三重県亀山市関町新所
石田三成率いる西軍が徳川家康率いる東軍と対決を決め伏見城を陥落し、
足場固めに伊勢平定のため三重県に入ってきます。
吉川広家、毛利秀元は関地蔵に布陣。
長束正家、安国寺恵瓊は椋本に布陣したそうです。
本日は関宿 西追分駐車場からスタートします。


関地蔵というのだから関地蔵院のことじゃないかと勝手に推察。

関地蔵院に向かうため東海道関宿を歩きます。
観音院

関地蔵院こと、九關山 地蔵院 寶藏寺


本堂


愛染堂

鐘楼

この辺りに吉川広家は布陣したのでしょうか。

地蔵院のそばにあるのが清浄山 福蔵寺
ここは織田信長の三男、織田信孝の菩提寺になります。



薬師堂

観音堂

本堂

江戸時代、女性でありながら父親の仇討ちを果たした小万という女性の碑がありました。


関宿の街並み

高札場跡


本陣跡



次いで長束正家、安国寺恵瓊が布陣した椋本へ向かいます。
三重県津市芸濃町椋本
椋本は江戸時代には伊勢別街道の椋本宿として栄えていました。
ということで椋本宿を歩いて行きます。
椋本宿の入口にある仁王経碑


反対側の入口にも同じ様な碑があるそうです。
江戸時代から続く旅籠「角屋」


参宮棟札

道標


椋本のどこに布陣したのだろうかと考察。
地形を利用するなら城跡だろうと考え野呂氏館跡へ。
野呂氏館は長野氏の一族、雲林院氏の家臣、野呂民部少輔 の築城とされています。
そして野呂氏館は1580年頃に廃城になっています。
現在、野呂氏館跡には椋本神社が鎮座しています。

境内の中にある土塁跡


土橋


空堀

参道は二重土塁の間に出来ているのでしょうか。

椋本神社

ここに安国寺恵瓊は居たのでしょうか。
椋本神社の西側の道は空堀を利用した道だと言われています。

この後、吉川広家や安国寺恵瓊たちは安濃津城を陥落するのですが、
伊勢平定の前に関ヶ原に布陣することになります。
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