ビンボー生活マニュアル

いかに安上がりに過ごすか

『爺ちゃんを一人で置いて行かれねえ』津波迫る病室、夫婦は残った。

2011-03-26 23:45:28 | 日記
これは、津波を甘く見た爺ちゃんが悪いんじゃ…。

『「爺ちゃんを一人で置いて行かれねえ」。病室で寝たきりの夫と、看病していた妻に巨大な津波が迫った。宮城県南三陸町の志津川病院。佐藤いつよさん(81)は「上の階へ逃げよう」と言う看護師の手を振り解き、夫の猛さん(91)と三階の病室に残った。間も無く濁流が二人を呑み込んだ。猛さんは十代の頃から漁師として海に出ていた。27歳で隣町に住むいつよさんと結婚。三陸沖で若布や鮑を採りながら三男一女を育てた。「兎に角く厳しい漁師だった」と長男新悦(しんえつ)さん(60)は振り返る。猛さんは三年前、自宅で転倒して脚を悪くした。以来、いつよさんが片時も傍を離れず、食事や排泄の世話をした。元々内臓に持病の有った猛さん。体調が悪化して入退院を繰り返し、今月一日から再び志津川病院に入院した。家族が若布漁に追われる中、いつよさんが付き切りで看病し、夜は病室の床に布団を敷いて眠った。看護助手の西城晃子さん(37)は「私達が食事を食べさせて上げようとしても、少し口にするだけで『もういらん』と言って、それ以上は絶対に食べない。その横で、お婆ちゃんは『私でねえど駄目なんだ』っていっつも笑ってた」と言う。11日の巨大な揺れの直後、町中に防災サイレンが鳴り響いた。病院は5階建て。職員等が屋上への避難を
呼び掛けて回った時、窓の向こうに、濁流に押し潰された家屋が真っすぐ迫っていた。職員等は患者の手を引いたりおんぶしたりして、階段を駆け上がった。「3階迄波が来る訳ねえ」。避難を呼び掛ける職員の声に、猛さんはこう言って拒んだ。 女性看護師が「お婆ちゃんだけでも」と、いつよさんの手を引っ張って連れ出そうとしたが、動かなかった。「一人で置いていかれねえ」。猛さんのベッドにしがみ付いた。津波が引いた後、病室に二人の姿はなかった。病院は4階迄水に沈んだ。「申し訳無い、申し訳無い」。女性看護師が泣きながら家族に詫びた。新悦さんは「婆ちゃんは、爺ちゃん一人置いてわしらの所に帰れるかって思ったんだ。婆ちゃん、爺ちゃんの面倒を見て呉れて有難う」と言って拝む様に手を合わせた。志津川病院では入院患者109人の内、死者・行方不明者は約80人。猛さんといつよさんの行方も分からないままだ。屋上に避難した約30人は翌朝、自衛隊のヘリで救助された。』

最初、孫夫婦が爺ィ様に連れ添って最後を迎えたんだと思っていたんだが…。

単なる老人病か、おかしな所で頑固になってる。

長年やってきた漁師の感って奴なんだろうが、尋常小学校卒業後、漁師になり75歳迄現役でやったとして、漁師生活は63年間。

1,000年に一度規模の未曾有の大震災。63年間の長きに渡った漁師生活の経験は役に立たなかった様だ。

時代的に言って、昭和三陸地震は経験しているんだろうが、当時宮城県ではそう大きな津波被害が無かったんだろうね。

1階当たりの高さが3mとして、3階ならば7mの高さの津波が襲って来た段階でお仕舞い。4階迄水に沈んだって事は、Max12mの高さの津波が押し寄せたって事だな。

仮に上の階に避難していたとしても結果は同じだったろう。

入院患者109人の内、死者・行方不明者は約80人。

気持ちも判るが、看護師は泣いて詫びる必要は無いんじゃないかなぁ。

これは嫁さんを道連れにした、頑固爺ィの単なる自殺。

海の怖さを知っており、昭和三陸地震を経験しているんだったら、足が悪かろうが、体調が芳しくなかろうが、嫁さんの手を引っ張って他人を突き飛ばしてでも、脱兎の如く屋上に逃げ出して欲しかった。

『海の男』ってカッコいい言葉が有るけれど、所詮は言葉遊びって事か。

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