やか。明るい希望、明日への活力がわいてくるような。
ベートーベンへの対抗意識が見える第1番(4楽章などベートーベン第9へのアンサー音楽のようにもとれる)に対して、第2番はモーツァルト的なところを狙っているように感じる。

持っているアルバムは、ソ連の巨匠エフゲニー・ムラビンスキー指揮、レニングラードフィル演奏の78年録音
ソ連ものにしては音質良好だし(ウィーンでのライブ録音だから)ステレオ。ショスタコーヴィチの濃厚な音楽が素晴らしいムラビンさんだが、この清く儚く美しくなブラ2も、しっとりとどこかロマンチックに奏でて素晴らしい。

【交響曲第3番】

ブラームスの4つの交響曲の中では一番地味というか、とらえどころのない感じ・・・フルトヴェングラーで聴くとまた違うかもしれないが
それでも第1楽章はブラさんらしからぬ優雅かつゴージャス感が心地よく、第3楽章のせつなさは、ベートーベンには無いし、マーラーとも違う、ブラさん独自のまさにブラ節
地味とはいえ、そこはブラさん、旋律の美しさで聴かせます

持っているアルバムは、クラウディオ・アバド指揮の70年代録音。シュターツカペレ・ドレスデンの演奏。
わたしはアバドってベルリンフィル退任後の枯れたじいさんのような姿しか知らない。ただアバドの枯れっぷりはよい。情熱的でも冷静沈着でも厳しいでも激しいでもない、まあ気楽にやろうぜって雰囲気(決してそんなわけじゃないんだろうけど)は、いい意味でのユルさがあり、クラシック音楽を私たちの側にぐっと近づけてくれているようだ。
しかしこの録音のころアバドはまだ40代。若々しくイケメンだ(どうでもいいことだが彼は晩年になっても体系が変わらずスマートだ。モテ男であろうとするイタリア人気質のなせる技だろうか)。演奏も壮年期や晩年と違い何か若々しく情熱的。あるいはブラームスという作曲家の特性が、誰もかれも情熱的にさせるのかもしれない。
く、そうなると感情が無いとまで言われるカラヤンの演奏を聴いてみたくなるぜ

【交響曲第4番】

第1番を名曲中の名曲と形容したが、天才という人たちはそのさらに上を行く名曲中の名曲中の名曲を作ってしまうものなのだ。
私はブラームスだと第4番が最も、そして圧倒的に、好きだ。
悲しみがあふれてむせび泣くような出だしからの激しい苦悩に見舞われる第一楽章
落ち着いて心の平静さを取り戻すように、穏やかに優しさにつつまれ癒されていく第二楽章
終楽章かと思うようなアレグロ、喜びを歌い上げる第三楽章
それだけ盛り上げておいて、またズドンと落とす、何か満身創痍で勝った!と思ったら最強のラスボスが現れたような、しかし絶望を超えてやはり魂の勝利へと突き進もうとする、暗雲立ち込める時代にあえて挑んでいくような力強さの第四楽章
全楽章があまりにドラマチック。それは濃厚だが美しい人間ドラマの長編映画を一本見切ったような充実感。それこそ成瀬巳喜男や小林正樹の映画のような、外国映画なら、うーんアルモドバルとか?
しかしこれが最後の交響曲とは、もし5番を発表していたらどんなすごい曲になっていたんだろう。

実は最初に買ったブラームスがこれだった。
フルトヴェングラー 指揮ベルリンフィル演奏のヴィースバーデンコンサート49年録音
フルトヴェングラーに狂っていた春ごろ、なんとなく買ったCD、モーツァルトの40番とカップリングでお得だと思った。
で、結局モー40よりブラ4ばっかり、1ヶ月くらい毎日のように聞いていた。
いつものことだがフルトヴェングラーの演奏はモノラル録音で、音質が悪い。でもそんなことは問題じゃない。緩急の激しさ、ドロドロドロドロ打ち付けられるティンバニ。聞いてる者の胸ぐらをつかんでぶん回すような凶暴な演奏かと思えば、切なく胸を締め付けて歌詞もないのに泣けてくるような演奏。

ブラームス4番はもしかして、ベートーベン第9と、ワーグナーのマイスタージンガーと並んでフルトヴェングラーの最高演奏ではないのか
なんて言うと、ベト3やベト5やブラ1を熱く支持する人から怒られるかもしれないが、それくらい私にはフルトヴェングラーのブラ4は来た

もう一枚、アバドの3番とカップリングされた4番のCDも持っている。
3番と同時期、76年のロンドン交響楽団の演奏。
ロンドン交響楽団といえば77年にスターウォーズのサントラで伝説的名演を残した。一番ノリにノッていた時期。
時期的にスターウォーズメンバーとかなりかぶっているに違いない。
そんなロンドン響の勢いある名演をもってしても、やはりフルトヴェングラーの演奏の方が、ノイジーで音がこもっててモノラルであるにもかかわらず、心に来る
第4楽章の急ぎ過ぎな感じ(これはロンドン響の問題でなくアバドの解釈の問題だが)はどうにもいただけない
もうブラ4に関してはフルヴェンの演奏が絶対的デフォルトになってしまった。
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