ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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二木啓孝氏が語る、やっぱり迷宮入りか、警察庁長官狙撃事件

2014年02月03日 | Weblog

 平成二十六年十一月十七日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
 
「今日のニュースに一言」で
 
 ジャーナリスト・二木啓孝氏の記事
 
「二木啓孝氏が語る、やっぱり迷宮入りか、警察庁長官狙撃事件」
 
を聞き書きしました。

 

 一連のオウム事件から19年が経とうとしている。11年の暮れ、警察に出頭した平田信の初公判が東京地裁で開かれた。

 平田の容疑は三つだが、大きなのは、95年に起きた目黒公証役場事務長・仮谷清志さんの拉致事件である。

 平田は教団幹部でありながら、人の死に立ち会う事件には、かろうじて実行犯として立ち会わないで済んでいる。仮谷さんの事件も拉致を手伝ったというだけで、地下鉄サリン事件についても、すんでのところで実行犯から外れている。

 その平田裁判、異例なことが二つある。一つは、すでに死刑判決が出ている3死刑囚(仮谷さんに麻酔薬を投与した中川智正、拉致事件を指揮した井上嘉浩、平田と親交のあった地下鉄サリン事件実行犯の林泰男)の証人尋問が行われるということで、法廷内に防弾性のアクリル板のつい立てを置くという点。もう一つは、裁判員裁判で裁かれるという点だ。

 そうしたなかで行われた昨日の初公判には、仮谷さんの遺族も証人として出廷していた。その席で平田は「被害者と遺族にお詫び尽くせぬ苦痛を与え、大変申し訳なく思っています」「被害者や遺族、社会全般、私の関係者すべての人に多大なるご迷惑をおかけしたことをこの場をお借りしてお詫び申し上げます」と言っているので、ある程度の事件の真相が明かになるのではないか。

 平田は、「17年もの逃亡を続けていたのは國松孝次・警察庁長官狙撃事件の犯人にされるのではないか、と恐れて、長官狙撃事件の時効まで逃亡した」という意味の供述をしている。それでは長官狙撃事件は、誰が犯行なのか。

 長官狙撃事件があったのは、地下鉄サリン事件が起きた10日後の95年3月30日。狙撃現場にオウム信者のものとみられるバッジが落ちていたことから、捜査当局はオウムに絞り込んで捜査を開始している。平田が学生時代、射撃部だったということから、見込み捜査を続けてきたわけだ。その過程で、警視庁のオウム信者の警官にあたりをつけたが、これもどうやら間違っていた。

 はっきりいって初動捜査のミスといっていいだろう。一連のオウム事件で捉えている多くの遺留品から様々な可能性をたぐっていれば、この事件は解決したかもしれない。警察庁長官という、警察トップが狙われながら、時効を迎えたということは、改めて捜査の在り方に問題があったことを浮き彫りにはしていまいか。


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