百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

4中隊鍛練班

2017年12月03日 17時58分45秒 | 軍国物語

         百歳に向かってもう一度 歩いて世界一周 12月3日 晴れ

 信毎に初の《大昆虫食博》ざざ虫漁など解説 の記事が載っていた。

 地域の食文化を見詰め直す狙いで、海外の昆虫食についても紹介されているが、戦争中での話。終戦直前ともなって、兵隊が消耗して不足となって、昭和19年には19歳で徴兵検査が行われることになった。

 私は栄養不良気味で、本来ならば丙種不合格になるところ、第3乙種等という等級が設けられて合格となった。歩兵には向かないとして衛生兵で入隊した。そして「鍛練班」という別格の班に組み込まれた。

 鍛練班というのだから、大いに鍛えられるのかと覚悟したが、この班はひ弱な兵隊の集まりで、特別の栄養食が出されたのだ。それが「どきょう」と呼ばれた《蚕の蛹》だった。それまでは『肝油最中』も出たようだが、製糸工場から毎夕トレイで配達されてきた。

 食器の盛られる飯の量が少なめなので、私は《どきょう》の特配は大歓迎だったが、《どきょう》の苦手な者や全く手の出ない者も結構いた。お陰様で鱈腹頂頂いた思い出がある。


     百歳に向かってもう一度 歩いて世界一周 12月3

 

日数「日」

総歩数

総距離(m)

 
 

        1

           23,640

14,184

 

今  月

        3

            67,094

       40,256

22,365

今  年

331

51,770,017

3,834,609

15,640

3205年から

4,640

74,625,553

50,629,332

16,083

70歳の誕生から

8,142

156,356,501

108,047,184

    19,204

 北太平洋アリュウシャン列島ダッチハーバーよりアッツ島に向かってあと1,372,668m

       
       
       
       
       
       
       

 

       
       
       
       
       
       

大東亜戦争 降伏文書調印の日

2016年09月02日 21時05分22秒 | 軍国物語

 

             百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 9月02  晴れ

 《生きて虜囚の辱めを受けず》《一億玉砕》と覚悟して聖戦を戦ってきたのが、「万世のために太平を開かむと欲す」との玉音放送に従って、我が日本の全軍隊は8月15日戦闘行為を停止した。

 昭和20年9月2日、東京湾に停泊するアメリカの戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書の調印式が行われた。

 これによって、日本政府の国家統治は、連合国軍最高司令長官マッカーサーの制限下におかれることになった。残念無念の日。

             百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 9月02                                 

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数      〈歩〉

今 日

   1        

21,201

12,721

      

今  月

    2

42,008

25,205

21,004

今  年

226

4,232,936

2,539,764

18,730

2005年から

4,233

66,817,938

45,945,536

15,781

70歳の誕生から

7,735

148,748,886

103,362,616

    19,231

 アメリカ大陸を横断して、西海岸を3北上てバンクーバーを経てプリントジョージに向かって、あと94,464m

         
         
         
         
         
         

パレンバン空挺作戦(空の神兵)

2016年02月14日 17時05分28秒 | 軍国物語

             百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 2月14日 雨のち曇り

 今日はバレンタインデーだが90歳の小生は《蚊帳の外》、”何の日”で検索すると、パレンバン空挺作戦が出て来た。

 スマトラ島のパレンバンツ゚は蘭印最大且つ東南アジア有数の太油田地帯であり、太平洋作戦における日本軍の最重要攻略目標であった。

 陸軍の地上攻撃では油田設備を破壊される恐れがあるため、空挺攻撃による奇襲占領し、次いで地上部隊で確保 することが必要と考えられた。

こうして第1挺進団が空挺降下し第38師団主力が支援する空挺作戦が立案された。

 11時30分、降下部隊は飛行場両側に落下傘降下、完全な奇襲作戦は成功した。

 石油25万トン、米英機若干捕肖獲、我が方の死傷者は、降下人員329名中、戦死39名、戦傷入院37名。戦傷在隊11名であった。

 15日、先遣隊到着、師団主力は18日に到着、周辺地域を確保し、空挺作戦の目的を完全に達成した、と。

             百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 2月14日                 

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数      〈歩〉

今 日

   1        

18,050

10,830

      

今  月

14

268,487

160,092

19,178

今  年

45

 851,073

510,814

18,932

2005年から

4,022

63,398,842

43,905,644

15,768

70歳の誕生から

7,554

145,367,023

101,333,496

   19,244

アメリカ大陸を横断して、ロサンゼルスからサンフランシスコを経てシャトルに向かって、あと614,584m

 


失敗談 落馬 ㊾

2015年04月03日 09時57分36秒 | 軍国物語

            百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 4月3日          

 これで私の軍隊生活はすべて終了した訳だが、失敗談が無かった訳ではない。恥ずかしいから書かなかったのだが、その失敗談を書いてこの稿を終りとする。

 玉音放送を聞いて終戦を断言して男を挙げた私は、古兵たちの復員を見て、乗馬を希望した。係りの初年兵が「私の馬は大人しいのでのって下さい」と言って馬を曳いてきた。

 彼が言うには「衛生兵殿は乗ったことが無いと仰るので、鐙はつけて来ませんでした。万一の場合、鐙で足を引きずられと怪我をします。」と言って脚立で馬に乗せて呉れた。跨ったが足はぶらぶらで力が入らない。股を締めて尻を中心にして手綱を取ってください」と言う。時間が掛かったが、どうにか形は出来た。

 馬は、私を初心者と見て、手綱を引いても股を締めても声を出しても動こうとしない。その裡に不意に歩き出した。ご機嫌になっていると、馬は木に近づいて行く。大枝の下に入られると私は馬と枝に挟まれてしまう。そこを何とか乗り切って馬に水を飲ませようと《水飲み場》に向かった。

《水飲み場》までは行ったが、幾ら手綱を引いても水は飲まない。諦めて反転して胴を蹴ると走り出した。すると股の中心が偏って来た。馬はそれを承知か、どんどん走る。とうとう支えきれなくなって落馬してしまった。

 落ちる時、馬の蹄鉄が腹の上を通るのを見た。これに踏まれては命が無いと思ったが、馬は私を踏まずに通り過ぎた。落馬して怖い思いをしたが、落ちた痛みは感じなかった。其れよりなんとも恥ずかしかった。

それ以来、馬に乗りたいとは言わなかったし、落馬の話もしなかった。 

            百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 4月3日          

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩

今  日

    1        

25,003

17,502

      

今  月

          3

73,083

51,158

24,361

今  年

93

 2,192,368

1,534.658

23,574

2005年から

3,707

56,663,613

39,664,52

15,286

70歳の誕生から

7,239

138,613,744

97,029,621

19,148

 ワシントンからアメリカ大陸横断へ、デンバーに向って後 1,295,471

 


除隊はしたが ㊽

2015年04月02日 10時59分25秒 | 軍国物語

 

            百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 4月2日   快晴

 陸軍病院から通信中隊に戻ると残務整理で必要な人員を除いて殆どの兵士は除隊帰郷してハッキリした記憶はないが、9月下旬私にも除隊命令が出た。M曹長に挨拶に行くと、「もう、会えないなぁ!お達者で・・・!」と言われ、私にとって、張り詰めた軍隊生活だったが、未練がましくもっと居たいという気持ちにもなった。

午後、雨の中松本駅から列車に乗った。ところが、冠着トンネルに入って列車は止まってしまった。そのうちに車内に煙が入って来た。機関車が空回りして前進出来ないのだ。其れでも登り切らなければと真剣に吹かすので、車内には煙が充満して来て乗客も騒ぎ出した。機関手も手を尽くして努力したが前進しない。

 どの位、時間が経ったかまでは覚えてないが、列車は諦めて松本へ引き返すことになってしまった。事ある毎に私には波乱が付き纏っているようだ。当たって砕けろ!とばかりに聯隊に戻って班長に懇願した。

 既に軍籍の無い身、一泊をお願いすると、班長も同僚も快く受け入れて呉れた。翌朝、肩身の狭い身乍ら朝食を頂いて帰途に就いた。

            百歳に向ってもう一度 歩いて世界一周 4月2日          

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩

今  日

    1        

22,579

17,851

      

今  月

          2

48,080

33,656

24,040

今  年

92

 2,167,365

1,517.156

23,558

2005年から

3,706

56,638,610

39,647,027

15,283

70歳の誕生から

7,238

138,588,741

97,012,119

19,147

 ワシントンからアメリカ大陸横断へ、デンバーに向って後 1,312,973