読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

優しい地獄

2023年06月23日 | エッセイ・随筆・コラム
優しい地獄
 
イリナ・グリゴレ
亜紀書房
 
 
 ぼくは、3回出会った本は読むことにしている。書店や書評や言の葉で耳目にはいってきた本だ。3回出会うということはこれは偶然なのではなく、その向こうに自分の関心領域としてのネットワークが何がしかつながっていて、そのシグナルとしてその本のタイトルに3回出くわすという事象が現れるのだ。だから本に限った話ではなくて、人名でも地名でもあてはまる考え方である。
 とはいうものの、最近は1回でもWEBの広告や記事を踏むと次々にそれに類した広告や記事が現れるから、3回くらいではただの水増しなだけでここは要注意だが、アナログなメディアやリアルな生活空間で目にした場合は、けっこう重要なシグナルとみなしている。
 
 この「優しい地獄」に僕は3回あたったのである。
 
 ・新聞(紙)の書評
 ・WEBのニュースアプリ
 ・書店で買ったとある本の中で、この本の言及があった
 
 上記のような次第だからWEBネットワークテクノロジーの操作による影響は低いと思われる。
 ちなみに、「書店で買ったとある本」というのは例の「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話」だ。千葉県在住引きこもりの作者がルーマニア語で小説を綴ってルーマニアで文壇デビューした話である。
 一方、この表題作「優しい地獄」はルーマニア出身で日本に留学している文化人類学者の卵が、著者みずから日本語で書いて日本にて出版されたエッセイである。似たような時期にほぼシンメトリーな関係の本が出たことになる。
 
 それにしてもこの「優しい地獄」。非常に奇妙な味わいを持つ文章だ。このエッセイは、著者のルーマニア時代の回想や現在の日本での生活に関する思いを綴ったものだが、それらは単なる日常の描写ではなくて、なんとも絶望的な思いや暗鬱な記憶との闘いを伴なった非常に辛いものである。著者が物心ついたときには悪名高いチャウシェスク独裁政権は既に倒されていたが、ルーマニアはその後もひどく迷走した国だ。社会主義時代の多産政策によって産み落とされた孤児たちはマンホールチルドレンと呼ばれた。劣悪な医療環境でのワクチン接種によりHIVに感染する子どもたちが多数出現した。西側諸国の経済政策には対抗できずに搾取の対象となって、今でも貧しい国である。ルーマニアのポスト社会主義時代には暗い話ばかりが浮かんでくる。
 さらに著者には内臓の疾患があるようだ。彼女自身はそれをチェルノブイリ原発事故の影響とみている。チェルノブイリからルーマニアまでは約700キロ離れているため、本当かどうかは疑問も残るが、放射能が偏西風によって広がったとのは確かに観測されている。チェルノブイリ事故は共産圏諸国に暗い影を落とした出来事の一つだ。
 
 こうした暗い断片が日本語で綴られている。彼女の日本語は、生硬で文法が微妙に不正確なこともあるが、そのごつごつとした文章は、逆に効果的に読む者の心をえぐる。著者があらわそうとしているのは、豊かで五感を刺激するような情景や感受性だ。語られる内容はとりとめもなく次々と変容していく。豊饒な映像をコラージュのように組み合わせたような芸術的な趣を感じさせる。現在の話や過去の話、日本の話、ルーマニアの話、子供の話、親の話、自分自身の話。これらが断片的に交錯していく。
 
 こういうのをオートエスノグラフィと呼ぶそうだ。オートエスノグラフィとは自己の内省を通じて自分自身を文化人類学的な視点から解釈する手法で、学問的に確立されているそうである。この断片的な記述から、著者を支配している文化的な背景や、生まれと育ちによる心理的な要因などを再解釈することになる。
 このオートエスノグラフィをルーマニア語ではなく、日本語で書かれていることがまた興味深いわけであるが、母語ではなくて異国の言葉で書くことが、母国で起こった体験を客観視するある種の浄化作用が働いているのかもしれない。ここで描かれているものを読むと、著者が抱えるトラウマを癒すための心理療法を再体験しているような感じがする。
 
 著者は暗いルーマニアで多感な時代を過ごし、かの地で上映された日本映画「雪国」を観て日本との縁を得た。そして映像を記録する行為としての映画に興味を持ち、奨学金を得て日本に留学した。彼女の研究対象は東北地方の獅子舞だそうである。ポスト社会主義のルーマニアから見た日本は東北地方の伝統芸能、それも獅子舞。僕にはここから何を見出すことができるのかの想像力も知識も持たないが、東北地方という日本における民俗学的での特有の意味合いや、獅子舞という神仏の風習に対する興味から、彼女には政府や政策によって成立する公共社会とは異なる、オルタナティブな社会への渇望を感じる。
 
 
 万人受けするとは思えない内容だし文章だが、これが3回僕にヒットしたというのもなかなか意味深だ。ルーマニアに比べれば日本はずっとずっと安寧で安心で安全の国だとは思うが、日本は日本で社会課題があふれ、閉塞感も募っている。「優しい地獄」というタイトルが醸し出す絶望感は鬼気迫るものがあるが、この「優しい地獄」とは、ルーマニアのことか日本のことか、はたまた人間社会のことか。どこか著者イリナ・グリゴレの感受性に共感する空気がこの日本のあちこちで起こっているのかもしれないと考えると、この3回のヒットはなにやら予言めいたものも感じる。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 老後とピアノ | トップ | 美しき愚かものたちのタブロ... »