午後1時、新幹線飯山駅前活性化を考える委員会を訪ねて、世話人の中嶋氏と意見交換をした。私は名刺を交換した後、Iphoneに載っている私のプロフィールをピックアップして自己紹介をした。氏は中野市の造り酒屋の分家で、東京で不動産業をして居て、平野の家に帰って、新幹線が開通するというのに駅前広場さえ未だに進出する企業の目安さえ決まらないことを知って、さる方に依頼して信金跡地に活性化を考える会を設置したと経緯を述べた。
二人の自己紹介が終わった所で、私は【新聞にあなたが広告を出して、駅前に進出する企業さえ決まらぬことを心配して活性化を語り合える同志を募っていることを知って、この人を核にして考えて見ようと思い立ち、やって来たのだという趣旨を説明した。
中嶋氏は、広告を見て馳せ参じたのは、貴方が初めてだ。追って関心のある人物はやって来るだろうが、北信濃の為に知恵を出し合おうと応じて呉れた。そして新幹線が来て飯山はどうなるか、貴方の見通しを聞かせて欲しい、と切り出した。
私は飯山に将来性は無い。その証拠に、区画整理で店舗を失った者は、飯山に見切りをつけて去って行った者。去らぬ者も店を辞めて勤め人になった者も居る。新幹線が来るこの好機を逸してなるものか、一旗揚げようと奮い立った者は独りも現れない。他地区から進出して来たと云うニュースも無い。上越新幹線の浦佐駅の二の舞でお先真っ暗だ、と悲観論を唱えた。
中嶋氏は駅前に多くの人に呼びかけて18階建ての巨大ビルを建てて地域振興を図るという大構想を披歴してその具体案も見せた。自信ありげに見えたので、それでは私のアイディアを語りましょうと、こんな降雪地に一人前の企業が来る筈は無い。金儲けを考えるのは愚の骨頂だ。私は誰かが何かをやって呉れるだろうという、他力本願ではダメだ。自分たちが立ち上がって金を出して飯山へ行って見たいと思わせる街づくりをする必要性がある。それが私の論語の街作りだ。雪は幾ら降ってもいい。教育の街づくりだ、と言って私の構想を話した。
彼は次第に真剣になって聞いて呉れた。私も調子に乗って夢を語った。時間の経つのは早い。一時間の懇談は瞬く間に過ぎて、次回のチャンスに話をつなげよう。私にも仲間になって欲しい。これから6か月、炬燵でみっちり話し合って同志を得て3月中に結論を纏めようと約束して辞去した。
百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 11月 6日(水) 晴れ
日数「日」 |
総歩数(歩) |
総距離(m) |
平均歩数(歩) |
|
今 日 |
1 |
19,198 |
13,418 |
|
今 月 |
6 |
116,215 |
81,351 |
19,369 |
今 年 |
271 |
4,574,146 |
3,201,902 |
16,879 |
2005年から |
3,202 |
45,892,870 |
32,125,009 |
14,333 |
70歳の誕生日から |
6,734 |
127,843,001 |
89,490,101
|
18,985 |
北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダ ヘブロンに向かって後 673,175m