2011年9月19日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
「朝刊ピックアップ」で記事
「永住したキーン氏が語る『復興と日本人』」
を企画、取材、執筆しました。
キーワードは「日本人」。
9月13日付の読売新聞朝刊に「キーンさん、平泉訪問 中尊寺で講演『復興、信じている』」という記事がある。これによると東日本大震災後に日本への永住を決めた日本文学研究者のドナルド・キーン米コロンビア大名誉教授(89)が11日、世界遺産登録された岩手県平泉町を訪れ、震災半年の法要が営まれた中尊寺で講演したという。
キーン氏は「終戦直後の混乱期でも、人々は互いに助け合う心を忘れなかった。高見順は日記で『こういう人たちと生き、一緒に死にたい』と書いたが、私も同じ気持ち」と話し、講演後の記者会見では「終戦直後の廃虚の東京を訪れ、復興はあり得ないと思ったが、見事に立派な街を作った。東北もできると信じている」とエールを送ったという。
同紙は9月3日付朝刊でも、東京都北区内のキーン氏の自宅で行ったインタビューを掲載している。そこでキーン氏はこう語っている。
3月11日直後は、ニューヨークでテレビ画面を通じて「黒い津波」の脅威に打ちのめされたが、「家が流されても取り乱さず、人を思いやる日本人の姿を見て誇りがわき上がった」。
大地震、台風、洪水。災害の多い日本なのに、「不思議なことに、和歌や物語には古来、地震や津波がほとんど出てこない。自然の無慈悲を嘆いて廃虚のまま放っておかないで、何度でもそれまで以上のものを立て直してきた。それが日本人です」。
「『源氏物語』や足利義政の時代から、これほど生活の中で美を重んじる文化は他国に見当たらない。美意識さえ心にあれば、形あるものをなくしても必ず再建できる」。
キーン氏の言うように、日本人は幾多の災害を乗り越えて再建してきた。「語り継ぐ復興文化史」という産経新聞の連載によると、大正12(1923)年9月1日午前11時58分に起きた「関東大震災」により、東京市域の約半分が焼失。被害を受けた避難民は約130万人に上り、死者・行方不明者は約10万5千人に達した。
しかしそこから4年後には、浅草-上野間で日本初の地下鉄が走り、震災で家を失った住民が移り住んだ渋谷や新宿が副都心として発展。震災から6年後には、上野に新装開店した百貨店「松坂屋」ができて、復興を遂げた東京の風景を歌い上げた「東京行進曲」が流行。その翌年には皇居前で「帝都復興祭」を開催し、100万を超える人出で賑うまでになったという。
こうした先人の「不屈の魂」と「美意識」は、時代を超えて今も受け継がれているのである。