5月3日は三連休の最終日。この日も銀行はお休みなので、私は相変わらず円を換金できず、遠出は出来ません。
そこで、ガイドブックをめくって、公共交通カードで行ける場所を探し出しました。そこは七宝。上海市街地から最も近い水郷の街です。
いつもの漕渓路駅から地下鉄で宣山路駅へ向かい、そこで乗り換えて七宝へ。
もうすっかり、地下鉄は私の足です。

地下鉄七宝駅は地下部分が駅、地表部が飲食店などの複合ビルとなっていました。
駅前の通りに立って、一瞬、ここが本当にガイドブックの写真に載っていた水郷の町と同じ場所なのか自信を失いました。
「七宝という別の名の場所かもしれない」という疑念さえ浮んだほどです。

しかし、すぐに私を安心させる物が目に飛び込んできました。
それは、七宝水郷の風景を表示した大きな看板です。

駅前から続く、ごく普通の街並みを、人の流れに乗って歩いて行きます。

暫く進むと、人で溢れた狭い路地を見つけました。

その、人込みの中を100メートルほど進むと。



多分、この光景を初めて見た人は十分に感動すると思います。
ただ、私はこの日、既に上海滞在6日目。美人も三日見たら飽きると・・・。 いえいえ、そんなことを言う人もおりますが、森羅万象は色々と気づかせてくれます。例えばこの街の建築物。それらは明らかに水路に門戸を開いて造られています。そして、その光景は、この街が主要な交通手段として水路を活用していたことを説明します。ですから、必然的に建物の裏の陸側の路は狭く、それが今ではこんな状況を作り出しているのだと考えられます。

昔は水路を介し人々の営みは容易に広がったはずです。
今、私がここにいる上海も揚子江が十分な水を大地に供給し、稲を稔らせ、それを運搬する交通手段をも用意してくれたのでしょう。
交通路が発達すれば、富や、技術も集積します。
七宝は、今でもこうして、揚子江に沿って文明が発達した状況や理由の一端を、目に見える形で示しているのです。
三大文明が大河周辺に栄えたことを教科書で習ったのですが、今やっとそれを実態感覚として理解することが出来ました。
中国数千年の歴史の端緒を垣間見た気がする七宝訪問でした。
そこで、ガイドブックをめくって、公共交通カードで行ける場所を探し出しました。そこは七宝。上海市街地から最も近い水郷の街です。
いつもの漕渓路駅から地下鉄で宣山路駅へ向かい、そこで乗り換えて七宝へ。
もうすっかり、地下鉄は私の足です。

地下鉄七宝駅は地下部分が駅、地表部が飲食店などの複合ビルとなっていました。
駅前の通りに立って、一瞬、ここが本当にガイドブックの写真に載っていた水郷の町と同じ場所なのか自信を失いました。
「七宝という別の名の場所かもしれない」という疑念さえ浮んだほどです。

しかし、すぐに私を安心させる物が目に飛び込んできました。
それは、七宝水郷の風景を表示した大きな看板です。

駅前から続く、ごく普通の街並みを、人の流れに乗って歩いて行きます。

暫く進むと、人で溢れた狭い路地を見つけました。

その、人込みの中を100メートルほど進むと。



多分、この光景を初めて見た人は十分に感動すると思います。
ただ、私はこの日、既に上海滞在6日目。美人も三日見たら飽きると・・・。 いえいえ、そんなことを言う人もおりますが、森羅万象は色々と気づかせてくれます。例えばこの街の建築物。それらは明らかに水路に門戸を開いて造られています。そして、その光景は、この街が主要な交通手段として水路を活用していたことを説明します。ですから、必然的に建物の裏の陸側の路は狭く、それが今ではこんな状況を作り出しているのだと考えられます。

昔は水路を介し人々の営みは容易に広がったはずです。
今、私がここにいる上海も揚子江が十分な水を大地に供給し、稲を稔らせ、それを運搬する交通手段をも用意してくれたのでしょう。
交通路が発達すれば、富や、技術も集積します。
七宝は、今でもこうして、揚子江に沿って文明が発達した状況や理由の一端を、目に見える形で示しているのです。
三大文明が大河周辺に栄えたことを教科書で習ったのですが、今やっとそれを実態感覚として理解することが出来ました。
中国数千年の歴史の端緒を垣間見た気がする七宝訪問でした。
