[Capricious Model Rail Factory] ** 気まぐれ鉄道模型工房 **

European/British/Japanese railway modelling in OO/HO/N

キングスホビー N大型木製客車キット組立 1

2017-09-27 21:09:20 | [jp] 鉄道模型 日本型N

これまでの鋼製客車キットとは構成がかなり違うので、量産先行車として、荷物車を一通り組んでみた。屋根はまだ仮組み。

側板に雨樋を貼り付けるのにカナーリ手間取ったが、何とか骨を掴むことができた。良く考えられたキットで、その先はサクサク組むことができた。木目の部分にハンダが回らない様に気を付けていたが、上手くいった。

説明書に何も書いてないが、屋根パーツのリブが荷物扉と当たるので、掘り込む必要があった。

残り8両の連続生産に入る。妻板の組立が面倒なので、最初にまとめて組んでしまうことにする。

 

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Durham地方の鉄道史 5

2017-09-24 22:36:08 | [jp] 歴史

忘れられた電化路線、Shildon - Newport線の話。

Stockton & Darlington鉄道開業後も、Durham郡南部炭鉱地帯の石炭輸送需要は依然旺盛で、他社が鉄道事業に参入する余地は充分有った。Stocktonの事業家Tennantが紆余曲折の末Tees & Weardale鉄道(後にClarence鉄道に改称)を設立し、S&D鉄道と完全に競合するShildon – Tees河港間の路線を建設し、S&D鉄道に遅れること8年、1833年に開業した。S&D鉄道がDaringtonの資本家主体で建設され、Daringtonを経由した遠回りのルートになっているのが、Stocktonの資本家には不満だった。起点ShildonでS&D鉄道に乗り入れて各炭鉱からの石炭を積み出すというハンデを負っていたが、S&D鉄道より短いルートと、Tees川北岸に開設した専用の積み出し港を武器に、激しく競い合っていた。しかし、後発組のハンデに加えて、S&D鉄道の様々な嫌がらせ(自社貨車の優先運行、自社線への機関車乗り入れ妨害など)もあり、支線を建設して新規顧客を開拓する等の施策も空しく、資金繰りに窮し、1851年にHartlepool港湾開発会社に買収された。S&D鉄道やLiverpool & Manchester鉄道と同時期に存在していたにも拘らず、滅多に歴史書に採り上げられることもなく、不遇な扱いを受けている。

1863年に、North Eastern鉄道がこの地域の鉄道会社を全て傘下に収めると、最短ルートである元Clarence鉄道線は石炭輸送のメインルートとなり、両端に広大な操車場が開設され、活況を呈する様になった。20世紀に入ると、山間部の石炭鉱脈が枯渇し産地が沿岸部に移動しつつあったが、Wear川上流域で産出される石灰石を沿岸部の工業地帯に輸送する需要が、石炭輸送の落ち込みを補っていた。

この時期、NE鉄道がNewcastle近郊路線を直流電化して旅客輸送で成果を上げ、York - Newcastle間の幹線電化を考える様になった。まず運行本数の多いShildon – Tees河港間の旧Clarence鉄道線を試験的に直流1500Vで電化することを決定し、地元Shildonの工場で貨物用B-B電機10両を新造し、1915年に電機牽引を開始した。

https://www.lner.info/locos/Electric/ef1eb1.php

電機列車の運行は順調で、蒸機より輸送効率が向上し、第1次大戦中の軍需輸送にも対応した。1923年にLondon & North Eastern鉄道(LNER)に統合された際も電機運行は継続されたが、戦後の経済停滞期に輸送需要が急減し、過剰設備となっていた所に電化設備の更新時期が重なり、電力料金の高騰も影響して、1930年に蒸機運行に戻す判断が下された。York – Newcastle間の幹線電化計画も、不況の煽りを受けて白紙となった。ECMLの電化は、実に半世紀後に英国国鉄の手でAC25kV電機牽引のIC125列車導入という形で実現される。

試作旅客用2C2電機1両を含む11両の電機は仕事を失い、一部はAnglia地区の電化路線に転用されたが、残りはShildonの操車場に長らく留置された後、スクラップとして売却され解体された。凸形車体、2丁パンタの堅実で力強いデザインで、保存機が無いのが惜しまれる。Woodheadルート電化に際し留置中の電機を活用するプランもあったが、高出力のEM1、EM2電機が新規開発、投入され、復活の機会は失われた。

地上設備の方も、将来の幹線電化を見越し、ツイントロリのコンパウンド架線を通常の3倍の長大スパンで張るという意欲的な設計で、写真を見る限り優美なものだったが、全て撤去されてしまった。使わなくなった地上設備は、金属製のものはスクラップが売れるのですぐに撤去されるが、石や煉瓦造りのものは撤去が困難で再利用も難しいため、邪魔にならない限り放置される。英国でも、廃線区間の放置されていたレールが剥がされて盗まれる事件があったりする。余談だが。

旧Clarence鉄道線自体も、第2次大戦後の不況、Durham地域の鉱工業の衰退、自動車輸送の台頭により、1960年代に大部分が廃止された。貨物輸送はStocktonに直行する旧Clarence鉄道線が有利だったが、旅客輸送には主要駅Darlingtonを経由しないのが却って仇となり、旧S&D鉄道線の方が存続することになった。最初から最後まで不運に苛まれた路線であった。

毎日通勤で通る幹線道路A167が途中で不自然にアップダウンしているが、ググル地図を見ると廃線跡を陸橋で跨いでいた。この廃線跡が旧Clarence線で、史実を知ってからは、ここを通る度に不遇だった路線のことが頭を過る。

 

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英国通信 28 Newcastleの猫カフェ

2017-09-17 16:02:24 | [jp] ブログ

新城(Newcastleとも言う)の猫カフェ。駅近くの狭い路地にある。

https://www.mogonthetyne.com/

ニャンモナイト。

看板猫Stan。

岩合さんアングルで。いい子だね~

いつもまったりと猫様を眺めているので、余り写真は撮ってない。

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英国通信 27 Ribblehad Viaduct

2017-09-16 22:16:22 | [jp] 写真

代表的撮影地の一つ、Settle-Carlisle線のRibblehead陸橋。車で2時間弱の所にある。天候が怪しかったが、とりあえず出撃。付近は高原のハイキングコースになっていて、トレッキング善男善女が多数。

普段はローカル気動車が行ったり来たり。天気は曇り時々晴れ間。晴れた際に半順光になる西側にセッティング。橋は緩くカーヴしているが、全体を高い所から狙えるポイントが無いため、仕方なくアウトコース低目。

お目当ての蒸機列車。登り勾配で煙を吐いて通過。通過少し前まで陽が差していたが、曇ってしまった。 この日は同業2名。

インコースとなる東側から見たところ。朝の北行き列車を丘の上から狙うのがベストだが、蒸機列車は大体逆方向で運行される。

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英国通信 26 High Level Bridge

2017-09-10 22:26:25 | [jp] 鉄道施設

キングス木製客車キットに取り掛かっているのだが、これが中々手強く、最初の工程で躓いて先に進めない。他の仕掛品に手を付けたりしつつ、何度もやり直しているが、心が折れそう。仕事の方も納期に追われて、逃げ場が無い。久しぶりに猫カフェでも行くか。

というわけで、鉄道構造物シリーズ、今回は小ネタ。

近所にある新城市(英語でNewcastle upon Tyne)は、その名の通りTyne川の北岸に位置する城塞都市である。Tyne川はこの辺りまで外航船が遡上できたので、北岸のNewcastleと南岸のGatesheadは交易と石炭の積み出しで栄えていた。

 LondonとEdinburghを結ぶ鉄道はここでTyne川を渡ることになるのだが、両岸の段丘上に敷設された線路と高さを合わせるために、高い位置に架橋する必要があった。High Level Bridgeの名前はここから来ている。建設当時まだ鋼材は使えず、鋳鉄のアーチでスパンを稼ぎ、二層構造にして下段の道路の通行料で建設費を回収することを目論んだ。1849年完成。

この写真で奥に紅白の橋が写っているが、これは船を通すため旋回橋になっている。High Level Bridge架設まで、段丘上の駅からこのレヴェルまで鋼索式鉄道で貨車を上下させていた。 更に奥に鋼アーチ橋が架かっているが、道路橋なので割愛。

架設当時はこの橋が本線だったが、Newcastle駅でスイッチバックが必要だったため、後に西側にKing Edward VII橋を架設し、東海岸本線の直通列車はそっちを通る様になった。High Level Bridgeも補修されて一応現役だが、御覧の通りローカル列車しか通らない。下段の道路は、補強追加で道幅が狭くなり、南方面専用バスレーンになっている。

逆光で潰れているが、振り向いてKing Edward VII橋を見たところ。IC225列車が通過中。錬鉄のラティスガーダ橋で、High Level Bridgeよりスパンが少し伸びている。更に奥にあるPC桁の道路橋と重なってしまっているが、気にしないで下さい。手前は20世紀末に架けられたMetro路線のQueen Elizabeth橋。技術の進歩で流路を一気に跨いでいる。流石大英帝国だけあって、地方都市に立派な橋を幾つも建設し、しっかり維持するだけの経済力がある。建造物ヲタとしては、色々な橋を眺められて飽きない。

 

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英国通信 25 Old Oak Commonデポ公開

2017-09-03 18:14:38 | [jp] 写真

倫敦市街の西の外れにあるOld Oak Commonデポ(車両基地)が公開されるというので、鉄な同僚に誘われて行ってきた。

Great Western路線の基地なので、普段はHSTと近郊DCが塒にしているが、デポ開設111周年スペシャルで、歴代の車両を搔き集めて展示。結構気合が入っていた。10時開始に合わせて行ってみると、入口は既に長蛇の列。この国にこんなにヲタが棲息していたのかと。こんな事もあろうかと、展示ブースを出す知り合いに頼んで招待券を貰っていたので、列をスルーして関係者受付に直行。並んでいたら1時間以上ロスする所だった。知り合いのブースに挨拶に行ったら店番を頼まれたが。

歴代のGreat Western線車両を並べて展示。この裏にも機関車を多数並べて撮影会。でも人多杉。流石に紳士の国だけあって罵声は飛ばないが。

 

Classs 43 HSTディーゼル機の開設111周年記念塗装。

最新鋭車両ということでIEPも展示。先日女王陛下がご乗車された、英国王室御用達の由緒ある車両。

蒸気動車の体験乗車などもあり、結構充実したイヴェントだったが、食べ物の店が少なく、食料確保に苦労させられた。店番頼んで食事に行った知人がなかなか戻って来なくて、俺一人でどないすんねんという修羅場もあったが。

16時の終了時刻を過ぎても、写真ヲタがなかなか帰らない。この頃になると殺気立ってきて、罵声もちらほら。やっぱり中身は一緒で、紳士の振りしてただけだったのねと、妙に納得。

 

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