ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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日記 押しつけ憲法論について

2015年03月06日 | Weblog

 よく日本の憲法は米国の押しつけ憲法だから、もとの日本らしい憲法に改めようという論調が、敗戦間もない頃からずっとある。

 だが、日本国憲法ができたとき、国民の大半は喜んでいた。憲法ができる前の占領直後から、政治が一変して喜んだ人も多かったに違いない。例えば、鎌倉の文士・高見順は、一九四五年九月三十日の日記にこう記している。

 「昨日の新聞が発禁になったが、マッカーサー司令部がその発禁に対して解除命令を出した。そうして新聞並びに言論の自由に対する新措置の指令を下した。

 これでもう何でも書けるのである! これでもう何でも自由に出版できるのである!

 生まれて初めての自由!

 自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって初めて自由が与えられるとは、――かえりみて羞恥の感なきを得ない。日本を愛する者として、日本のために恥ずかしい。戦に負け、占領軍が入ってきたので、自由が束縛されたというのなら分かるが、逆に自由を保障されたのである。なんという恥ずかしいことだろう。自国の政府が自国民の自由を、――ほとんどあらゆる自由を剥奪して、そうして占領軍の通達があるまで、その剥奪を解こうとしなかったとは、なんという恥ずかしいことだろう」(「敗戦日記」(中央公論新社刊))

 それから七十年が経過しようとしている。平和主義を柱にした日本国憲法は、この国の隅々まで根付いているように見受けられる。

 「国是」という言葉がある。これは「(国を挙げて是(ぜ)と認めたものの意)国家としての方針」をいう。(広辞苑第六版より)

 この国是について幕末の志士・勝海舟は、こう言っている。

 「国是とか何とか世間の人はやかましくいうが、口にいうばかりが国是ではない。十年も百年も、確然として動かないところのもので、何人からも認識せられてこそ、始めて国是ということができるのだ」(「氷川清話」(著:勝海舟勝、編:勝部真長/角川書店刊))

 自公政権は解釈改憲と称して、平和憲法を壊し、他国への攻撃を認める法律を成立させようとしているが、勝海舟に則れば、これは国是ではない。七十年続く平和憲法こそ国是といえよう。



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