2011年2月7日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
「朝刊ピックアップ」で記事
「大学生の創造力を殺ぐ経団連の〝学問蔑視〟」
を企画、取材、執筆しました。
キーワードは「経団連…」
経団連の作成した「業界の求める人材像と大学教育への期待に関するアンケート結果」という資料がある。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2011/005/index.html
このアンケートは昨年9~11月、経団連会員企業1,283社と非会員の地方中堅企業に尋ねて、596社から回答を得て、その結果を経団連がとりまとめたもの。これによると、「最近の大学生に不足している素質」を尋ねたところ(複数回答可)、多かったのが「主体性」(88%)、「職業観」(61%)、「実行力」(54%)。
また、「大学生に不足している能力・知識」で多かったのは、「創造力」(69%)、「産業技術への理解」(67%)、「コミュニケーション能力」(58%)。
そもそも企業が求める主体性、実行力、コミュニケーション能力といった素養は、「学問は人格に移る」(ローマの詩人オウィディウス著作「ヘロイデス」より)という言葉があるように、学問を修めるなかで自然に身についていくものである。それに、そうした能力を洗練させていくのは、入社後に企業がやるべきことだ。「職業観」、「産業技術への理解」というのも、大学に求めること自体、不見識といえる。
「創造力」については、「創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力です」(与謝野晶子「婦人も参政権を要求す」より)という言葉や、「学識なくして空想を持つ者は、翼を持つが足を持っていない」(フランスの哲学者ジューベル「パンセ」より)という言葉が示すように、これも学問を修める中で備わっていく。
民法学者の故・末川博氏は、こういう言葉を残している。
「学問が政治や経済の支配勢力に奉仕する侍女となったり、利用される奴隷となったりする危険は今日いよいよ増大している」(「次代学問のすすめ」より)
今や、その危険な流れは、極みに達した、といえないだろうか?