Haruの庭の花日記 Haru's Garden Diary

日々咲く花達に庭で出会い、その優しさに心癒される日々です
花を眺めながらおしゃべりしています

萩、仙崎、津和野に旅して  その3 萩市西側と北側

2023-05-31 | 

長い旅行記事になり見てくださってる方々にはつまらないと思いますが

最近はアルバムを作らなくなったので

自分の思い出と記録として書いています

写真が今回も多いのでスルーしてくださいね

 

朝から萩市内でまだ見ていない萩城址から旧城下町を歩きました

 

 

天守閣は明治になって取り壊されましたが

昔の姿を思わせるような公園になっています

この石垣の上に天守閣があったとのこと

辺りは

指月公園となっていて静かです

 

ピンクに霞んで咲くこの花がが城址で綺麗でした

何の花かわからなかったのですが

後で他の方のブログでセンダンだとわかりました♪

初めて見た花です!

 

そこから東に向かって歩く道は

 

御成道と呼ばれていて、つまり当時大名行列が通った道だとか

昔はもっと広かったそうです

 

 

ちょうどヨーロッパにに行くと旧市街が保存されているのと同じで

この辺りは全ての民家が揃っていて雰囲気も昔そのままです

一帯が世界遺産となるとそうですね

京都よりもよく保存されている感じで江戸時代を思わせました

城下町を抜けて行くと辺りは旧町人地

そこには高杉晋作の生まれた家が残っていて感動でした

 

 

幼少期は私塾で、後に藩校明倫館で学び

松下村塾には19歳で入り

以降の活躍は誰もが知るところですね

こんな井戸まで残っていて

ちょっぴり当時に思いを馳せました

 

この家の前の通りは菊屋横丁と呼ばれて

日本の道100選に入っているそうです

静かできっと江戸時代から変わらぬ雰囲気を保っているのでしょうね。

 

2本東の江戸屋敷町には

 

木戸孝允(桂小五郎)の旧家があって

木戸孝允の11歳のときの手習

先生の朱書きで見事だと褒められていました

彼も明倫館で学び吉田松陰にも学びました

萩の教育と交流の中で維新の力を備えたんですね!

幕末期の長州藩の力を改めて思い感慨深い町歩きでした

 

午後は萩の北側lの浜崎伝建地区へ行きました

ここは商人が海産物や船具を扱う店が多かった

港で栄えた町人町だったそうです

昔のままの家々がずっと残っています

 

海産物や船具を扱った豪商の家です

 

旧萩藩御船倉

すごく大きくて右の石垣は見上げるほど

鍵を開けて見せてくれました

中は

ここに藩主の御座船や軍船が格納されていて

当然ここも海だったとか

 

 

もっとゆっくりしたかった場所でしたが

連日12,000歩以上歩いていて疲れてしまい早めにホテルに戻りました

この日も気持ちの良い萩温泉を堪能しました

 

今日で津和野も一緒にして終えるつもりでしたが

これだけでも長くなったので

もう一度改めてUPします

 

長い記事を今日も見てくださってありがとうございます

コメント (2)
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