音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

国家 と 特定秘密保護法

2013年10月26日 | 裏読み 政治・経済


「特定秘密保護法案」は危ない法律だなあと思う。

率直にいうと「国家警察」「秘密警察」を作ってしまう恐れがあるなあと思う。

明らかに自由民主主義の破壊に、将来繋がっていくものだろうなあと思う。

例えば「原発の疑惑」が「テロ対策の為の秘密」となってしまえば、国民もジャーナリストも誰も国の秘密に言及できなくなってしまう。

多くの国家施策が「特定秘密」に指定されてしまえば、行政汚職を暴くこともできなくなり、国家犯罪を暴くこともできなくなる。

ことに「行政機関」のひとつである「警察」の内部秘密には一切触れることができなくなり、まさに「国家警察」「秘密警察」の状況に発展するかもしれないなあと思う。

国民もうっかりブログで国家の批判や政策の批判などもできなくなる恐れがあるんんだろうなあと思う。

国民が素人ジャーナリストのような発言をしても、場合によっては逮捕されてしまうようになるかも知れないなあ。

まさか「天皇の系譜」について「古事記、日本書紀」の真実の究明までも「特定秘密」などにすることはないだろうなあと心配になる。

現在のような、個人的人権を尊重した言論の自由の状況を阻害する法律は成立してはならないものだと思う。

結局、言論の自由を阻害する法律であり、安部政権の憲法改正の為の下地作りなのだろうと考えられる。

国家の言論統制の為の法律であることは間違いないだろうと思う。

「集団的自衛権」の為に「特定秘密保護法案」が必要であるというのであれば、それは詭弁ではないかと自分は考えている。

なぜなら、同盟国であるアメリカは、日本が「集団的自衛権」の為に軍隊として「自衛隊」を出動させてもらいたいと思っているかというと、それは、ありがた迷惑であると思うからだ。

「何が特定秘密」であるかは「秘密」ですというような、危険な法律を国民は成立させてはならないと思う。

民主主義国家においては「国家」とは、すなわち主権在民の「国民」なのだ。

したがって「国家」が「国家そのものである国民」の「知る権利」を侵してはならないし、「国家悪」の為に「国民」が逮捕されるようなことがあれば、これは本末転倒であろうと思う。

言論の自由と表現の自由は、いかなることがあっても死守すべき国民の権利であろうと思う。

「国家警察」「秘密警察」を生む可能性があり、言論の自由・表現の自由を規制し、「自由民主主義」を破壊する「特定秘密保護法案」は「自由民主主義国・日本」の行く末を左右する重要事案だと思う。

安部総理にとっての「国家」とは、現代憲法が謳う「主権在民」の国家ではないと思われる。

「国家」とは「国民」に他ならないし、政治権力のことではない。

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