音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

現代人 と 国家

2013年10月26日 | 裏読み 政治・経済


自分にとって「国家」とは「不条理の根源」と見える時がある。

国家間の戦争も、国による原発の推進も・・・

太平洋戦争時の「お国の為に万歳」のような時代であれば、自分など一番に「国家反逆罪」「国家不敬罪」で逮捕されているだろうと思う。

人間疎外の究極は「戦争」であるが、現代において戦争を遂行するのは「国家」。

したがって「人間疎外」の根源は「国家」であると思っている。

人間は「人類」としてあるいは「地球人」として「人権と人命の尊重」が保障されている「はず」の存在だ。世界人権宣言。

この「基本的人権」と「人命の尊重」を否定するのが「戦争」であり、その戦争を遂行するのが「国家」であってみれば、人類は「国家」に従属する義理はないと思う。

もちろん「社会人」として「社会常識と法」に従うのは当然のことだ。

問題は「国家崇拝」だ。「お国の為に命を捧げる」という「国家崇拝」という名の「宗教」が問題だろうと思う。

現代は交通手段の発達とインターネットの急速な進歩により、否応無く、「世界連邦」あるいは「地球連邦」という一つの世界に収束しつつある。

この流れはおそらく止めようがないと思われる。

そうなった場合「国家」は「連邦国家の州」あるいは「地方自治体」あるいは「社会機構」のような存在となる。

第一次、二次世界大戦と現代戦争の反省により、もはや現代人は「国家」に対する崇拝は持ち合わせていない。

さらに「企業」はそのグローバル化により「国家」への帰属意識も薄くなっている。

グローバル企業にとっては、もはや「国家」は無用の長物である空気が強いと思われる。

したがって現代人は「国家」への帰属意識よりも「企業」あるいは「人類」への帰属意識の方が強くなっていると思われる。

「国家」よりも「人類的規範」すなわち「基本的人権」「人命の尊重」への帰属意識の方が強いことが見て取れるように思う。

ことさら「国家」を強調しその「崇拝」と「帰属意識」を強調するのは政治権力であろうと思われる。

民間人である「国民」の一人ひとりは「国家」よりも「世界平和」と「地球」の方が大切だと思っている。

政治家と政治権力は相変わらず「国家」にこだわり「強い国家の復権」などを叫んで「国家崇拝」と「国家への帰属意識」の強調に躍起だ。

しかし民間レベルはすでに「世界人類」「一つの地球」という方向に向かっている。

政治家も政治権力者も世界の流れに目を開いて、自らを啓蒙することが大切ではないかと感じている。


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