ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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京都市“野良猫餌やり禁止条例”反対集会 ②

2015年02月23日 | Weblog

 集会の冒頭、弁護士で元帯広畜産大副学長であり、ペット法学会の初代事務局長(現副理事長)で、日本で初めて「ペット六法」(誠文堂新光社刊)を編纂した経歴もある吉田眞澄氏は、「私は京都市民であります。生まれも育ちも京都であります」といい、これまで京都市が「動物愛護推進計画」をつくり、理想的な「動物愛護センター(仮称)」を建設することに決め、さらに世界的にも珍しい「京都動物愛護憲章」を定めたことに、誇りと期待をもってきたが、もしこの条例(野良猫餌やり禁止条例)ができてしまえば、京都は日本のなかでも、かなり突出してペットの受け入れの門の狭い街になる。そうすると、京都に動物が入ってくると、(住民から)奇異の目で見られる。はっきり言ってそれが一番怖い。そういう目があれば、果たしてここで安らかに動物たちが散歩することができますか?答えはノーであります。およそヨーロッパの様々な街と比べれば、京都は“非常に異様な街”だとヨーロッパの人たちに思われる。そして、日本人にさえ、「自分たちの街と京都の街は違う」と思われる、と懸念を吐露した。

 そして、吉田氏は、野良猫餌やり禁止条例について、野良猫の餌やりが悪いことだと思っていません。構造的にいえば、一番悪いのは、その猫を遺棄した人であります。遺棄は、いうまでもなく犯罪です。京都市は、遺棄をする人については、何も触れていない。これは野良猫の問題を根本的に解決しようという姿勢がない表れ、と指摘した。

 次に、元新宿区保健所衛生課職員の高木優治氏が「餌やり禁止はなぜだめなのか」を語った。高木氏によると、昭和50年代後半から、野良猫をめぐるトラブルが増加傾向となり、その頃から自治体では、餌やり禁止看板の設置や、餌やりをする人に注意するようになった。しかし、猫の命を守ろうとする人は、いくら禁止といわれても、夜中など時間や場所を変えて、餌を与え続け、人間関係のトラブルはなくならなかった。

 昭和の終わり頃からは、猫の譲渡活動や去勢不妊手術が推進されるようになり、平成9年(1997)からは、横浜市磯子区で地域猫活動が生まれた。これは野良猫を増やさないため、去勢不妊手術を行い、術後に猫を元の場所に戻し、地域で餌を与え「管理」することで野良猫の増殖を防ぎ、合わせて餌場の片づけ、トイレの設置、フンの片づなどを、地域住民、ボランティア、自治体の3者が協同して行うというもの。

 高木氏によると、地域猫活動で重要なのは、餌やりをする住民やボランティアという。この人たちが、定時定点で管理して猫の状況を把握することで、その地域の生息頭数の変化が測定できる。

 例えば、新宿区では、殺処分予定の動物愛護センターに連れていかれる猫の数は、地域猫活動の始まったばかりの01年度の315匹から、02年度以降、211匹、229匹、179匹、88匹、97匹、94匹、56匹…と減少していき、直近の13年度は17匹までに激減した。地域猫活動は、これほど効果があるのだ。

 高木氏は、京都市が進めている条例については、餌やり禁止を掲げることは、地域猫対策実行者である「餌やりさん」を排除することで、地域猫対策実施のための大切な情報(野良猫の生息数・餌場の場所と数など)を遮断し、地域猫の具体化を困難なものにするばかりか、地域住民のなかに亀裂をもたらす、餌やり禁止は“歴史に逆行”するもので、餌やりを禁止にしても、餌やりをする人は絶対にやめないので、トラブルとなる。それで東京ではかつて殺人事件が2件起きた、と警鐘を鳴らした。(続く)

 

 写真は上から、吉田眞澄氏、高木優治氏、パネリストの面々。


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